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編集長のわくわくインタビュー退職してまで選んだ浪曲の魅力は?

2007年02月25日

歌と語りで描く義理人情の世界
浪曲師  菊地 まどかさん

  「低迷していた浪曲界にスポットを当てる役割を果たした」 として、 大阪市から 「咲くやこの花賞」 をこのほど受賞。 全国最年少の浪曲師として、 さまざまな挑戦を続ける菊地まどかさんに、 15日の天満天神繁昌亭 (大阪市北区) での口演後、 話を聞きました。 (聞き手 佐藤圭子編集長)

−繁昌亭での口演は、 昨年の初出演が大変好評だったとかで、 今回は3日連続出演。 初日はいかがでしたか?
−緊張して頭が真っ白になりました。 落語の定席の繁昌亭で、 浪曲が入ること自体が初めてだそうですし、 昔、 寄席の聖地と言われ、 浪曲の寄席の小屋もあったこの地で浪曲をやらせていただけるなんて、 本当にうれしくて。
−おととし浪曲師としてデビューされて、 昨年の文化庁と大阪府、 そして今回は大阪市で各新人賞を受賞されて。

もうええわと言われたらこわいな

−師匠 (京山小圓嬢さん) から、 「あんたは運だけはええなあ」 と (笑い)。 今回の 「咲くやこの花賞」 も、 歴代受賞者 (これまでに落語の桂文珍、 漫才の宮川大助・花子らが受賞) のお名前を拝見するとすごい方ばかりで、 その中に私の名前が入るのかと思うと信じられませんでした。
 去年まではネタを一生懸命覚えて、 忘れずにとちらないよう必死にやることで精一杯でしたが、 最近はプレッシャーのほうが大きくなってきました。 いろいろ機会を与えていただいているのに、 私のへたな浪曲で、 こんなんやったらもうええわと言われたらこわいなーと思うようになって。
−それにしても、 またなんで浪曲を始められたんですか?
−父が民謡大好きで、 大会に出場するときに幼い頃から私もついて行って、 「江差追分」 とかのお囃子をやってたんです。 「娘さんのお囃子で点数入れた」 とかよく言われてました (笑い)。
 その父が浪曲も好きで、 7、 8歳頃から一緒に行って聴いてたんですが、 二十歳のときに今の私の師匠が、 親子の情愛を描いた 「田宮坊太郎」 をうたっておられたのを聴いて、 「あー、 ええなー」 と思たんです。 映画見てるわけやないのに情景が浮かんで。 歌もあって、 落語のような語りもあって、 こんなんが一人で全部できるなんてと。 聴くほどに厚かましい考えが出てきて、 向こう側に行って自分でやってみたいなあと思うようになったんです。
−それで弟子入りを?

「だまされてんと違うか」 

−その頃は地元の脳外科の病院で医療事務の仕事をしてました。 師匠には 「せっかくええ職場で働いてるんやから、 趣味で習うぐらいにとどめとき」 と何回も断られて。 それでも教えていただきたいと。 弟子入りさせてもらってしばらくは、 働きながら休みの日に稽古をしてましたが、 2年前、 院長先生に 「1月いっぱいで退職させていただきます」 と言うと、 「だまされてんと違うか」 (笑い) って。 その時もやっぱり 「せっかく給料もあってボーナスもあって、 ここで働きながら趣味でやったらどうや?」 と言われましたが、 病院をやめて浪曲の道を選ぶことになると、 今度は院長先生や隣の薬局の先生や、 患者さんたちが後援会を作って応援してくださることになって。 本当に私は周りに恵まれてるんです。
−仕事を辞めてまで、 まどかさんに選ばせた浪曲の魅力は?
−大人になってから聴いた浪曲は、 まるで昔話をライブで聴いてるみたいな感じでした。 小さい頃、 お母さんとかによくしてもらった、 おとぎ話や日本昔話を、 まるでミュージカルみたいに節をつけて歌いながら、 せりふもあって、 泣く場面もあったり、 笑う場面もあったり。 そうやって30分間、 観客を引き込んでいく師匠のすごさに感動したんです。
 それから、 いろんな問題がある時代に、 人間があらためて考えなければならないことが、 みんなこの中に入っているような気がして。 自分も親にえらそうに言ったりわがままもいっぱい言ってきたけれど、 浪曲を聴いて、 勉強する中で、 自分自身が素直になれたり、 これまでお世話になった方たちのありがたさがひしひしと感じられるようになったんです。
 浪曲は義理人情に重きを置いていて、 何を伝えたいかがそこにある。 人それぞれにとらえ方は違うでしょうが、 どこか自分に当てはまる部分があると思うんですよ。
−だけど浪曲というと、 どうしても地味な感じがするんですが。
−浪曲という言葉自体、 知らない人もいます。 ロウキョクって、 老人の歌のことですかとか。
−老曲! (笑い)
−食べ物か何かですかとか (笑い)。
 特に若い人には、 浪曲を聴いてもらう前に浪曲とは何かの説明がいります。 まったく知らない分、 かえって新鮮な半面、 すごくハードルが高いんですね。 去年は、 そのハードルをいかに低くして一歩を踏み出してもらいやすくするかを考えた1年でした。

菊地まどかを知ってもらうには… 

−そのためには自分がいかに引き出しをたくさんもつかが問われます。 古典をしっかりと身につけないと次のことはできません。 だけどそれを踏まえた上で、 新しいことにも挑戦していかないと機会はどんどん減っていくという現実もあるんです。
 実際、 2年前にデビューしたものの、 そのあと、 さーどこでやるかと考えたら歌う機会がない。 そらそうです。 そしたらこの無名の菊地まどかがどうしたら浪曲をやってると知ってもらえるかなあと考えたのが路上ライブでした。
−三味線も繰り出して?
−ええ。 お姉さん師匠に一緒に来てもらって、 長居公園、 大阪城公園、 天王寺ミオの前、 扇町公園と次々に路上でやっていくうちに、 「今度はどこでやるの?」 と聞いてもらえるようになって、 「国立文楽劇場でします!」 と。
−まさに体当たりですね。
−後援会の人には斬り込み隊長と言われてました (笑い)。 師匠からも 「あんたは破天荒や」 と。

古典も大事にしながら平成の浪曲も

−私の浪曲を聴いてくれていた友達からある日、 「まどかの浪曲には着物着た人ばっかり出てくるけど、 洋服着た人も登場させてほしい。 昔のお話だけでなく、 現代のお話、 恋愛物もやって、 毎日いろいろあるけど明日も頑張れるかなと思えるような、 彼氏にきついこと言ったけど、 やさしくしたげよかなと思えるような内容なら、 2回目も行きたいなと思える」 と言われた時は、 なるほどなーと思いました。
 古典は年配の人には分かりやすくて懐かしくても、 若い人には日本語でやってても難しい言葉が出てくるととっつきにくい。 それで、 古典も大事にしながら、 私と同年代の友達にも分かりやすい、 平成の浪曲もやってみたいと思うようになりました。 そんな中で、 師匠から受け継いだ古典と新作を一つずつやる場所をつくってやろうと後援会の皆さんが考えてくださったのが、 去年の7月からやっている 「ワンコインライブ」 です。
−今日、 初めてまどかさんの浪曲を聴かせてもらったんですが、 民謡をやってこられただけあって、 最初の節はスコーンと抜けるような声で、 物語に入ると一転して浪曲特有のイキミ声や地声になってましたね。
−私はまだまだ声が硬いだけなので、 師匠のような甘くて味のある声にちょっとでも近づいて、 伊丹秀子さんのような七色の声を出せるようになりたいんです。
 それとせっかく習ってきた民謡も取り入れながら、 いずれは 「まどか節」 と言われる様なものをつくっていきたいなあと。
 私は、 あいだみつをさんの 「あなたがそこにただいるだけで、 その場の空気があかるくなる」 っていう言葉が好きなんです。 日々いやなことがいろいろあっても、 まどかの浪曲聴いてたら、 あほらしくなって、 くよくよ考えんと明日もまた頑張ろうかと思ってもらえたら。
小さいお子さんとお母さんに一緒に聴いてもらえるような浪曲会もやってみたいです。

きくち・まどか
1976年、 大阪市東住吉区生まれ。 7、8歳頃から父の影響で民謡に親しみ、 20歳から櫓を舞台に河内音頭を歌い始める。 富山テレビのサンザワールド民謡大会 (01年)、 西近畿民謡連合大会 (02年) などで優勝、 03年、 京山小圓嬢に弟子入りし、 05年、 浪曲師としてデビュー。 昨年は文化庁芸術祭新人賞、 大阪舞台芸術新人賞をダブル受賞し、 今年1月、 大阪市 「咲くやこの花賞」 を受賞。 ホームページアドレスは、 http://www.geocities.jp/kikuti_madoka/

投稿者 jcposaka : 2007年02月25日

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