山下よしき佐久間貴士対談 歴史・文化夢を語る
大東市 平野屋新田会所が国指定史跡に
山下よしき佐久間貴士対談
歴史・文化夢を語る
考古学者 佐久間貴士さん
住民・行政の後押し必要
日本共産党元参院議員 (比例区候補) 山下よしきさん
知恵出し合い夢ある地域に
裁判所の競売物件になるなど存続が危ぶまれていた大東市平野屋の平野屋新田会所が、 国指定史跡として保存されることが確実になりました。 「平野屋新田会所を考える会」 会長として地元住民らとともに保存運動に取り組んできた考古学者の佐久間貴士さんと、 大東市在住の山下よしき日本共産党元参院議員 (比例区候補) が対談しました。
山下 長年の地元住民の皆さんの運動、 市議会での全会一致の請願採択。 ところがその後、 裁判所の競売にかけられてピンチに立たされどうなるかと思っていただけに、 今回の国史跡指定の話は本当にうれしいニュースでした。
現場見た瞬間「これは国史跡」
佐久間 私は2年ほど前から運動に参加するようになったんですが、 競売の問題が出てくる中で現場を見に来てほしいと言われて、 地元の区長さんたちと一緒に行ってみると、 すごいじゃないですか。 瞬間的にこれは国史跡だと思いました。
私は専門が中世から江戸時代なんですが、 ここに新田があるのは知っていたものの、 会所が残っていることは知りませんでした。 ところが行ってみると、 水路も残っているし、 奥に行くと船溜りも残っている。 周りの景観がこれだけ残っているのを知り驚きました。
山下 建物だけでなく水路も含めて新田開発の管理の中心地であったことが偲ばれるわけですね。
佐久間 ええ。 新田開発というのは荒野の干拓や干潟の干拓などいろいろありますが、 沼の干拓ではここは日本一だと思います。
高校の教科書に載っている東大阪の鴻池新田は、 120町歩から始まって最後は150数町歩までいきますが、 平野屋は325町歩で鴻池の倍。 ところがここは研究されてこなかったのであまり知られていなかったんです。
山下 見ただけでは薮ぼうぼうのままで、 ほんまに値打ちがあるんかなと思ってしまいますものね。 専門家が見てあらためて価値が分かると。
私も野崎の観音さんの界隈はよく散歩するんですが、大東に住んでいながら平野屋新田会所のことは知りませんでした。
ところが 「考える会」 主催の第1回シンポジウムに寄せていただいて、 先生方から新田開発の歴史などを詳しく聞いて、 自分の住んでいる町がそんなふうにつくられたのかと、 普通に暮らしているだけでは分からないことを知っていくと、 わが町がいとおしくなって、 この町をもっとよくしていきたいという気持ちが湧いてくるのを感じましたね。
佐久間 まさに新田開発をした人たちは開拓者なんですね。 そしてその子孫たちが周辺に住んでいる。
平和だからこそ生産に目が行く
新田開発は江戸時代に盛んにやられました。 日本の生産力がどんと上がった時代です。 なぜそうなったかというと、 戦国時代が終わったから、 みんな生産に向くことができるようになった。 戦争が終わるということがすごく大事なんですね。
山下 なるほど。
佐久間 そしてこの平野屋会所も、 そうした江戸時代の新田開発で日本列島が発展してきたという、 いい意味での開発の象徴なんです。 それがそっくり残っているというところに価値がある。
山下 戦国時代が終わって、 水田耕作を中心とした日本の生産力の発展の具体的な一断面を示しているという点で、 一地域のおらが史跡というだけでなく、 国民的な価値があるものだということですね。
佐久間 日本の歴史の中でかけがえのない遺跡が国史跡なんです。
山下 今のお話聞くだけでも大東に住んでて良かったと思います (笑い)
佐久間 本当に誇りにしていいと思います。 新しく物を作って日本一にすることはできても、 過去の歴史はつくれないですから。
山下 近畿各地を回っていると、 結構、 遺跡が多いんですね。 先生もかかわっていただいている奈良の平城京跡の高速道路問題では、 地下に木簡がいっぱい埋まっていて、 その木簡は地下水で守られている。 それが地下にトンネルを掘って高速道路を通すと、 水位が下がって貴重な埋蔵文化財の保存があやぶまれるんだと、 僕も演説会や街頭でずいぶん訴えました。
佐久間 ありがとうございます。
本で見るのと現場で見る違い
山下 すると聞いてくれた方は 「へー」 という感じで、 「それはけしからん」 ということになるんですね。 歴史遺産の持つ力はすごい。
この間、 視察で藤原京の史跡にも行ってきたんですが、 「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香具山」 と詠われた香具山が見えました。 ああ、 ここが万葉の歌人たちの活動の舞台だったのかと思い、 教科書で見るのと、 その場に身を置いて感じるのはまた違うなあと感じました。
佐久間 新田会所は、 大阪城や金閣寺などとは違って、 見た目はそんなにすごいものではありません。 護岸をコンクリートでなくて江戸時代風にしたり、 石垣づくりにして船着き場をつくってもらえたらもっと当時の様子の感じが出てくる。 そういうことをできる会所は、 回りの景観も残っているここしかないと思います。
具体的な支援策は行政の仕事
文化遺産をどう使うかは、 地域住民と行政のバックアップにかかっています。 条例を作ったり、 どういう支援をするかは議員さんの仕事。 市だけでは出来ないので、 たとえば河川の改修工事だったら大阪府ですが、 補助金は国が持っている。 国からの支援も必要なんです。
そしてみんなで知恵を出し合って、 あそこでいろんな活動をする中で、 ああこういう場所だったのかと感じるのが大事だと思います。
山下 ここでとれた米は運河や水路、 陸路、 どのルートを使ってどこまで行ったのかとか。
佐久間 復元した和船を川の所に泊めておいて、 みんなが乗れるようにするとか。
山下 みんなで考えて知恵を出し合うというのは楽しいですよね。
佐久間 どれだけ夢を語れるかなんです。 語るだけならただですから (笑い)。
食糧農業問題も合わせて考える
山下 滋賀県の水田地帯にうかがった時に専業農家の方が言っておられたんですが、 米の価格が一俵60s1万3千円。 これではやっていけない。 我々がやめはじめたら日本の農業は一気に崩壊すると。 大阪に帰ってきて、 平野屋会所に立ってみると、 先人たちが新田を一生懸命開拓して米の生産量を増やしてきた歴史を肌で感じる。 ところが、 今まさに、 その米作りがおろそかにされて、 日本の文化や風景、 国土環境が壊されようとしているわけです。 この平野屋新田会所が、 歴史を振り返りながら今の食糧農業問題を考える場所にもなったらいいなあと思いましたね。
佐久間 農村で活動している人たちや農業の知識のある人たちに来てもらって、 講演会や講座などをやってもいいですよね。
山下 どうやって苦労して、 この水田を我々の先人たちが手に入れたのか、 そして今の農家の方たちはどんな思いで米を作っているのかとか。
佐久間 ここで実際に米俵をかついで動いていただくとか。 釜でごはんをたいて、 むしろの上で昼飯を食べるとか。
山下 人間は一人で生きているんではなくて、 昔から共同して地域社会をつくってきたというのも実感できますもんね。 あの場所をみんなで開発して、 収穫したらみんな寄ってきてと。 住民、 行政、 国が力を出し合って、 夢のある地域、 社会にしていきたいですね。
さくま・たかし 大阪樟蔭女子大学教授。 1949年、 神奈川県生まれ。 青山学院大学院修了。 大阪府教委文化財保護課主査を経て現職。 専門は中世・近世考古学。 文化財保存全国協議会全国幹事。 全国各地の遺跡保存や史跡指定などを求める運動に参加。 大東市の 「平野屋新田会所を考える会」 会長。 編著に 『よみがえる中世2 本願寺から天下一へ大坂』、 共編著に 『図解・日本の中世遺跡』 など。
投稿者 jcposaka : 2007年05月31日