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日本の労働時間短縮の展望(上) 吉井清文 《6面》

2007年02月11日

日本の労働時間短縮の展望・上
吉井 清文

いま時短闘争の展望が見えにくい     

 最近の労働者学習では 「なぜ日本は時短闘争をしないのか」 との質問が多くでます。 全国の学習運動でも同じです。 理由は、 先進国に最高の長時間かつ過密な労働の結合がどこまでも続くことからくる、 過労死・肉体と精神の破たんへの懸念の深まりです。 先進国での時短の前進の情報が広がり、 日本の現実との違いの大きさへの驚きも、 影響しています。
 時間短縮はいま低賃金の克服と併せて、 日本の労働者の渇望に発達しています。
 実は、 長時間労働は必す制限される必然性をもっています。 資本主義は事情さえ許せば時間を延長し、 それをさらに延ばし、 阻止されてさえ再挑戦を 「しつこく」 求めるのが特徴で、 労働者が時短闘争を成功させた後でも、 それを繰り返すからです。
 実は、 人間が富を物として求める時は、 実現すると一応は一段落しますが (そのものの役立ちよりも、 それの価値・価格の大きさに心をとられる、 一種の逆立ち傾向が消えるわけではないのですが)、 貨幣としての富を追いかけると、 「やめられないとまらない」 になります。 貨幣はなににでも変えられるからです。 人々には貨幣は 「神」 のように作用します。
 資本主義は、 こういう衝動が基礎になって、 これから述べるように、 労働者を決定的な時短闘争にたちあがらせる必然性をもっています。 わが国がそういうふうになりにくいのは、 労働運動全体の大衆化を阻む要素が、 先進国で例外的に強いこと、 併せて労働時間問題は、 それだけが一人歩きしないのが特徴だからです。 階級闘争・国民運動全体で動く問題です。 それがはっきりすると展望が見えてきます。
 もともと資本主義では、 ほとんどすべての国法は資本の利益にそってつくられます。 その世界に労働者の利益で資本の行動を束縛する立法を確立する問題が、 時短法問題の本質です。
 資本の支配を大なり小なり危機におくような情勢だけが、 効力ある時短法確立の前提で、 これが後に見る歴史の根本教訓です。 ただしそういう時に、 そういう成果を勝ち取れるように、 方針としても運動としても国民的な準備がないと、 チャンスを逃すことになります。
 戦後日本での安保闘争情勢とか、 革新自治体拡大情勢が、 そういうチャンスでしたが、 当時の国民の多数の支持を受けた勢力には、 そういう条件はありませんでした。 いまは国民精神の充実としては、 かなりのものではないでしょうか。
 ではまず、 労働時間がなぜ、 どういうふうに延ばされるのかを学んでみましょう。

労働時間とはなにか、 なぜ延びるのか   

 資本主義生産では労働者はものづくりだけで働くのではなくて、 儲けもつくる二重労働です。 商業や金融やサービスの労働でも、 儲け追求が優先されます。 労働者はもともと儲け材料として雇われます (公務員労働者も、 いまは、 日本やアメリカの大企業の儲け追求に、 間接的にですが奉仕させられています)。
 長時間労働はここからのことです。 その仕組みは以下の通りです。
 雇い主は労働の成果のカネの一部を必ず労働者の生活費・賃金として支払います。 労働のこの部分が賃金のもとで、 必要労働と言われます。 そうしなければ仕事をこなし、 儲けも生み出す労働者を生かしておくことができないからです。
 しかし貸金は、 一日とか一ヵ月の仕事・労働の全体への支払い (日給・月給〉、 合わせて後払いの形をとるので (「賃金は労働の報償」 ―労基法)、 賃金分の労働を超える労働の成果は見えなくなっています。
 ではなぜ労働時間が延長されるのでしょうか。 労働時間が制限・短縮されると、 なぜ会社は労働強化や残業や雇用差別で対抗するのでしょうか。
 実は一日の労働時間 (労働日) には、 賃金分の労働・必要労働を超える儲け労働・剰余労働が含まれています。 労働時間・労働日は必要労働とこの剰余労働の合計です。
 このように他人を働かせて、 必要労働を超える剰余労働の成果を取り上げることを搾取 (さくしゅ) といいます。 労働時間を延ばすと、 この剰余労働こそが延びて搾取が深まり、 会社の儲けが大きくなります。 労働時間の延長とは儲け時間の延長が本質です。
 必要労働が延びるのではありません。 残業させて手当を払うと、 必要労働は延びて、 剰余労働はその影響を受けますが、 その手当が低いと、 剰余労働は長くなり、 儲けもふえます。
 日本では普通、 割増率は25%ですが、 EUでは一般に50%で、 儲けが圧縮されるので、 それが残業をためらわせる役割を果たします。
 労働時間が労働者を過労死させてまでも延ばされるのは、 失業者や移民労働者を 「替わり」 にできるからです。 (そうなると中小企業もそれなりの利益があるはずですが、 日本独特の下請け方式で大企業に利益を吸い上げられて、 苦況・廃業などに追いやられ、 そのつけが労働者に掛かる仕組みになっています)
 以上の知識が、 労働者を過労死の危険から守る歯止めの基礎になります。 学習しない労働者は人間になれないという原理の一つがここにあります。

労働時間の長さは階級闘争で決まる    

 労働時間問題を最初に分析したのは「資本論」でした。 過労死や過労自殺で家族を失った人たちがその中味を知ると、 共通して 「長時間働いてはならないことを知らなかった」と、とりかえしのつかない後悔にのたうつ一生になります。 思いあまった母親が娘さんに 「お父さんのとこへいこう」 と吐露して 「死ぬのはいやや、生きていこう」とたしなめられ、 親子して涙にくれたとの手紙が届いています。弟さんが「タイムスリップする装置が欲しい、 それでお父さんが亡くなった前の日にスリップして、お父さん、会社へ行ったらアカンと止めるのや」 と言っているとも書かれています。 「無知は勤勉の母」 というきびしい 「資本論」 の表現は遺族を直撃しています。
 しかし長時間労働は絶対に労働者の自己責任ではありません。 あくまでも 「他己責任」、 資本主義責任です (先進国ではILO 「140号労働者有給教育休暇権条約」 に基づいて、 定期的な労働者権などの学習を保障させる条件がありますが、 日本は未批准です)。
  「資本論」 は、 労働者は毎日、 肉体維持と社会生活 (労働者はこの時間に社会運動の時間を確保するべきです) のための時間を必要とするが、 ともに弾力に富むので、 労働時間には大きな幅があるとし、 どこが法定の定時になるかは労働力の買い手と売り手の権利の衝突・力関係=階級闘争によって決まるとしています。
 具体的には、 労働時間が確実に制限されるのは、 雇い主の時間延長を全国一律に制限する強力な法律の確立、 あるいはそれに類する条件 (たとえば産業別労働協約、 その一般的適用や、 それを義務づける国法) を獲得するときです。 厳格な罰則と取締官がその核です。
 それでは、 日本の労働者を限りなく励ます、 その具体経験を学んでみます。 (つづく)
(よしい・きよふみ 関西勤労者教育協会会長)

投稿者 jcposaka : 2007年02月11日

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