訪問対談 命と文化大切にする共産党に願い託して訪問対談 A人間らしく働ける社会を 宮本たけし比例候補 過労死裁判の村上さん
とりあえず帰ってきました。 眠すぎる!。 2001年2月13日午後9時45分、 同僚にメールを送った2時間後にくも膜下出血で倒れた国立循環器病センター (吹田市) の看護師・村上優子さん=当時、 25歳。 過労死認定を求めた家族のたたかいは7年に及び、 「公務災害」 と認めた大阪高裁判決が08年11月に確定。 国会議員時代からずっと支援してきた日本共産党の宮本たけし衆院比例候補が、 大阪市内で12月に開かれた 「勝利報告祝賀会」 に駆け付けました。
じゃあね、 バイバイ。 看護学校卒業後、 優子さんが実家に泊まった時、 毎回車で送っていたのが父親の雅行さん (65)。 「いつもと同じ言葉を交わし、 手を振る姿をバックミラーで見たのが最後…」
笑顔と元気印の言葉がぴったり似合う娘の突然の死。 優子さんが倒れた翌日はバレンタインデー。 遺品の中には父に贈ろうとしていたチョコレートも見つかりました。
携帯電話のメール記録には、 帰ったのは日付が変わって3時3時間しか寝てないの定時に終われるのは数少ないなど、 看護職場の長時間・過密労働の実態が刻まれていました。
看護師として働く母親の加代子さん (59) が、 「過労死110番」 に相談したのがたたかいの始まり。 公務災害申請却下や裁判敗訴が続く中、 不屈の両親の姿に、 支援の輪はさらに大きく広がり、 全国の署名は20万人分を超えました。
08年11月13日の参院厚生労働委員会。 小池晃議員の質問に大臣が上告しないと答弁し、 「公務起因性」 を認めた判決 (行政訴訟) が確定した瞬間。 傍聴席の加代子さんは、 それまでの苦労や支援者の顔を思い、 あふれる涙を抑えられませんでした。
「優子さんの過労死認定は医療現場だけでなく全労働者を励ます画期的判決。 異常な長時間労働が蔓延する日本の現状に一石を投じるものです」
そう話す宮本さんに、 加代子さんは 「生きて返せと国に迫る宮本さんの姿にどれほど勇気をいただいたか。 共産党の国会議員がもっと増えてほしい」。雅行さんも 「08年1月の勝利判決 (地裁)後も優子が勤めた病院の看護師から現場は変わってないとメールがありました。 裁判は終わりましたが過労死のない社会実現はいまがスタートです」
宮本さんも力強く誓います。 「国民の世論と運動が大きく政治を動かす時代です。 人間を使い捨てにするような横暴がまかり通ってはなりません。 きたるべき総選挙でなんとしても議席を獲得するために全力で頑張ります。
投稿者 jcposaka : 2009年01月01日