司馬遼太郎 『坂の上の雲』 NHKドラマ化を巡って(上)
牧 俊太郎
司馬遼太郎氏(1923―96)の代表作の一つ 「坂の上の雲」 のNHKスペシャルドラマが昨年11月9日クランクイン。 09年から3年間、 13回放映、 1回の制作費は大河ドラマの6千万円を超えるとされ、 1億円という報道もある。 このドラマにかけるNHKの意気込みがうかがえる。 原作は68年から72年まで4年間 「サンケイ新聞」 夕刊に連載、 単行本全6巻 (文庫本8巻) の長編で多くの読者を獲得した。 連載中から映像化の要請があったが、 司馬氏はこれを拒み続けた。 それだけにドラマ化許諾(03年)後も多くの議論を呼び、 複雑な経過をたどった。
ミリタリズム鼓吹との「誤解」をおそれる司馬氏の「遺言」
司馬氏はなぜ映像化を拒んだのか。 公式にそれをあかしたのは、 86年、 NHKの番組での発言でである。 (これを編集し98年に 「『昭和』 という国家」 としてNHK出版から刊行)。
「これはちょっと余談になりますけれども、 この作品はなるべく映画とかテレビとか、 そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。 うかつに翻訳すると、 ミリタリズムを鼓吹しているように誤解されたりする恐れがありますからね。 私自身が誤解されるのはいいのですが、 その誤解が弊害をもたらすかもしれないと考え、 非常に用心しながら書いたものです」 (P34)。
司馬氏は生前この立場を貫き通した。 いわば氏の 「遺言」 と言える。
軍国主義 (ミリタリズム) 鼓吹と誤解されるのはどの点にあるのか、 司馬氏は具体的には語っていない。 「誤解」 を招くとしたらその根は二つあると私は考え
「明るい明治」 非戦論・反戦運動、庶民の苦悩が見えない
一つは明治時代の見方である。
司馬氏は、 「維新後、 日露戦争までという30余年は、 文化史的にも精神史のうえでも、 ながい日本歴史のなかで、 ……これほど楽天的な時代はない」、 「社会のどういう階層のどういう家の子でも、 ある一定の資格をとるために必要な記憶力と根気さえあれば、 博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた」 と開けた国家幸福な若者を強調。 「……やがて彼らは日露戦争というとほうもない大仕事に無我夢中で首をつっこんでゆく。 ……前のみ見つめて歩く。 のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、 それのみをみつめて坂をのぼってゆくだろう」 と解説する。 (第1巻あとがき)。
これが司馬氏の明治認識である。
被害意識で庶民の歴史を切る
ここには、 自由民権運動や非戦論・反戦運動、 戦争による庶民の犠牲や生活苦などは見えない。 そういう批判を想定して、 氏は同じあとがきでこういう。 「庶民は増税にあえぎ、 国権はあくまで重く、 民権はあくまで軽く、 足尾の鉱毒事件があり、 女工哀史があり小作争議がありで、 そのような被害意識の中から見ればこれほど暗い時代はないであろう。 しかし、 被害意識でのみみることが庶民の歴史ではない」。 (同上)
明治は260余年の封建的圧政から近代日本へ脱皮する転換の激動期。 重い年貢からの解放、 「四民平等」 「万機公論に決すべし」 ……そんな 「御一新」 に一朶の希望を託した庶民=農民の願い、 「君死にたまふことなかれ」 と詠んだ与謝野晶子の歌の背後にある庶民の日露戦争 (戦死8万4千、 戦傷14万3千人) への悲痛な声を 「被害意識」 と切ってしまっていいのか。 当時流通していた、 戦意高揚のためのマニュアルと同時に、 戦争を忌避するためのマニュアルの存在がその一端を映している (一ノ瀬俊也 「明治・大正・昭和軍隊マニュアル」)。
どんな時代にも明るさもあれば暗さも変転もある。 そのダイナミズムを庶民の立場で統一的にとらえ、 暗い中に希望や打開の道を示すことが、 「今」 を生きる者が歴史を前向きに語るということではないかと私は思う。 司馬氏は明治を単純化している。 氏は、 自らの戦争体験から、 昭和戦前期と太平洋戦争を鋭く批判する。 (前掲 「『昭和』 という国家」 など) 「明るい明治」 に対して 「暗い昭和」 が持論である。 これも歴史の単純化ではないだろうか。
3分の2以上占める戦争描写
「誤解」 を招く根の二つ目は、 この作品が 「戦史」 の様相を呈し、 その戦争を 「防衛戦争」 と描いていることである。
物語の主人公は3人。 いずれも旧松山藩藩士の子である秋山好古・真之兄弟とその友人・正岡子規である。 秋山兄弟は、 陸軍士官学校、 海軍兵学校に進み、 日露戦争に従軍、 それぞれ、 陸軍旅団長、 海軍参謀として功績を挙げる。
物語は前半、 明るく楽しい3人の青少年期を軸に展開するが、 子規が早世した後、 物語は、 大きく変わる。 ほとんど日露の陸・海軍の攻防の叙述に費やされ、 登場人物も戦争現場の指導軍人が中心。 秋山兄弟も戦闘という極限状況での軍人としての知能・技能の発揮の場面が中心である。
この作品はこうした 「戦争・戦術の記述」 が 「三分の二以上」 を占めると青木彰氏が語っている (元産経新聞編集局長 「司馬遼太郎と三つの戦争」)。 さながら「戦史」である。 主人公らの生き様、 戦争への人間としての思いは紹介されるが深められず、 戦闘と 「勝利の栄光」 の壁紙のように後景に沈んでいる。 続く
(まき・しゅんたろう元大阪民主新報記者)
投稿者 jcposaka : 2007年12月28日