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編集長のわくわくインタビュー ミナミになくてはならない顔 ワッハ上方館長 伊東雄三さん

2010年01月29日

現地存続が決まりましたね
ミナミになくてはならない顔
ワッハ上方館長 伊東雄三さん

 昨年12月28日に現地存続案が決まった大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)。08年4月、橋下府政下の府改革プロジェクトチーム素案で施設の閉鎖・別施設での展示が打ち出されて以来1年8カ月。その間、ワッハ上方の現地存続を求める運動の先頭に立って奔走した伊東雄三館長に、あらためて同館現地存続の意義、上方演芸や大阪の町への思いなど聞きました。(聞き手 佐藤圭子編集長)

 ――年末ぎりぎりになって、ワッハ上方の現地存続が決まりました。
伊東 お正月にいろんな所にごあいさつに行く中でも、残って良かったと皆さんにも声を掛けていただきました。
 存続を求める運動は試行錯誤の連続で、ワッハだけでなく、大阪府の文化行政全体の問題として、センチュリー交響楽団、児童文学館、青少年会館の問題とも連携してやってきました。
世論と議会大きな力に

 いま振り返ってみると、ワッハ上方存続案の一番大きな力になったのは、世論とそれを支えにした議会の審議でした。
 とりわけ9月、10月府議会では、全会派が代表質問、一般質問、委員会とすべての段階でワッハの問題を取り上げてくださいました。
 去年7月、移転先として通天閣が発表されましたが、6万点近くある演芸資料の保存、管理の問題、放送局や在阪プロダクションに協力してもらって支えてきた演芸ライブラリーをどうするのかなど、移転後の内容が一切わわわれ府民に知らされてきませんでした。
 せっかくこれまで積み上げてきたこれらの資料、文化財産が一度流出し、散逸すると二度と元には戻りません。

経済効率だけで語れず

 今回の現地存続は、来館者年間40万人という条件付き、の知事発言がありました。しかし演芸資料館の果たす役割や公共性、公益性という、行政が握らなければならない一番肝心なことが軽んじられそうになったのを食い止められたという点では、あきらめずに訴え続けて本当に良かったと思います。
 ―一連の文化施設の見直しについても、府がいつも持ち出してきたのが赤字論でした。伊東館長はそれに対しても当初から反論しておられました。
伊東 財政再建の観点から経費を削減したり見直すのは当然で、私たちはそれに対して異を唱えたわけではありません。
 だけど収益を目的としていない公共の文化施設は、経費に見合う成果がないとだめ、だからつぶすという性質のものではないんですね。しかもワッハ上方のように貴重な文化資料、文化財産を扱っている施設は、時々の政策や経済状況によって右に行ったり左に行ったり、なくされたりされるものではありません。経済効率という論点だけでは語れないし、語っちゃいけないと思うんです。
 文化財産を次の世代にきちっとした形で残して整理して伝えていくことは、私たちいまの世代がやらなければならない仕事だと思うんです。
 ―次の世代への預かり物ということですね。
伊東 まったくそうです。

上方の文化興味持って

 去年からことしにかけて、小学4年から6年の子どもたちを対象に、ワッハ落語探検ツアーズという企画をやっていますが、期間中5千人ほど来ます。実際に舞台に上がって落語体験したり、古典落語を聞いたりして、時間があれば4階の展示室も見学して資料を読んだり、映像を見たり、寿じゅ限げ無むの早口言葉遊びをしたり、落語紙芝居を見たりします。「ものすごく楽しかった」とか「テレビで見るより面白かった」と子どもたちは興味を示してくれます。
 最後に僕は、「上方には上方演芸というのがあって、文楽、歌舞伎とか全部ひっくるめて上方文化というのを形成しているんですよ」と話します。落語をきっかけに、上方の文化や大阪の町と歴史にも興味と関心を感じてもらえたらと思うんです。
 ――伊東さんはワッハ上方の4代目の館長さんですが、上方演芸には以前から関心がおありだったんですか?

ミナミには愛着がある

伊東 仕事で、松竹新喜劇とかミヤコ蝶々さんのお芝居など、上方の演芸や上方喜劇に触れる機会が多かったのもあって、もともと上方演芸が好きでした。
 それに僕の子どものころは道頓堀の劇場が全盛期で、おやじやおふくろに連れられて、角座に漫才を聞きに行ったり、大劇でお芝居、お彼岸のころには相撲の春場所を見に来ては、帰りに蓬莱の豚まんや北極のアイスキャンデーを食べるのが楽しみでした。町を歩いていて、ほんとに楽しかったですね。ミナミには本当に愛着があるんです。
 もういまはありませんが、僕の母方の実家が大正から昭和の初めにかけて、南海通りに洋品店を出していたので、母からも昔、法善寺さんや道頓堀でよく遊んだと聞いていました。ワッハの館長にと言われた時は、全然違和感なく、亡くなった母もきっと喜んでくれてるだろうなと思いました。
 大阪は魅力的な町で、いろんなものが体験できます。ミナミも大阪の顔として残していかなければならない町です。道頓堀から「くいだおれ」がなくなり、パチンコやゲームセンターが増えて、どんどん町の風情がなくなってきているのは悲しい。この町を何としても残していきたいし、そのためにも、ミナミの顔の一つであるワッハ上方を、これからも発展させていきたいと思います。

いとう・ゆうぞう 1947年、大阪市生まれ。関西学院大学法学部卒業後、毎日放送に入社。主にテレビ制作局でスタジオドラマ製作。藤山寛美の松竹新喜劇、ミヤコ蝶々の中座公演の舞台中継番組を手掛ける。主なプロデュース作品は、「ドラマ30 いのちの現場から」「スペシャルドラマ 藤山寛美物語」など。07年4月からゼネラルプロデューサー兼ワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)館長。

投稿者 jcposaka : 2010年01月29日

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