がんと向き合って(最終回)由里洋子(5面)
生きる喜びをエネルギーに
自分ではポジティブな生き方をしていると思っているのですが、時折、それは単に「思っているだけ」のことにすぎないと気づかされることがあります。
10月なかばに来年のスケジュール手帳をはやばやと買いました。店頭であれこれと選んでいるときに、ふと、昨年は手帳を買うにあたってためらいの気持ちがあったことを思い出しました。買い求めたのも、年末もかなり押し詰まったころでした。心の片隅に、白紙のページが残るのではないかという不安がありました。しかしそんな気持ちはおくびにも出さず、お正月の準備をしていたのでした。
年賀状を振り返ってみて
それに引き比べて今年は、薄型の真っ赤な手帳を何のためらいもなく選んでいる私がいるのです。1年経って、あの頃は気分が落ちこんでいたのだなぁと気づく始末です。
さらに思いおこせば、一昨年の暮れには年賀状を出すのがためらわれました。11月に試験開腹をして、手がつけられない状態だったのでそのまま閉じた…私自身が全然めでたくない気分なのに、「おめでとうございます」と書くのは欺瞞ではないか。新年早々に、「がんの告知を受けました」と報告するのもいかがなものか。要するに年賀状を書く気分ではなかったということです。
昨年末は、「『YURI通信』発行が楽しみの一つ」だなどと、前向き姿勢の年賀状をつくりました。しかしまだ「卵巣がんV期で化学治療中です」とは書けませんでした。大阪民主新報での連載が始まっていたにもかかわらず、です。矛盾した心理状態でした。
今年は思いがけず喪中はがきを出すことになりました。逝ってしまった人と延命中の私、人の命の呆気なさ、そして強さに複雑な心境です。
身近な目標を持つことが大事
私ってけっこう落ちこむ性格なのだということが見えてきました。ストレスに弱く、ささいなことでうつ的状況になることも自覚するようになりました。これは、もともとそうだったのか、病を得てからそうなったのかはわかりませんが…。
最近、「プチうつ」という言葉を知りました。軽いうつ状態をさすのだそうです。なるほどね。がんと向き合っていくには、「プチうつ」とも付き合っていくということなのでしょう。
がんと道連れで生きていくには、身近な目標をもつことがいかに大事かということを身にしみて感じています。目標といっても大きなものでなく、まずは1カ月後の友人との食事会の楽しみであったり、大事な会議までに体調を整えておこうというものであったり。まぁ「気持ちの張合い」になる程度のものですが、これが意外と効果があります。クリアできたときは達成感が、うまくいかなかったときには努力をしたという満足感が残ります。
さて、私の1番大きな目標は…5年間生き延びること、です。2番目は、化学治療予定が一応終わる3年間をがんばること(残り1年!)。そして今年は、「大阪民主新報」の連載を1年間無事に終えることでした。このことは、ほんとうに励みになりました。いま、1年間生きることができた!という感慨に浸っています。
がんで亡くなったジャーナリストの千葉敦子さんが『「死への準備」日記』で、生きる目標が年単位から月単位になり、それが週単位になってくる、といった意味のことを書いておられましたが、今は我が事として受けとめることができます。
いかに自分と向き合えるか
この1年間、がんの告知をどう受けとめたか、具体的にどのような副作用があるのか、主治医との信頼関係を築くには?生きる力とは?そして日本のがん治療の現状や医療の問題など、1人のがん患者としての心模様を綴ってきました。
「がんと向き合って」という大きなテーマで書いてきましたが、書くなかでわかってきたことは、がんと向き合う方法や姿勢についてのマニュアルは「無い」ということでした。世に溢れているがん闘病記やがんと付き合うコツの本は参考にはなりますが、それはあくまでも副読本なのです。
この連載を書き始めた当初は、私も手探りで何かを見つけようとしていました。そして、1年かかって発見したこと、それは、「がんと向き合う」のではなく、いかに「自分と向き合う」ことができるかということに尽きる、ということでした。病とのたたかいは、とどのつまり自分とのたたかいなんですよね。
自分と向き合う―さてさて、さらに大きな難題を抱え込むことになりました。自分をシビアに視つめることはけっして楽しいことではありません。傷口に塩を擦り込むような苦痛をともなうこともあるでしょう。けれども、「生きている」ということは素晴らしいことです。何ものにも代えがたい喜びです。今後、肉体的・精神的につらい状況がおこったとしても、この喜びをエネルギーにして生きていこうと思います。(ゆり・ようこ)
投稿者 jcposaka : 2006年12月10日