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国民の苦しみ根源からただす 参議院選挙大阪選挙区候補 清水ただしさん語る

2009年10月08日

清水ただし 来年7月の参議院選挙で大阪選挙区への立候補を表明し、 「大阪に日本共産党の議席を必ず取り戻し、 憲法9条を守り、 国民の命と暮らしを守る政治を実現させたい」 と、 元気いっぱい訴えている清水ただしさん。 共産党との出会い、 国政にかける思いなど聞きました。

大阪でどうしても勝たねば

   2年前の大阪市会議員選挙で定数2の福島区で初当選され、 今度は国政に挑戦ですね。
清水 最初、 大阪選挙区候補のお話があった時は、 市会議員1期目の途中なので、 まさかという思いと同時に、 府委員会の決意の大きさを重く受け止めました。
 共産党の専従になった時から、 党の要請には100%応えていこうと思って、 「しんぶん赤旗」 出張所長、 機関紙部長、 演説会での会場警備責任者、 府会候補、 市会議員とやってきましたから、 今回も、 もちろん受けて頑張ろうと思いました。 これまで支えてくださった地元の後援会や党員、 支持者の皆さんに納得していただけるかどうか心配でしたが、 区内にある中央卸売市場で商売をされている若社長さんが 「200人に支持を広げる」 と言ってくださったり、 「ポスターができたらすぐ持ってこい」 と言ってくださる方など、 ありがたい話がどんどん出てきて。 国政で頑張ることで、 地元の皆さんとのお約束を果たすことができればと思っています。

深刻な生活 根源は国政

 市会議員というのは、 一番身近な所で市民の要求に寄り添って、 その声を政治に届けるポジションだと思います。 多重債務、生活保護、 リストラ、 あるいはホームレス寸前、 自殺をも考えている人たちと向き合う中で、 解決する方策を一緒に考えることに力を尽くしてきましたが、 その中で、 このような深刻な相談を受けなくてもいいように、 人々の生活を豊かにしていこうと思えば、 根源にあるのは国政だと常日ごろ思ってきました。 そしてその最前線で頑張る日本共産党の国会議員が、 定数3の大阪選挙区で勝てなくていいのかという思いを以前から持っていましたから、 その役回りが回ってきて、 どうしても勝たなければという思いに燃えています。

阪神淡路大震災が転機に

   子どものころの清水さんはどんな少年だったんですか?
清水 僕は3人きょうだいの長男で下に妹が2人、 両親が共働きだったので、 小さい時からよく妹たちの面倒を見ていました。
 小、 中学校では児童会、 生徒会の会長をやりましたが、 特に中学校時代は学校が荒れて、 僕らが3年の時に体育祭を学年別でやることになったんです。 ところが不良の女子が、 「最後の運動会やから、 3学年一緒にやりたい。 清水君、 生徒会長やってるから何とかならへんか」 と。 それでその子らが全校生徒に近い署名を集めて、 全学年での体育祭が実現しました。 大きな思い出です。 高校時代もバンドをやったり、 とにかくいろんなことをやりました。

働きながら芸能の道へ

 卒業後は大学受験に失敗して1年浪人。 1年間住み込みで新聞配達をしながら予備校に通い、 大阪経済大学の2部に入りました。 その当時から喫茶店でアルバイトするようになったんですけど、 働くってすごく楽しいなあと思い、 2回生で大学を辞めて喫茶店でレギュラーとして働き始めました。 そこでいろんなことに挑戦したいと思い、 23歳の時に松竹芸能のオーディションに申し込んで合格したんです。
 その後、 漫才コンビを組んでやってるうちに会社の俳優部の方から誘われて、 全国縦断の子ども向けミュージカルに出演することになったんですが、 明日からクランクインという時に阪神淡路大震災が起きて、 ミュージカルが中止になりました。
 落ち込んでたところ、 友達に誘われて震災ボランティアに行きました。 行った先はがれきの山。 西宮から歩いて東灘区にたどり着き、 避難所に毛布とかカップラーメンとか持って行ったんですが、 途中で家の掃除をされていたご主人に、 「何かいるもんはありませんか?」 と尋ねたら、 「電気くれ」 と。 つらかったです。 インフラが本当に全然だめでしたから。
 震災が起きる前から喫茶店のオーナーに勧められて 「しんぶん赤旗」 日曜版を読んでましたが、 震災後は真剣に読むようになりました。 ちょうど自社さ政権の時で、 村山首相の初動が悪かったとか、 仮設住宅ができてないのに、 神戸市長や兵庫県知事が神戸空港を造ると言ったり。 そんな中で政治に批判的な意識を持つようになりました。

共産党ってすごいんや

 しばらくして消費税が値上がりして、 ようやく返還されるはずの沖縄の地主の土地を、 新しい法律をつくって再度収容する特別措置法ができたり。 ひどいと思ってオーナーと話してたら、「ただし君、 いっぺん共産党の話、 聞いておいで」 と言われて、 大阪城ホールの 「躍進のつどい」 に行ったんです。 そこで不破哲三さん (当時、党委員長) の話を聞いて、 目からウロコ。 政治の話をこれだけ分かりやすく、 自分のように政治に関心の無かった若いもんにまで分かるように話してくれたことにまず感動しました。
 それから国民の運動で政治は変えられるという展望を聞かされてわくわくして、 「すごいな共産党」 と思ったんです。
 会場には1万人ぐらい入っていたんですが、 終わって会場を見渡したら、 お年寄りばっかり。 「きょうは年齢制限あったんか?」 と思ってチケット見ても特に書いてへん。 ああそうか、 若い人は縁の下の力持ちかと思って舞台裏を見たら、 お年寄りが机並べてる。 ガードマンとして夜警やってんのかなと思ったら、 やはり年配の方が懐中電灯回してる。 「共産党て若い人いてないんかな」 と思ってよく考えたら、 そういえば自分もいままで政治関心なかったなと。

若い者こそ関心持って

 若いもんがもっと政治に関心持たなあかんと思ってたら、 新日本婦人の会の共産党後援会の人から、 「共産党の 『知る会』 があんねんけど、 予定してた女の子2人があかんようになったから来て」 と言われて行ったら、 そこへ来られていた当時の北地区委員会の常任の人が、 不破さんと同じような話するんですよ。 それも自分の言葉で。 共産党の話は正しい。 でもすぐには入れないと思って、 「2週間、 考えさせてほしい」 と言うと、 「どうせ入るんやったら早いほうがええ」 と言われてその場で申し込み書に名前を書いたら、 その男の人が推薦人の所に 「宮本岳志」 と。
 その後、 参議院議員になられた宮本さんの後に、 地区の専従になったんです。

正義と道理 国政でも貫く

   大阪市会議員になられてからも、 区内のスーパー前での定例宣伝で話題を呼んだり、 先の総選挙、 中間選挙などでも、 「面白くて話が分かりやすい」 とずいぶん好評でした。

笑いも票も必ず取るで

清水 僕の場合は、 芸人時代の経験が生きてるんですね。 テレビの収録があるとき、 「いまからやる漫才は絶対受けないといけない」 という思いで出て行って、 3分なら3分、 限られた時間でやりきるわけです。 そんな中で、 どこへ行っても腹を決めて最後までやるという根性がつきました。
 選挙が終わってからも各団体や後援会から呼んでいただいているんですが、 「まつりに来てくれ」 と言われてプログラムを見たら、 「バナナのたたき売り」 になってるし、 後援会からの要請文を見たら、 「清水さんの持ち時間20分。 あいさつは5分で、 15分は話芸でお願いします」。 まあ、 そういう候補者も面白いなと。 僕の選挙戦のモットーは、 「笑いも票も必ず両方取る」。 これで頑張りたいと思います。
   最後に抱負を
清水 僕が共産党の活動を通して学んだことは、 「正義と道理に立つ者は未来に生きる」 ということです。 市会議員活動、 生活相談などを通して、 直接国民の皆さんの苦しさ、 つらさと向き合う中で、 「政治を何とかしてくれ」 という思いを感じてきました。 今度はそれを国政の場でリアルに伝えていき、 追及し、 改善を求めていきたいと思います。
 そのためにも、 来年の参院選では、 大阪選挙区で必ず日本共産党の議席を取り戻すために全力を尽くします。

投稿者 jcposaka : 2009年10月08日

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