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最高の爆発力を持った候補者 衆議院議員 宮本岳志さん 自分の人生懸けられる党だと 大阪市会議員・参院大阪選挙区候補 清水ただしさん 宮本岳志さん・清水ただしさん対談

2009年10月24日

 日本共産党の参院選大阪選挙区候補、 清水ただし大阪市議が、 かつて大阪選挙区から当選し参院議員として活躍した宮本岳志衆議院議員と語り合いました。 (文責 大阪民主新報編集部)

宮本たけし清水 総選挙、 お疲れ様でした。 宮本 お疲れ様でした。 近畿各府県に行ったり上京もする中で、 どこでも清水ただしの名前は知ってる。 大阪の候補者は面白くてすごい人らしいなあと。

清水ただし 参議院大阪選挙区の議席は、 1973年に参院補選でくつぬぎタケ子さんが最初に風穴を開けて以来、 橋本敦さん、 井英勝さん、 山下よしきさん、 私と長い歴史の中で勝ち取ったり、 取られたりしてきた議席。 6年ぶりに大阪の議席を取り戻すという点で、 清水さんは最高の爆発力をもった候補者だと思うよ。

建設的立場が心をとらえた

清水 ありがとうございます。 総選挙も各地でご一緒させていただいて、 投票日前日には市田さんとも一緒になり、 通天閣前の串カツ屋さんの前では 「自公政治の二度漬けお断り」、 道頓堀では 「グリコのネオンサインのように宮本たけしさんに万歳させてほしい」、 梅田の阪急百貨店前では、 「地下の食料品売り場は消費税非課税にしよう」 と訴えさせていただきました。 井さんとともに宮本さんを国会に送り出せることができて本当に良かったです。
宮本 今回の選挙は、 自公政治に我慢ならんという国民の怒りがビンビン伝わって、 目の前で政治が動くということを実感した選挙でしたね。 それが結果として民主党への風になる中で、 みんなで歯を食いしばって議席を勝ち取りました。
清水 自公政権の退場を多くの国民が願い、 民主党中心の政権が生まれる可能性がある中で、 日本共産党がええもんはええ、 悪いもんは悪い、 うまいもんはうまいと建設的な立場で推進していきました。 それが有権者の心をとらえた。
 その前の郵政選挙のときは、 「何で郵政民営化があかんのか」 と一から十まで説明しないと分かっていただけないところがありましたが、 今回は自公政権を終わらせようということで、 自公の悪政と一番対決してきた日本共産党が伸びてこそというのは非常に説得力があったし、 訴えていて楽しかったですね。

いまはいれの言葉に即入党

宮本 清水君と初めて会ったのは共産党を知る会。
清水 12年前です。 宮本さんは背が高くてガタイがでかくて、 一見、 怖い人ちゃうかなと思いましたが、 前日に大阪城ホールで聞いた不破さんの記念講演の内容を、 宮本さんが話されました。 それが焼き写しじゃなくて宮本さんの言葉で話されたんですね。 あのとき私が日米安保や自衛隊の問題など、 自分なりに当時感じていた疑問なんかもぶつけると、 宮本さんが具体にリアルに、 また納得いくような形で答えてくださって、 これは信頼できると思ったんです。
 当時私は松竹芸能で夢破れて、 その後、 震災を通じて政治に興味を持つようになったものの、 自分は何がしたいんやろかと、 いまのフリーターや派遣といわれる人たちと同じように将来の不安をものすごく抱えていました。 一生懸命頑張っても豊かになれないという矛盾を感じてたし、 そういう中で共産党の話に触れて、 自分の人生を懸けて取り組めることができるかも知れないとすごく期待しました。
 だけど共産党に入るというと簡単なものじゃない。 風呂入るみたいに、 熱いから上がるというわけにもいきませんし。 親とも相談したいから2週間ほど考えさせてと言ったんです。 そしたら考えて入るんやったらいま入れと言われて、 その場で入党して推薦人になっていただいたんですよね。 宮本さんと出会ってなかったら本当にどうなっていたのか、 まったく人生は分からないものですね。

宮本さんのようになりたい

 私の街頭デビューは強烈でした。 青年後援会で大阪駅の東口で宣伝をして、 初めてマイク持ったんだけど、 「ご通行中の皆さん」 というのが言えない。 「ごちゅうこうちゅうの」 って緊張して全然しゃべれなくて、 宮本さんが 「お前大丈夫か」 「マイク貸せ」 と (笑い)。 そのあとマイクを持って堂々としゃべられたのでびっくりしました。 候補者じゃない宮本さんが、 党の専従 (当時の北地区委員会) で細かい仕事もしながら、 街頭でもきっちり語れる。 かっこいい、 私自身もそういう風になりたいって思いましたね。
宮本 清水君の一流のサービス精神、 相手を楽しませ、 勇気付けて元気にさせるというのは身に染み付いたものがあるんよね。 共産党は、 まだまだ入り口で拒否されることがあって、 「いいこと言っているんだけれど」 と言われて悔しい思いをするわけです。

試され済みの候補者として

 今度の9中総でも言われてるけど、 自民党の支持基盤が総崩れになって、 新たな垣根を越えた働き掛けが求められている。 そういう意味で清水さんというのは、 幅広い結び付きを飛び込んで行ってつくれるし、 誰からもかわいがられる。 僕たちの世代とは違った、 まさに新たな政治プロセスが始まった下で、 時代が求める候補者だと思います。 しかも大阪市会議員として、 市議会の論戦で数々の実績も上げて政治的に一つの仕事をしてきた人ですから、 まさに試され済みの候補者と言えると思います。
 2年前の一斉地方選挙の後に行われた参議院選挙で、 福島区に来てくれと言われて行った時は衝撃やったね。 清水君は福島区のほとんどの家のことを知っていて、 玄関に公明党のポスター張っている所にも入って行く。 すると中から、 「わあー清水さん。 やったね当選したね」 と言うわけ。 垣根を越えて結び付いて区民の皆さんに愛される存在になってトップ当選した。 短期間でなく粘り強く頑張って勝ち取ってきたんですよね。
清水 自公政権のひどい政治の中で、 生活苦、 困難に陥って恐る恐る共産党の事務所に来られる方もいらっしゃいます。 「自分は公明党だけれど相談聞いてもらえますか」 とわざわざ断って。 「何をおっしゃっているんですか」 と、 市民の皆さんに間口を広げた事務所です、 秘密厳守ですから安心してくださいと。 そしたら逆に公明党・創価学会の人たちは恩義に感じて、 「しんぶん赤旗」 も取ると。 学会をやめるわけにはいかないけど票は広げるからと、 かなり力を発揮していただける人もいました。
宮本 いま始まった日本政治の激動、 入り口は民主党による政権交代から始まったけれど、 出口は必ず2つの政治悪にメスを入れる新しい民主的政権に向かわざるを得ません。 でもそこへ国民が歩む道のりはそう簡単じゃない。 一定の期間、 模索や探求の期間があると思います。 いかにそれを短く、 間違いなく出口まで歩くかという点では、 まさに国会で山下さんや僕たちがやる仕事も鋭く問われるんだけど、 僕らより若い清水君には民主連合政府ができた後の日本政治を動かす仕事までやってもらわなきゃならないし、 そういう資質を持った政治家だということで希望を感じますね。

頑張れば勝てる希望持って

清水 7月7日、 七夕の日に出馬会見をして3カ月余り、 市会議員を務めながら、 民主団体や後援会の取り組みなど、 どこへ行っても、 新しい政治の時代の幕開け、 本格的に国民の要求が実現する時代に到来したという期待感とワクワク感と、 もう一つはあの総選挙で踏みとどまったけれども伸ばすことができなかった、 この悔しさを今度の参議院選挙で実現しようという希望に満ちた取り組みになっていることを肌で感じます。
 大阪府内回ってみて実感しましたが、 本当に広いです。 私自身が頑張ることと、 やはり党員・後援会員、 読者、 支持者の皆さんに力を発揮していただくこと以外に勝ち抜くことはできないと実感しています。 そして頑張れば勝てるという希望を皆さんに持っていただけるよう、 私も候補者としてこれからも精一杯、 頑張っていきたいと思います。

投稿者 jcposaka : 2009年10月24日

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