>>>ひとつ前のページへトップページへ

編集長のわくわくインタビューシンガーソングライター森源太さん(8面)

2006年12月10日
 大学時代にギターと出会い、23歳の春、所持金3千円でママチャリ日本一周ストリートライブに挑戦、北海道から沖縄まで総距離8千`を旅したシンガーソングライターの森源太さん。この10月、服部緑地公園で友人たちと取り組んだ、カンボジアの地雷撤去活動支援の野外ライブには、全国から若者たち500人が集まりました。友や家族、出会った人への思い、命や平和への願いを歌い続ける森さんを、自宅のある箕面市に訪ねました。(聞き手佐藤圭子編集長)
地雷撤去キャンペーンの「ぜろ祭り」、若い人がたくさん集まったそうですね。
一人じゃなかやればできる

 実行委員長も含めて100人近くのスタッフはほとんど10代、20代、出演者も20代という若者による手作りイベントでした。10年前、「自分になんか何もできん」って思いよったオイが、仲間の力ば借りて、こげんことばできた。一人じゃなか、やればできると思うとです。

地雷問題に関心を持ったきっかけは?

 去年夏、知り合いがカンボジア支援のために、向こうのスラム街に住む子どもたちば日本に招いてジャパンツアーに取り組みよったとですが、そのツアーのテーマ曲ばつくってほしかって言われて。

 カンボジアなんか行ったこともなかったとけど、初めて行って、子どもたちと遊んだり、ポルポト時代のことば勉強しました。地雷で足ばなくしとってもニコニコ笑いよったし、ホームレスやって物乞いしとる子、シンナーば吸う空腹ごまかしてボロボロになっとる子もおったけど、ほとんどの子はいじったらすぐ遊ぶし、人の明るくて楽しくて。

 帰ってからも自分で地雷のことば調べる中で、好きで戦争やる人間が殺し合うとは良かかも知れんけど、そのせいで劣化ウラン弾の影響やったりとか、カンボジアでは地雷で親が障害者になって子どもたちが孤児になったりするとば考えたら納得いかんなあと。

下宿から苦情ストリートへ
 ギターとの出会いは大学時代だったとか。

 高校の時から尾崎豊とか長渕剛が好きでかっこよかーと思いよったとですけど、音楽なんかまったくやったことなかったし、自分がギター弾こうなんていう発想すらなかったとです。ところが大学の同じ学科の友達がギター弾きながら真似して歌いよるとば見て、オイにもできるかって思って質屋さんに行って中古のギターば買うてきたとです。そいで下宿の部屋で練習しよったら苦情の来て、大学のキャンパスや佐賀駅前で歌うごとなったとです。

 最初はコピーばっかり歌いよったとけど、ある日、歩いてきた人の足のぴたって止まって、「君、オリジナルあるか」って聴かれた。「きのう作りました」って言うて、ちょうどその前ん日に初めて作った「僕は唄う」っていう曲ば歌うたら、「まだまだへたくそやけど、ギターも歌も練習すれば形になっていく。そんな問題じゃなくて君、才能あるよ」って。

 ほめてくれたことがうれしくて2曲目3曲目と作って歌いよったら、自分の歌に感動したって言ってくれる人の何人かおって、涙流してくれる女の子も一人二人と出てきて、あのおじさんは才能あるってほめてくれたし、自分の作った歌ば歌って飯ば食うていけたら幸せかなあって思うたとですよ。3回生の時、21年間生きてきて初めて夢と出会うた自分に気付いた。周りは就職活動に入っていく時期。自分はいかに生きていくべきかって悩んで、もうやるしかなかって。

子どもの人生は親のもんじゃなか

 長崎に帰って、母ちゃんに、実は学校も行かんで毎日毎日歌いよって、夢っていうもんば見つけた。人生1回しかなかけん、やるだけやって、だめやったらあきらめようと思うし、東京へ行きたかって言うたら、「自分の人生は自分のもんやし、子どもの人生は親のもんじゃなか。そんかわり自分で選んだ道やったら自分ですべて責任ば負って、自分で飯食うぐらいの金は自分でちゃんと稼いで来い」って。

 大学卒業後、東京へ。自転車、それもママチャリで日本一周ストリートライブを始められたのはその一年後の春ですね。

 18でギターと出会い、21で初めて夢っちゅーもんば考えて、ばってん、ただ好きでへたくそで歌っとるやつがプロになんかなれるわけなかって思いながら、同じあきらめるなら、胸張って納得いったうえであきらめようと。

 東京には行ったものの、ストリートで歌うても足止めてくれる人はおらん。自信ばなくして何回も辞めたかって思うたけど、胸張ってやめれんけん、自分ば納得いかすためには人のやっとらんことやろうと。それじゃあ、日本一周してだめやったらあきらめつくかもなって、99%マイナス思考から始まったとですよ。

 旅に出る前は不安ばっかりやった。ばってん、一歩ば踏み出してみたら、毎日毎日知らん町に行って、数え切れんぐらい人と出会うて、そこで友達になって親切にしてもらって、家や店に泊めてもらったこともあるし、とにかく楽しかった。

 何の目標もなく、勉強する意味も分からず、学校休んで家でマンガ読むか、ゲームばっかりやって、友達と遊びに行くこともほとんどなかった高校時代から考えたら、生活も性格も全然変わったとですよ。

 森さんのオリジナルは、生きることの素晴らしさを歌ったものが多いですね。生命が生命で在れる世界に出来ることが必ずあるはずと歌う「もっと優しくもっと愛を」は、日本1周の旅の中でできた歌だとか。

 2003年春、宮崎県におったとですよ。世の中でいま何の起きとるとやろかってニュース見たら、アメリカがイラクに攻め込んどった。何の背景も知らんけど、なんかおかしか、戦争は違うやろって。

 生まれてくれて生きてきてくれて出会ってくれて心からありがとうと歌う「生命」っちゅう曲は、ある学習塾の企画でモンゴルに行った時に出会うた日本の男の子のことを思って作ったとです。

 その子はめちゃくちゃ心の優しか子で、勉強もできたとですけど、いじめられとってうまく人と接せんとでした。その代わりに、動物とか植物とかが大好きやったとです。その子といろんな話ばしよって、大自然の中を一緒に過ごす中で、こんげん純粋で優しくて心の綺麗か男の子がなんでいじめられんばいけんとかって思うたし、もしかしたらその子が自殺することもあるかも知れんしねと思ったら、そげんことさせとうなかなあって思って。

心の美しさば大切にしてほしか

 オイは、その子の心がダイヤモンドって思うたとですよ。ダイヤモンドの周りば誰かが傷つけることはあっても、ダイヤモンド自身はなんも傷ついとらん。だけん、その心の美しさば大切にしてほしか。自分が傷つけられて苦しくても、他の人ば傷つけんでほしかし、自分のことも傷つけんどってほしかなあと。

今後の夢は。

 いま、世界中でいろんな問題の起きとるですけど、自分もなんか一個ぐらいやりたかなあと。それならやっぱり縁のあるカンボジアで、地雷の犠牲になった子ども達のために何かやりたか。何をやるかは、今はまだあたためとるとです。

もり・げんた1978年、長崎県生まれ。佐賀大学時代に友人の影響でギターを始め、大学卒業後、単身上京。以後、ママチャリ日本一周ストリートライブ(2002年3月〜03年10月)、中国での植林活動ライブ(04年)、カンボジアの子どもを日本に迎えての全国ツアー(05、06年)などに取り組む。CDは「絆」、「大切なもの」、「ちゃんと繋がっている」。箕面市在住。

投稿者 jcposaka : 2006年12月10日

トップページへ ひとつ前のページへ ページ最上部へ
ご意見・ご要望はこちらから