編集長のわくわくインタビュー 「国境なき芸能団」設立のきっかけは?
落語家笑福亭 鶴笑さん
芸人やからできる国際貢献をと
「国境なき芸能団」 をつくられたきっかけは何だったんですか?
鶴笑 トルコに行った時に 「国境なき医師団」 の人から、 「薬では治らん病気もある。 笑ったら元気になる。 それは鶴笑さんらのようなコメディアンにしかできない」 と言われたんです。 笑いで人を助けるなんて考えたことなかった。 お笑い芸人やからこそできる国際貢献をと思うようになって。
武器を置かせる笑いの力すごい
アフリカの孤児院や刑務所では子どもたちは公演中から抱きついて離れませんでした。 終わった後、 こけながら車を追いかけてくれた姿は忘れられません。 パキスタンでは大人も子どもも鉄砲持ってた。 恐いなーと思いながらやりはじめたら、 みんな武器を横に置いて笑わろてる。 笑いの力ってすごいなあと思いました。
海外公演されるようになったのはいつごろからですか。
鶴笑 30歳の時、 落語会で貯めたお金で芸人仲間とニューヨークに行きました。 公園で二人羽織とか南京玉すだれとかやってみると、 これが受けて。 ところがコメディクラブに行くと、 日本人は完全にばかにされてる。 今に見ておけと。 それから毎年、 パフォーマンスしに外国に行くようになって、 オーストラリアでは、 投げ銭を入れてもらう帽子だけ持って1カ月かけてブリスデンからシドニーまで行った。 それが大きな自信になりましたね。
鶴笑さんといえば、 人形を使ったパペット落語。 「孫悟空」 と 「不思議の星のアリス」 を拝見しましたが、 体力勝負のすごい芸ですね。 袴の下から孫悟空やアリスが出てきてびっくりしました。
鶴笑 昔、 心斎橋筋二丁目劇場に出てた時、 ダウンタウンとかの漫才ブームでした。 落語の出囃子が鳴るだけでみんなトイレに行ったり、 『マンスリーよしもと』 読んだり。 地域寄席をやってもお客が4人とか5人とかという時代です。 最初出てた落語家がみんな去って行く中で、 支配人から 「落語の灯を消さんといてくれ」 と言われて、 客席でやってみたり、 ありとあらゆる工夫をしました。
ある日、 女子高生のカバンについてるマスコット人形を見て、 人形つこて 「時うどん」 をやってみたんです。 古典落語やのに子どもからおじいちゃん、 おばあちゃんまでみんな笑う。 ああ、 ほんまは好きなんやと。
だけど日本で受けても海外で受けるかどうか自信がない。 それが99年、 カナダの国際コメディフェスティバルに行ってやってみたら、 テレビカメラは来るわ、 終わって町歩いてたら、 「サムライ!」 「サインくれ」 とか言われて。 フェスティバルのプロデューサーから、 「外国ではオリジナルが大事。 あんたがほんとに活躍するのは外国だ」 と。
カバン一つでシンガポール
それで次の年、 子どもと嫁を連れてカバン一つでシンガポールに行ったんです。 泊まる所も決めんと、 「芸人ですけど」 と言って。
そして現在はイギリスで。
鶴笑 3年になります。 最初は 「日本?インドの中?」 という感じでした。 知ってても、 日本のお笑いには興味もない。 「イギリスのコメディ勉強して帰りなさい」。 ストリートに出ても 「お前らがやれる場所はない。 向こう行け」。 ところが道の端でやってるうちに認めてくれるようになって、 「今度は一緒にやろう」 と言う芸人も出てきた。 冷ややかやった教育省の人も、 今では子どもたちのワークショップに定期的に呼んでくれるようになって。
イギリスで認められたら一人前
日本ではテレビに出てる芸人が評価されますが、 イギリスは舞台を大事にします。 劇場以外の所も含めるとロンドンでは毎日200カ所でコメディがやられてます。 ライブ芸で鍛えられるし、 芸人の層も厚い。 歴史的に見ても、 日本のコメディアンが外国に行って帰ってやってる例はありません。 このイギリスで認められたら世界に通用するのではないかと。
長い間海外で生活されているのに英語、 しゃべれないって聞いたんですが。
鶴笑 全然しゃべれません (笑い)。 必要ないんです、 言葉は。 パペット落語はその国の言葉に訳してもらったのを暗記して行きますし。 他の国に行っても英語を知ってるような人はお金払ってショー見て回るわけですから、 僕が行って笑わす必要ない。 これまでいろんな国に行きましたが、 僕は病院や老人施設やスラム街でもやるんです。
日本の学校でも公演されてるそうですが。
鶴笑 「生徒が集まったら暴れるので、 全校集会はやりません」 という大阪の高校でやったこともあります。
案の定、 落語をやっても聞いてくれません。 突破口が絶対あるはずやと思って、 南京玉すだれを出して、 「誰か手伝うてくれ」 と言うと、 いじめられっ子が舞台に上がらされました。 「うまいなあ。 だーれもよう上あがらへんのに、 この子が一番かっこええ」 と言うと、 みんなのってきた。 パペット落語もやって、 「ナンバーワンよりオンリーワンになれ」 と言うたんです。 「なんやねん」 という顔で見てた子らも、 終わった後、 「ナンバーワンよりオンリーワンやな」 「名札にサイン書いて」 と言って送ってくれました。
前の年、 会場が混乱して大変やったという京都のある町の成人式では、 「おもんない」 「はよやれ」 という雰囲気の中で、 自分の修業時代の話をして、 夢が目的になりいきがいになるんやと話したら、 シーンとして聞いてくれて、 主催者もびっくりしてました。
本音でつきあわんとあかん
あかんでもボロボロになって帰ったろと思って一生懸命やるから、 汗かいてクタクタになります。 だけどそれで最後までやりよった、 根性あるなーと思ってくれる。 あきらめたらあかん、 本音でつきあわんとあかんのです。
「国境なき芸能団」 の最初の訪問地をドミニカにされたのは?
鶴笑 ぼくも外国に行って苦労してますが、 ドミニカの移民の方の苦労は言い尽くせないものと思います。 笑わそうというおこがましいことでなく、 少しでも同じ空気を吸って教えてもらいたい。
今後の夢は 「国境なき芸能団」 を世界に広げること。 世界規模で芸人たちが地球を救おうやないかとなれば、 戦争もなくなると思うんです。
【ドミニカ訪問報告会】
4月9日 (月) 午後7時、 大阪府立労働センター第2研修室 (天満橋)。 報告=笑福亭鶴笑、 桂あやめ、 林家染雀ほか。 入場無料。 06・6308・1881。
しょうふくてい・かくしょう 1960年生まれ。 兵庫県出身。 1984年、 故六代目笑福亭松鶴に入門。 93年ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞など受賞。 パペット (人形) を使った環境落語 「不思議の星のアリス」 で02年度芸術選奨芸能部門文部科学大臣新人賞受賞。 文化庁第1期文化交流使として04年3月渡英。
投稿者 jcposaka : 2007年03月25日