編集長のわくわくインタビュー 前進座俳優 藤川矢之輔さん 劇団創立80年ですね 生きてて良かったと思える舞台に
歌舞伎の名題やその弟子、大部屋役者、新劇の演出家らが集まって1931年、旗揚げした劇団前進座が、ことし80周年を迎えました。劇団第3世代のリーダーで歌舞伎俳優の藤川矢之輔さんに、劇団の歴史や果たしてきた役割、来年正月、京都南座で行われる創立80周年記念公演のみどころなどを聞きました。(聞き手は佐藤圭子編集長)
――9月に京都で開かれた創立80周年のレセプション、大盛況でした。50周年の舞台で梅之助さんと共演された新派俳優の水谷八重子さんも「みんなでつくってきた80年。前進座の活気は役者さんだけでなくお客様の活気」とおっしゃっていましたね。
藤川 ありがとうございます。八重子さんが言われた通りで、本当にお客様に支えられて80年やってこられたんだと思います。
前に進むしかないのが由来
創立当初、歌舞伎界では、大部屋にいる若手たちはいくら頑張っても、師匠言いなりのあてがいぶちしかもらえなかった。2代目の市川猿之助さんが先頭に立って組合のようなものをつくったけど、会社との交渉がうまくいかず松竹を飛び出し、一緒にうちの先輩たちも飛び出して猿之助一座をつくったんです。ところが猿之助さんはドル箱スターだったので松竹に帰ってしまい、残されたメンバーは戻るわけにもいかず、後ろには下がれない、前に進むしかないというわけで「前進座」ができたんです。
――劇団名にそんないわれが。
藤川 集まった創立メンバーは当時20代の若者ばかり。創立した年には、「満州事変」が起きた。そんな時代に劇団を立ち上げてやっていくのは並大抵のことではなかったと思います。
例えば評判になった『仮名手本忠臣蔵』では、それまでずっと頭を下げて平伏しているだけだった侍や、座っているだけの腰元しかさせてもらえなかった先輩たちが、みんな大役をやった。いまのように若手歌舞伎がなかった時代、先輩たちの技量の良さ、熱心さとともに、20代、30代の新しい歌舞伎が新鮮なものとして受け止めてもらえたのだと思います。
――劇団が戦中、戦後をくぐり抜けるのも大変だったでしょうね。
訪問地の印で地図真っ黒に
藤川 みんな兵隊にとられたり、疎開したりして。だけど前進座演劇映画研究所が東京の武蔵野市にあったので、戦争が終わると、みんなそこに戻ってきて活動を開始したんです。ところがお客さんが入らない。入っても、闇市でもうけたような人が芝居を見ずに札束の勘定していた。
でも入場料金が安い3階席には学生さんが鈴なりになって芝居を見ている。「ああ、これからの観客になってくれるこの人たちにいい芝居を見せよう」と、青年劇場運動が始まったんです。西洋の物なら学生さんたちになじみがあるだろうと、シェイクスピアやモリエールなどをやって全国を回ったんですね。それで全国区の劇団になり、行った所に印を付けていくと日本地図が真っ黒になったそうです。
――この時代の前進座は、どんなところにお客さんの共感を得ていたんでしょうか。
藤川 真心込めて芝居をやったこと。それと、一歩先を行く視点があったんでしょうね。演目決めるのも公演の1カ月前。歌舞伎研究家たちが「これやってみろ」って前進座に台本を提供してくれる。層が厚くて個性的な役者がそろっていたので、6本立てでもバランス良くできる。鶴屋南北の作品など、うちしかできないだろうって芝居をどんどんつくっていったんですね。
創立当初から多くのお客さんたちが応援してくれ、終戦直後の全国公演のときも地元の方たちが会場をつくったり、行く先々で支援者が劇団員を自宅に泊めてくれたり。本当にお客さんに支えていただいたからこその80年だと思います。
新春の記念公演の見どころ
――恒例の南座でのお正月公演。80周年記念公演は、記念口上とともに、財産演目の『芝浜の革財布』と新作の『明治おばけ暦』と豪華な内容ですね。矢之輔さんも両作品に出演される。
藤川 『明治おばけ暦』は、NHKの『ゲゲゲの女房』の脚本家、山本むつみさんが書き下ろしてくださった作品です。
明治の初め、国が暦をそれまでの陰暦から太陽暦に変えちゃった。月の満ち欠けが左右していた世の中。「冗談じゃないよ。そんな勝手なことされてたまるか」という庶民たちのど根性、バイタリティあふれる舞台です。わくわくしながら、ぐっとくるものを持って帰っていただけたら。
そのあとに『芝浜の革財布』で笑って泣いていただきます。古典落語の『芝浜』を基にした人情話で、貧乏長屋が舞台。私が演じる、のんべえの熊五郎とお春(山崎辰三郎)夫婦の掛け合いなども楽しんでいただけたらと思っています。
――今後の抱負をお聞かせください。
文化は心。金に代えられぬ
藤川 演劇というのは、どんな過酷な条件でも、社会情勢が悪くなっても衰えないものだと思います。文化は心。お金には代えられないものです。しかも舞台は生のもので、その時しか見られない。社会全体に閉塞(へいそく)感がある中でも、この時代に生きていて良かった、同じ時代に生きているからこそこの芝居が見られた、また明日から頑張ろうと思っていただけるような舞台をつくっていきたいですね。
夢は、第4世代を育てて100周年を迎え、皆さんと一緒にお祝いができること。その時、私はもう80歳ですが、祝賀会でみんなと座歌を歌いたいものです。
劇団の財産演目をしっかり受け継いで、次の人にも渡せるようにすると同時に、これからの前進座を象徴するような芝居を創っていきたい。正月公演は、その両方が詰まっています。ぜひ、たくさんの方においでいただけたらと思います。
前進座創立80周年記念初春特別公演
2012年1月3日(火)〜22日(日)京都・南座。昼の部=午前11時(22日昼の部のみ11時半)。夜の部=午後4時15分。創立80周年記念「口上」、「明治おばけ暦」(山本むつみ作 鈴木龍男演出)、「芝浜の革財布」(三遊亭圓朝原作 平田兼三脚色)。出演=中村梅之助、嵐圭史、藤川矢之輔、山崎辰三郎、河原崎國太郎、嵐芳三郎ほか。1等席1万2500円、2等席6500円、3等席4千円、特別席1万4千円。問い合わせ先=075・561・6300劇団前進座京都営業所。
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日本共産党後援会新春観劇のつどい 1月3日(日)午後4時15分、南座。料金=特別席8500円(ただし、さじき席・2階正面席は9千円)、1等席A7千円、B5千円、2等席4千円。06・6768・8103府後援会内「前進座を観る会」。
ふじかわ・やのすけ 1951年、東京都出身。前進座第3世代のリーダー。祖父は、前進座の創立メンバーで「七人の侍」と言われた藤川八蔵。初仕事は、1951年の映画『どっこい生きてる』の赤ん坊。初舞台は1955年、俳優座『花ざかり』つね子の子ども。主な舞台は、河竹黙阿弥の『三人吉三巴白浪』和尚吉三など。テレビシリーズ『遠山の金さん』で飴屋の虎吉、『伝七捕物帳』でかんざしの文治を演じた。屋号は大坂屋。
(2011年12月4日付大阪民主新報より)
投稿者 jcposaka : 2011年12月02日