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2007年いっせい地方選・参院選の年 誰もが幸せになれる政治を 日本共産党をもっと強く大きく 《1面》

2006年12月30日
こばと・さくら保育園後援会
今が変え時、変わり時
 「日本共産党をもっと大きくしたい」が共通の思い。「こばと・さくら保育園日本共産党後援会」(吹田市)の若い保育士たちも、参院選、いっせい地方選に向けて街頭宣伝や対話に頑張っています。

 「いじめ・自殺の広がりに胸が痛む。子どもたちを学校に上げるのが心配になる」という香里さん(27)は、子どものいじめの背景に、「格差社会、競争社会で、大人がいじめられる現状がある」と言います。

 保育所の子どもたちの親も大変です。人間らしく働くためのルールを壊してきた自民、公明、民主の悪政が、子どもたちに影響を及ぼしています。

 康恵さん(28)は、「27人のクラスで夕方に帰宅できるお父さんは数人。他のお父さんは朝早く出勤して、帰宅は深夜。日曜日しか父親に会えない子どもも多い」と言います。

 「お母さんは仕事、子育て、家事に追われて、身も心もクタクタです」と由美さん(24)。純子さん(32)も、「まじめなお母さんほど、職場でも家庭でも余裕がなくて、疲れている」と言います。

 直子さん(26)は、「社会全体が慌ただしい。子育て中の親が、ゆとりをもって子どもに接することができるようになってほしい」と言います。

 「誰もが人間らしく働き、生活できる社会になってほしい」と話す康恵さん。「臨時国会で共産党の市田書記局長が、実際は派遣なのに『請負』を装う違法を追及して、安倍首相に取り締まりを約束させ、厚生労働省に通達を出させたのは大きい。企業献金と無縁の共産党をもっと大きくしたい」と語ります。

 美絵さん(27)は、「就職して分かったのは、福祉の職場は人手が足らない現状があること」「大企業はお金があり余っているのに、まだ法人税を減税せよと言っているのはひどすぎる」と言います。

 若い保育士たちは、世界の動きにも目を向けています。

 就職の面接で「社会で興味のあることは」と聞かれて、咲子さん(21)は「戦争」と答えました。

 いとこの夫が米軍の兵士をしていて、イラクにも派遣されました。

 「彼はアメリカ人ではなく、ジャマイカ人で、貧乏できょうだいが多い家族を養うために、米軍に入るしかなかったと言っている。戦争も貧困もなくなってほしい」と言います。

 康恵さんは、「中南米では政権交代が進み、アメリカからの自立、国民生活優先の道に踏み出す国々が増えている。アメリカの中間選挙でも、イラク戦争を進めたブッシュ政権に厳しい審判が下った。今度は、日本の番。教育基本法は改悪されたけど、共産党が暴いたタウンミーティングの『やらせ』に、国民のみんなが怒った。たくさんの人に選挙に行ってもらえるように頑張りたい」と言います。

 吹田では、この春、市長選挙も戦われます。

 純子さんは「吹田市は2年前に、夜間小児救急が廃止されて、箕面市まで行かなければならなくなった。ノロウイルスがはやって、夜中に箕面まで行った子は何人もいた」と言います。

 香里さんは、「生活していく上で一番必要なことをなくすような政治ではなく、市民が暮らすために必要なところにお金を回す政治に変えたい」と語ります。

 参院選、地方選に向けて、「今が変わり時、変え時」(香里さん)、「4月の選挙で変えたい」(由美さん)と、元気に頑張っています。

クリスチャン西川治郎さん
世界が誇る憲法守りたい

 「国会で他党が長々と質問するのを見ていて、共産党の議席があと1つあればと、歯がゆいんですよ」

photo 1909年生まれ。日本軍による中国での「満州事変」から日中戦争、太平洋戦争と戦禍の中を生き延びて、来年3月に98歳を迎えます。高齢者・身障者を狙い撃ちにした弱者いじめの小泉「構造改革」を引き継ぎ、憲法を変えてアメリカと一緒に日本を再び「戦争のできる国」にしようと狙う安倍政権に、怒り心頭です。

 伊勢で生まれ、13歳で大阪の商店に丁稚奉公。店の主人の影響で、15歳の時、キリスト教の洗礼を受けました。将来、牧師になろうと、実業校から桃山中学校に編入。同じ店で働く兄のサポートを受けながら、大学の予科に入学しました。しかし、「満州事変」勃発前のきな臭い情勢の中で、当時、学内で盛んだった左翼運動にのめりこみ、退学処分に。

 この時、キリスト教界の幹部たちは、「満州」に布教できることを喜び、日本軍に協力。太平洋戦争に突入するころには、宗教界全体がまさしく大政翼賛会と化し、日本軍による侵略戦争に加担していきました。

 クリスチャンとして軍の手先になることは間違っている―。戦闘的無神論者同盟の職員として活動に参加したために、治安維持法違反で2度の獄中生活を強いられ、終戦まで特高警察に監視され続けました。

 大阪大空襲で店が焼失したため、貝塚市に移り、兄とともに製粉会社を設立。地元の商工会議所役員などを務めながら、戦前の運動を引き継いだ「社会的キリスト教運動(SCM)研究会」の設立に参加しました。

 日本共産党へ入党したのは92歳の時。宗教者平和協議会の僧侶たちに説得され、思想信条の自由を保障するという党の規約に、「共産党は唯物論だけど、これなら」と快諾。「与えられたことを、できるだけやるしかない」と、支部会議には毎回出席。貝塚九条の会代表世話人も務めます。

 願いは、イエスが目指した、差別のない平和な世界。

 「この年まで生きてきて、やっと、世界が平和に向かっているという希望を持てるようになりました。その世界が誇りにしてくれている憲法を守るためにも、日米安保を破棄するためにも、共産党には頑張ってほしい。死ぬ時には、敗戦の日の河上肇先生のまねをして『あなうれしとにもかくにも生き延びて日米安保(あんぽ)廃棄の今日(けふ)の日にあふ』と歌って死にたいと思っています」

元ホームレス山本由雄さん
一度あきらめた人生社会の役に立ちたい

 06年9月から約1カ月間のホームレス暮らしを経て、「生活と健康を守る会」に入会した富田林市の山本由雄さん(60)。長年、給食調理を指導してきたベテランシェフの腕前を生かし、お昼ご飯の炊き出しボランティアとして活躍中です。10月には富田林守る会の幹事に推された山本さんは最近、日本共産党に入党しました。「格差を広げる自民党政治のもと、困っている多くの人たちに、『まだまだあきらめないで』『一緒に社会を変えよう』と声をかけていきたいね」。人生、今が一番充実していると、元気な声が響きました。

photo 12月中旬の富田林市内。お昼過ぎ、甘酸っぱいにおいに包まれた『生活と健康を守る会』事務所は、相談に訪れた市民や事務を手伝うボランティア会員らの話し声で騒がしいほど。

 「特製ハヤシライスのできあがり!」。笑顔の山本さんが、ホカホカと湯気の立つお皿を並べ終えると、一層にぎやかな昼食会の始まりです。

 山本さんは茨城県生まれ。娯楽・飲食関連のグループ企業に就職し、病院や福祉施設の食堂の調理指導に従事してきました。結婚後2人の子どもを得ますが97年に離婚。独り身になった山本さんに対し、会社側は、福井、石川、滋賀、広島、岡山、大阪、山口など次々と転勤を命じます。過酷な勤務の中、ことし3月風邪をこじらせ仕事を休んだことを理由に突然の解雇。生活費はすぐに底をつき、家賃も払えなくなりホームレスに。石川にかかる橋の下で雨をしのぎ、集めたアルミ缶をわずかなお金に換えて食いつなぐ日々が続きました。

 ある日のこと。川辺を散歩していた「守る会」会員から、「事情がおありなのでしょう」と声をかけられたのが転機に。ダンボールのテントを訪れた梶本環事務局長と一緒に市役所へ生活保護を申請。現在、山本さんはホームレス状態を抜け出して求職活動を続けながら、守る会の活動を支えようと、炊き出しのほか、得意のパソコンを使って書類作成なども手伝っています。

 「今の政治を見ていて一番腹立たしいのは、金持ちや大企業ばかり減税し、もっとも困っている高齢者や低所得者から搾り取っていることです。一度は人生をあきらめた私ですが、誰もが幸せになれる社会を目指して、少しでも誰かのために役に立てるかと思うと、生きていて良かったなと思いますね」

投稿者 jcposaka : 2006年12月30日

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