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編集長のわくわくインタビュー 教育基本条例案の問題点は教育を根本からくつがえす 大阪大学大学院教授 小野田正利さん

2011年11月11日

 先月末、府立高校PTA協議会会長や会社経営者、大学教授などをパネリストに、大阪維新の会の大阪府教育基本条例案を検証するシンポジウムを開催した「大阪の教育の明日を考える会」。同会メンバーで、「保護者から学校へのイチャモン」の研究で知られる小野田正利・大阪大学大学院教授に、条例案の問題点など聞きました(聞き手は佐藤圭子編集長)
 ――教育基本条例案への不安や撤回を求める声が、保護者の間でも広がっていますね。

保護者にも重大な内容

小野田 条例案は保護者にとっても大変重大な内容です。
 1つは、部活動への強制参加。条例案では、教職員は「国際競争に対応」(条例の前文)するため、勉強を教えることに時間を使わなければならない先生の代わりに、保護者が部活動の指導に「努めなければならない」と強制しています。
 2つ目は、家庭教育は学校教育のためにあるとしていること。「学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない」(第10条3項)と書かれています。言いかえれば、先生や学校に少しでも歯向うような生徒は家庭教育がなってないとなり、物言わぬ生徒を強く求めることになりかねません。
 しかも「必要な社会常識」とは何か。乱暴な言葉を使うなということであれば、橋下さんだって、「ボケカス」「クソ教育委員会」などと言っている。いくらでも解釈できることで拘束される危うさがあります。
 3つ目に、私が研究してきた保護者とのトラブルについてです。「社会通念上、保護者は不当な態様で要求を通してはならない」(第10条2項)と書いています。
 確かに保護者が学校に対して、何ともならない要求や粗暴な行為をする例もあります。だけど不当な行為に対しては、はっきりと不当だと言えばいい。昨年3月には私も協力して、大阪府の教育委員会と一緒に保護者対応の手引きも作りました。条例にまで書き込む必要はまったくありません。

苦情の背景に何があるのか

 ――学校に対して、すごい要求をする保護者のことは社会的にも問題になり、テレビドラマにもされてきました。
小野田 一般的に「モンスターペアレント」と呼ばれていますが、私はこの言葉を使わないようにと一貫して言ってきました。「モンスター」とは「化け物」という意味であり、そう言った時点で、相手が言っていることが正当な要求であっても、一切受け付けないということになりかねません。
 社会全体としてクレーマーというのは急増しています。背景には、1994年のPL(製造物責任)法ができたことで個人の力が大きくなったこと、それがバブル崩壊と重なり、社会のしんどさが出てくるのと軌を一にして、公共サービスへのバッシングが始まり、学校現場にも90年代中ごろからそれまでにないような要求が増えてきて、学校現場が困惑するようになったのだと思います。
 不満といらだちは社会全体にうずまいている中で、家庭の中でだれも相手にしてくれない、地域から孤立している、職場でも不遇な位置に置かれているなど、さまざまなことがないまぜになって、言いやすい学校に向いていく例も少なくありません。保護者がいろいろ言ってくるのには、必ず何か背景があるし、怒りの元に何があるかをみることで問題が解けていく場合もたくさんあるんですね。
 府内のいろんな学校の様子を見てきましたが、生徒指導の困難を抱える学校でも、先生たちがどの子も分かるようにと、自作のプリントを使ったりして頑張っておられます。

モデルはすでに足元にある

 大阪は就学援助率も高校授業料支援率も日本一です。生活環境的に厳しい子や、障害のある多様な子どもたちにどう関わっていくかでも、大阪は全国から注目されている実践を重ねています。
 橋下さんはモデルや対案を出せと言いますが、いいモデルは足元にいくつもある。問題はそれを見ようとする意欲があるかどうか。見た上でそれがどうしてそうなっているかをみる誠実さと丁寧さがあるかどうかです。
 ――教育の政治介入という点でも、条例案の問題が指摘されています。
小野田 戦前の教育行政は、内務省と文部省の直轄型で上意下達の方式で中央集権的にやられていました。その結果、物言わぬ国民がつくられ、悲惨な戦争に突っ走っていった。それへの反省から、どういう政治の仕組みをとっていったらいいかが考えられ、アメリカでやられていた教育委員会制度が採用されました。教育は国民の精神文化にかかわるものだから、政治のコントロールが及ぶべきでないということで、独立した行政委員会が教育をコントロールするやり方ができあがっていったんですね。
 ところが今度の条例では、、知事が目標を定めてゴールを決め、教育委員会と学校を目標達成にまい進することを求めている。その時どきの知事の思惑で全部教育がコントロールされていくことになります。

学力だけが物差しの学校に

 教育は時代とともに変化していくものですが、その変わり方は緩やかです。たとえばカリキュラムは文科省が中央教育審議会に諮問して、1年ぐらいかけて答申を出させて、それを基に学習指導要領にまとめるのにもさらに1年かかります。
 大阪でも本来こういう改革は、学校教育審議会に諮問して行っていくべきことですが、条例一発でもっていこうとする。カリキュラムなら間違っていたらまた次につなげられますが、今回の条例案は、学校の中に学力という物差しだけの競争的な環境を作り出すと明確に言っている。学校制度そのもののあり方を全部変えてしまうものであり、633制の改革に匹敵するものです。
 ――先生は、条例案が出た直後から、問題点を指摘してこられました。

教育学者として絶対許せぬ

小野田 私はこれまで、日本や大阪の教育の改革に、賛成の立場で関わってきたこともあります。だけど今回の条例案は、教育学者として絶対許せないものです。
 福島の原発事故の問題でも、事故を推定していた科学者たちの声を聞くべきだった。学者というのは先が見えているからこそ学者であり、社会がどうなるかを語らなければなりません。それがまさしくいまであり、もし条例案について何も言わなかったら、学者として一生悔い、自責の念に駆られることでしょう。
 ――いま大阪の教育の発展のために大切なことは何でしょうか?
小野田 1つ目は、テレビによく顔を出している人たちが正しいことを言っていると思わず、疑ってかかる。まちなかに住み、まじめに生きている人々の中に真実はいっぱいあります。
 2つ目は、今度の条例案は誰もが関わらざるを得ないとんでもないところにいくということを知ること。
 3つ目に、取り返しのつかないことが起きないために、この条例案の内容を知り、声を上げていくことですね。


 おのだ・まさとし 1955年、愛知県生まれ。大阪市在住。大阪大学大学院教授(人間科学研究科・教育制度学研究室)。主な著書は『悲鳴をあげる学校―親の“イチャモン”から“結び合い”へ』(旬報社)、『親はモンスターじゃない―イチャモンはつながるチャンスだ』(学事出版)など。(2011年11月13日付大阪民主新報より)

投稿者 jcposaka : 2011年11月11日

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