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[新連載]60歳からの語学留学韓国見たまま聞いたまま 《11面》

2006年12月30日
【韓国へ行ったわけ】

 ある日、突然「2年間韓国へ行くわ」といわれた私の夫のびっくりした顔。でも、すべての労働や縛りから解放されて「勉強だけしていたい!」が、小さいころから働くことを求められ永年共働きをしてきた私の夢。教員仲間のK子さんが行くと言うので便乗させてもらい、60歳になって2年間の語学留学を始めました。

韓国語で平和運動できたらいいな

 英語学徒である私が「なんで韓国なん?」とよく聞かれます。日本脱走の夢を別にすれば、平和運動と言語学的興味。アジアで米軍基地をおいている国は日本と韓国。劣化ウラン弾の研究家イ・シウさんの言葉を借りれば、「米軍にとっては日韓の国境などは意味がない」ほど密接な関係。英語を教えてきた数十年も、外国語教育は「平和教育」と位置づけてやってきたのですが、今度は韓国語を使って平和運動に役に立てればどんなに嬉しいかと思いました。

 英語は他のヨーロッパ語と構造上ずいぶん異なります。西ゲルマン語族でドイツ語とは従兄弟の関係といわれるアングロサクソンの言葉があのように変化した大きな原因は、8・9世紀ごろからスカンデイナビア半島からブリテン島に押し寄せた北ゲルマン語族の北欧人(ヴァイキング)の話す古北欧語とのぶつかり合いのなかで、たくさんの語形変化を脱落させていったことだと言われています。英語の歴史を学んでいて日本語と朝鮮半島の言葉の関係は?と気になり始めました。ある学生さんから「だまされたと思って読んでみて」と薦められた、万葉集を古朝鮮語で読み解いた本もきっかけになりました。

韓国語から日本語を再発見!

 韓国語を学んではまってゆくのは、学びながら、何気なく使ってきた我が母語である日本語を再発見するからです。

 私が始めた頃に習った単語に「あし」(脚)という意味の「タリ」という語がありました。「藤原鎌足の足(タリ)だ!」と思いあたり、足りる、足りない、を思い浮かべて、なにか身震いするような衝撃がありました。

 「奈良」は韓国語の「ナラ(国)」、四天王寺ワッソやお祭りの「わっしょい」は「ワッソヨ(やってきました)」が語源といわれます。「いただきます」「おつかれさま」など、西洋語にない生活習慣語も同じで驚くこともたびたびでした。古代は日韓の国境がなかったのではないかと感じるほどです。

日本と朝鮮半島とのつながり

 私がソウルに滞在した2001年4月から03年3月末は、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が検定に合格、サッカー・ワールドカップ、米軍による女子中学生轢殺事件、日朝会談、大統領選挙、米軍のイラク侵略戦争開始反対世界反戦デー、など韓国社会激動期でした。それらを目の当たりにしながら、韓国語を学び、人々にもまれながら、日本と朝鮮半島とのつながりや葛藤を発見・再認識してきました。最も近い国・韓国、最も学びやすい外国語・韓国語を私の見たまま、感じたままお伝えしようと思います。

米澤清恵(よねざわ・きよえ)1940年生まれ。大阪市立中学校などの英語教員を経て2001年4月から03年3月まで韓国に語学留学。現在、千代田短大非常勤講師(英語)、在日本大韓民国居留民団西成支部韓国語教室講師。大阪AALA理事。アレン・ネルソン関西ネットワーク世話人。大阪市西成区在住。

投稿者 jcposaka : 2006年12月30日

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