さわやか対談 反貧困ネットワーク事務局長 湯浅誠さん 「ラジオ派遣村」村長・前大阪市議 清水ただしさん
貧困の事実知らせることが重要
ラジオで「派遣村」始めました
08年から09年の年末年始にかけて日比谷公園(東京都千代田区)に開設された「年越し派遣村」元村長で、反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんと、ラジオ大阪の新番組「ラジオ派遣村」で村長を務める日本共産党の清水ただし前大阪市議が対談しました。4月17日放送のラジオ大阪「ラジオ派遣村スペシャル」でも特別対談した2人に、貧困問題解決や誰もが安心して暮らせる社会のあり方など縦横に語り合ってもらいました。
清水 「ラジオ派遣村スペシャル」へのご出演ありがとうございました!
ラジオでも言いましたが、世界同時不況というけれど首都のど真ん中に「派遣村」ができたのは日本ぐらいです。大きな社会問題になり、ことしは公設でできましたね。
湯浅 もともと日比谷公園の「年越し派遣村」は、派遣ユニオンという組合が派遣切りホットラインをやる中で、派遣切りに遭って住居も失った人たちが、地方からもかなり東京に行くと言っている、何かやらないとということで始められました。だけど労働組合の人たちはテントで寝泊まりするような支援をした経験がない。そこで、ずっと野宿者支援をしてきた私にノウハウを教えてくれという話がきて、私もかかわるようになったんです。
清水 派遣切りや雇い止めが大きな社会問題になる中で、「派遣村」をラジオに持ってきたらどうかという話になって、「ラジオ派遣村」が番組化されました。大阪の人だけでなくインターネットで聴けますので、全国の方に放送を聴いていただいています。ある医療救急の現場で働く方からは、「勉強のために職員みんなで聴いている」と。やりがいのある番組です。
湯浅 へえー。いいですね。派遣切りが横行し始めたのは08年の秋以降ですが、派遣労働が始まってからずっと派遣切りは起こっていました。だけど当時は派遣切りという言葉もなかったし、ちゃんとしていればそういう目に遭わないと言われてた。
貧困というのはなかなか見えにくいのが特徴で、現実にそういう人がじわじわ増えていっても、気付かない人は気付かない。だから私たちは貧困問題に取り組み始めた時から、いかにこの現実を知ってもらうかということでやってきました。「年越し派遣村」もその延長で、人々が集まっている姿を見てもらうことで、現実が揺るぎないものになったんですね。形で見せることは難しいけれど、重要なことだと思います。
政治、企業に規制力働く社会に
反貧困ネットワーク事務局長 湯浅誠さん
国民がさらに反撃する時代に
「ラジオ派遣村」村長・前大阪市議 清水ただしさん
清水 「ラジオ派遣村」にはたくさんのメールやお便りがきていて、内容も深刻です。「仕事中にけがをして休んでいる間に、お前の仕事はもうないから、来なくていいと言われた」とか、「派遣で働いている自分たちは社員食堂を使わせてもらえない。使ってもいいけど値段が違う」とか。いろんな実態を教えていただいて、私自身も大変、勉強になっています。
だけどその一方で、求人倍率も大阪でいうと0・47、100人が手を上げても53人は漏れるという中で、逆に「死ぬ気で頑張れ」とか「甘えてる」などのメールも来るんです。私はそんな人に言いたいんですが、何で仕事するのに死なんとあかんのか?普通に頑張ったら報われる社会でいいじゃないかと。
保護の傘が閉じてきた
湯浅 欧米に追い付け追い越せでやってきた時代は、国が産業政策によって大企業を保護し、大企業が主に男性正社員を保護して、男性正社員が妻子を保護するという3つの傘があり、その下で生きていける人がメインストリーム(主流)でした。それが日本型雇用システムと言われていました。
そんな中でもシングルマザーや日雇い労働者など傘に入れない人たちは、昔から貧困でした。ところが90年代以降はその傘が閉じてきて雨にぬれる人が増えてきて、そういう大きな社会の転換に政治がついてこれなかった。雨にぬれる人が問題なのではなく、傘が閉じてきたという構造的な問題だと私たちは言ってきました。いま必要なのは、じゃあどうやってみんなが暮らせるようになる傘を社会がつくるかを考えていくことだと思います。
清水 私も湯浅さんも同世代ですが、私たちの高校、大学時代は、頑張ればこれから良くなるという希望みたいなのがありました。ところがいまは、将来がいまより良くなるかという問いに、良くなると答える人が本当に少なくなっています。
湯浅 そうですね。
清水 まず、働きたいという人たちに、雇用の場をつくっていくことが求められていると思います。
湯浅 収入を上げると同時に支出を下げる、つまり可処分所得を増やすこともやらなければならないと思います。
清水 この間、給料は減っているのに負担する税金や保険料は増えていますからね。
人と制度をつなぐ支援
大阪でも1年間で2千人近く自殺して、その半分ぐらいが生活苦や経済的な問題で、孤独死も増えています。地域のネットワークにも誰にも相談できずに命が失われていく。そんな中で社会や行政、政治の果たす責任は大きいと思います。ラジオでも湯浅さんが言われていたように、低所得者向けの住宅政策とともに、人と制度をつなぐ伴走型支援が本当に大事だと思います。
湯浅 ラジオでも紹介しましたが、岩手県のある消費生活相談員の方が調べられたところ、使える公的サービスは160個あった。いまある制度が利用できるようにガイドできる人が必要だし、そういう人を職業としてちゃんと育てていくことが必要です。
清水 ドイツには、その人が使える制度を案内しなければならないという教示義務があるとも言われていましたが、日本では制度自体が告知されていません。お年寄りはわずかでも年金をもらっていたら生活保護を受けられないと思い込んでおられるし、稼働年齢であれば若い人は到底生活保護費なんて駄目だろうと。その人に必要な制度を知らせていくのは本当に大事だと思います。
湯浅 日本に生活保護が根付かない原因には、仕事を失うことは人間失格だというような感覚もあると思うんです。仕事をしたい気持ちを大切にしながらも、仕事と生活の関係をもう少し解きほぐしていきたいですね。
いい労働者いい消費者
清水 それといまは、自動車工場で働く若い人たちが車を買えないし、液晶テレビを作っている労働者が見ているテレビはワンセグです。国内でそれを消費できるような体力、経済力がないと、企業が海外に進出して外国でいくら物が売れても、国内ではワーキングプアがどんどん増えていくというのでは、日本の将来はないと思うんです。
湯浅 そう思います。去年の2月、日系ブラジル人の人たちが主催する集会が名古屋であって、行った記者さんから聞いたんですが、その中で、「われわれはいい労働者だった。そしていい消費者だったはずだ。だけどわれわれは労働もできない、消費もできない状態になってしまった。これは日本社会にとってもよくのないことのはずだ」と言っておられたそうです。本当にその通りだし、そんな状況では誰も得しないはずなんですね。
清水 大阪に「レンゴー」という段ボールを作る会社があるんですが、1千人の派遣労働者を一挙に正社員にしたんです。そうすることで労働者のモチベーションが高まって、たくさんの利益をはじき出したというんですね。
湯浅 なるほど。
清水 もちろん大企業に日本経済を引っ張っていってもらうことは大事だと思いますが、そこで働く人たちや下請け中小業者、若い人たちが豊かにならなければ、企業のためにもならないという認識を持ってもらう必要があると思います。
限界迎えた新自由主義
湯浅 アメリカにも70年代までは、労働者の生活が豊かになればその企業も発展していくという「ハッピーワーカーモデル」というのがあったそうです。その発想で、GM(ゼネラルモータース)もわりと手厚い福利厚生をやっていたんだけど、アメリカが日本に追いつかれた時に、それじゃあ駄目だと新自由主義をとった。日本も90年代にアジアに追いつかれた時にアメリカ的な新自由主義をとりました。
これに対して怒っている経営者もいるんですね。この間、キッコーマンの元会長の茂木賢三郎さんと話していたら、グローバル競争が厳しいから派遣労働者は低賃金でもしょうがないと言う人が、同時に、日本の経営者は欧米に比べて報酬が低すぎると言っていると。厳しいからこっちを下げなければならないのに、自分の報酬を上げろなんて渋沢栄一(明治期の実業家)が泣いとるぞと彼は話していました。
清水 富の再分配化が欧米に比べても日本はいびつだと思うんですね。一極に富が集中している。そういう中で、いま政府与党からも野党からも出てきているのが、法人税のさらなる引き下げと引き換えの消費税増税です。消費税は子どものお小遣いにもお年寄りの年金にもいや応なしにかかってくる、弱い人を避けて通らない税制ですから、これは最悪だと思います。
不買運動を起こしても
湯浅 政治にも、企業にも、もっと社会的な規制力が働くような社会にしたいですね。企業には下手するとたたかれちゃうなとか、逆に商品が売れなくなっちゃうよなと思ってもらえるように。
清水 あそこの会社は労働者を大事にするから、あそこの製品を買おうとかね。
湯浅 たとえば地球環境問題だって、昔は、企業はそんなことに使うお金はない、競争が激しいんだからと歯牙にもかけませんでしたが、この5年、10年は、「うちはエコです」と、どこも言うようになりました。だから今後、うちはこんなに労働者を大事にしていますというCMを打つ企業が現れないとも限らない。そうしないと株価が上がらないとか、社会的に信用されないという規制力を社会が持てるようになればと思います。
清水 2010年代は、新自由主義で攻撃を受けていた労働者や国民が、それに反撃するためにさらに立ち上がって、本当に誰もが平等に安心して生活できる時代にしていきたいですね。
ゆあさ・まこと 1969年生まれ。東京都出身。NPO法人自立生活サポートセンター・もやい事務局長、反貧困ネットワーク事務局長。元内閣府参与緊急雇用対策本部貧困・困窮者支援チーム事務局長。08年〜09年の年末年始、日比谷公園に開設された「年越し派遣村」で村長を務める。主な著書は『反貧困』(岩波新書)、『どんとこい!貧困』(理論社よりみちパン!セシリーズ)ほか多数。
投稿者 jcposaka : 2010年04月22日