9日間水だけ・難波まで徒歩・栄養失調で立ちくらみ 元派遣労働者を支援 松原・雇用促進住宅 共産党・民青・市職労が支援物資、炊き出し、生活相談
派遣切りされ、 住まいを失った労働者が入居している松原市天美地域の雇用促進住宅に、 3月28日、 日本共産党河南地区委員会と民主青年同盟 (民青) 河南地区委員会、 松原市職員労働組合 (市職労) が支援物資を届け、 炊き出しをしました。
本来は遠隔地に勤務する労働者のためだった雇用促進住宅が、 派遣切りされた派遣社員や期間労働者の入居受付を開始したのが2008年12月15日。 全国のハローワークで受付け、 低利の融資も行われています。
「松原に行けば毛布がもらえる」 と聞き、 大分や福井、 滋賀、 愛知県など、 西日本各地からやってきた入居者は、 3月28日現在102世帯。
生活必需品がない
各団体構成員から寄せられた支援物資は、 毛布や衣類、 コンロや電子レンジなどの調理器具、 食料品や冷蔵庫など。 就職活動のためのスーツやテレホンカードも喜ばれました。
室内の電灯は入居者が用意しますが、 家財道具が足りず、 玄関の明かりだけで夜を過ごす住民がいまも多くいます。
違法に解雇されて
長野県出身の畔上徹さん (49) は、 14年間、 非正規労働者として働いてきました。 2008年4月から、 滋賀県の工場で働きだしました。 当初、 「1年間働いてもらわないと困る」 と言われていましたが、 工場の機械化に伴い途中退職を促されました。 ところが工事が遅れたため、 今度は 「もう少し働いてくれ」。
それでも秋から仕事が減り、 手取りは5万円を切るほどにまで減りました。 働きだして11カ月経った2月末、 契約途中にもかかわらず解雇され、 寮を出ました。 「もう怒りも悲しみもわいてこない」 と話します。
3月5日に雇用促進住宅に入居。 水だけで9日間過ごし、 この日まで新聞紙に包まって寝ていました。
3月20日に入居したブラジル人の女性はこの日、 仕事の面接がありました。 11時の約束に間に合うよう、 朝5時に家を出ました。 電車代がなく、 難波まで歩いたと言います。 足の裏のまめがつぶれ、 血がにじんでいました。
悪化する健康状態
入居者から聞き取り調査をした民青同盟によると、 ほとんどが契約期間途中での違法な解雇でした。
調査を行った民青同盟員の石田幸和さん (24・医療事務) は 「ボランティアだけでは限界がある。 国や市役所が受け皿になれていない」 と話しました。
「市役所にはできなくても職員にできることはある」
松原市職労が炊き出しのカレーとサラダを準備しました。
調理器具を持っていない入居者も多くいました。
「食費を削ってる人が多い」。 保健師の山室多巳恵さんは話します。 栄養失調から立ちくらみを訴える入居者もいました。
山室さんはこの日、 2人の血圧を計りました。 リウマチ性疾患や心臓肥大、 がんの治療途中の人もいました。 治療を勧めても 「保険証がない」。 生活保護の申請を勧めると、 「そんなに甘えていいんですか」。
長く住めるように
「自分1人ではとても目配りができなかった」。 住宅のある城蓮寺住宅自治会長の下田代俊久さん (66) は悔しそうに話します。 入居が始まった12月末から、 市や社会福祉協議会に掛け合い、 毛布や医薬品、 食料品などを確保するために走り回りました。 地域住民や知り合いの業者にも頼み込み、 支援物資の提供を受けました。 就職活動で遠方へ出る入居者に、 自分の自転車も貸し出しています。
派遣切りされた労働者が入居できるのは最長6カ月間。 小学校や高校へ通う子どもを持つ家庭もあり、 「公営住宅のように、 長く住めるようにならないか」 と下田代さんは訴えます。
住宅への支援は今回で2回目。 4月にも3回目を予定しており、 支援物資の提供を呼び掛けています。
投稿者 jcposaka : 2009年04月02日