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希望の春へこの党と共に 大阪と東北を結び被災者に寄り添う 岩手県大船渡市 震災ボランティア・青年日本共産党員 岡野竜也さん

2012年01月01日

大阪市住之江区から泊り込んで6カ月に

 東北の人々にかつてない苦しみと悲しみをもたらした東日本大震災と福島原発事故から、間もなく10カ月。日本共産党は被災地の党員・党組織とともに復興への希望と展望を語り、被災者救援の先頭に立って活動を続けてきました。大阪の日本共産党を通じて、若い世代を中心にこれまでのべ約2千人のボランティアが岩手県陸前高田、大船渡両市を中心に活動してきました。6月中旬から泊まり込みで支援活動に走り回る大阪市住之江区の岡野竜也さん(32)もそんな救援ボランティアの1人。8月11日に日本共産党の一員に加わりました。

 「生きていくのも大変だけど…生きていくしかできないもんね」
 約300世帯が暮らす大船渡市最大の長洞仮設住宅(同市猪川町)。その1室で1人暮らしの荒谷のりさん(85)がしんみり語るのを聞きながら、岡野竜也さんは、優しい笑顔を向けながら大工仕事に励みます。
 同じ仮設で以前棚付けをしてもらったことがある安城恵美子さん(65)が、荒谷さんが布団の上げ下げにも困っていると聞き、「まだ大船渡にいるかな?」と岡野さんに連絡を取り、この日の大工作業が実現。部屋に入った岡野さんは、まず、小柄な荒谷さんに合うようカーテンレールの位置を改善、その後またたく間にトイレの棚付けを済ませてしまいました。

大粒の涙あふれ

 「ありがとう、ありがとう」と繰り返す荒谷さんの声を聞きながら、仮設入居が決まった7月に引っ越し作業を手伝ったボランティアが岡野さんだったことが分かって2人ともびっくり。「あの時も来てくれたんだよね」と岡野さんの手を取って再会を喜ぶ荒谷さんの目から、大粒の涙があふれだしました。
 「次は荷物が置ける大きな棚付けをします」と語る岡野さんに、「いいよ、いつまで生きられるか」と荒谷さん。そばにいた安城さんと佐々木由美子さん(55)は、「荒谷さんは私たちの人生の目標だ」「いつまでも元気で」「みんな1人じゃないよ」と肩を抱き合って励まし合いました。

大船渡の宝だ

 「岡野さんのおかげで人間らしく住み良い仮設になった」と笑顔の佐々木さん。安城さんも、「誰も来てくれないこの仮設に岡野さんはやって来て、心を届けてくれた。本当に大船渡の宝だ」と語りました。
 「被災者一人一人に希望や支えが必要なように、“ありがとう”の言葉が自分を支え、逆に励まされているように思うんです」と岡野さん。
 「被災地での暮らしは人生の転機になった。人とのつながりを大切にし、共に困難を乗り越えながら、いつかきっと春の到来を喜び合えるように頑張りたいですね」 

暮らしと「なりわい」の再建へ奮闘
これこそ共産党の原点
大阪の岡野さん 震災5カ月目に入党

 「被災地で何か手助けしたい」。東日本大震災が起きて、やむにやまれぬ思いだった岡野さんは、大阪市内で介護士として働く姉の紹介で日本共産党木津川南地区委員会が募集する震災ボランティアに応募。当時働いていた会社を辞めてボランティアをする決意を固め、深夜バスに揺られて6月16日、大船渡市に着きました。
 当初2週間の予定で地元党員や全国のボランティアたちと住居の泥出しや青空市、被災者訪問などに従事。しかし「救援・復興の道は長い。もっと被災者に寄り添った活動を」と泊まり込みを続けました。
 5年間の大工仕事の経験を生かして7月下旬からは、収納設備の少ない仮設住宅で要望の強かった棚付けをするように。手際良い仕事と気さくな人柄に口コミで評判が広がり、次々と注文が。これまで大船渡市で60世帯、陸前高田市で20世帯の棚付けをし、この他約40軒の仮設住宅にウッドデッキを造る仕事も手伝いました。
 そんな仕事ぶりに感心した地元の漁師が、漁業関係者の生活補償事業でもある漁港のがれき撤去作業に岡野さんを連れて行ったことがありました。地元の住人以上に一生懸命、力仕事に汗を流す岡野さんの姿に、漁師仲間たちも心から歓迎。「手伝ってくれてありがとう」と喜ばれました。
 店舗を流された飲食店主らが「まちを元気にしよう」と事業組合をつくり準備してきた「みんなの大船渡屋台村」でも、大工仕事を手伝い、12月20日のオープンイベントでは、すし職人だった腕も見込まれ、参加者に自慢の料理を振る舞いました。

党の姿に感動

 岡野さんは小学生のとき父親が37歳で他界。日本共産党員として活動しながら岡野さんと姉、障害のある妹を育ててきた母親を3年前に病気で亡くしました。
 被災地で救援・復興活動に関わりながら、自らも被災しながら頑張る党員たちの姿に感動し、震災5カ月の節目の8月11日に入党。12月からは党地域支部の活動を支えようと週4日の「しんぶん赤旗」早朝配達も担当。午前5時に起き、約30部の新聞を1時間半掛けて読者に届けています。

議会にも声を

 党議員らの大船渡市議会での奮闘もあって仮設住宅への入居期間が改善されたことに確信を持つと同時に、被災地の実態を無視した政治の暴走に怒りを感じる岡野さん。被災者の生活実態を党議員らに伝え、市議会での質問へと発展することもあります。「被災者の生活支援となりわいの復活への取り組みは、困っている人を助けるボランティア活動と同じ。これこそ日本共産党の活動の原点だと思います」と岡野さんは語ります。

被災者が主役の復興へ
日本共産党議員団が全力

 「昔から海に生きてきたんだから。それしかできないし、海でやれることをやる」。同市松崎の漁師・新沼満夫さん(62)が静かに語ります。
 保有する船すべてを津波で失いながらも特産のワカメ養殖の復興へ準備。中古の小型漁船を購入し、海に入れた養殖棚にメカブのタネ付けも済ませました。

一日も早く「宝の海」を

 地盤沈下して海面すれすれの岸壁や、満潮時にはいまも海水に浸かる漁港や道路のかさ上げ対策など、漁業の本格復興への道のりは遠く、水産加工用の設備購入には巨額の資金も必要。「それでも負けていられない」と満夫さんは復興への決意をにじませます。
 「カキ養殖なら3年は必要だが、3月15日頃にはワカメが育ち、最初の収穫も始まる。1日も早く復興するために、宝の海を取り戻すまで何があっても頑張りたい」
 日本共産党大船渡市議団(3人)は、「今こそ被災者が主役の復興を」「住民1人1人の暮らしとなりわいの再建」を掲げ、地元党組織、全国の支援も受けながら奮闘してきました。
 自宅を流され仮設住宅で暮らす滝田松男市議団長(64)は、小泉・竹中金融改革で破綻させられた岩手信用組合の元支店長。「被災地に冷や水を浴びせる大増税やTPPを許さず、個人補償の本格実現へ全力で奮闘する」と語ります。
 同じく仮設に暮らす三浦正明議員(59)も仮設住人の切実な願いを市議会に届けて奮闘。党大船渡市復興対策本部長でもある田中英二議員は、文字通り震災直後から復興・救援活動の先頭に立ってきました。
 党国会議員団の取り組みは今も絶え間なく続けられ、東北ブロック選出の高橋千鶴子衆院議員は震災後51回の国会質問で被災者の思いを届けてきました。

青空市 希望届けて100回

 「これで安心して正月を迎えられます」
 支援物資のもち米を手にした熊谷明美さん(38)が笑顔を見せると、日本共産党大船渡支部の新沼康利支部長が、「一緒に頑張ろうね」と声を掛けます。
 小雪が舞う冷たい風の中、同市富沢公園仮設住宅で12月18日午後開かれた、同党大船渡市委員会の無料「青空市」。全国から寄せられた米や食料品、衣類や日用雑貨などの支援物資を届けます。
 「この服似合うよ」と明るい声を弾ませながら被災者の肩に黒いコートをそっと掛けた同支部の田中君代さん(63)。被災者の女性も「こんないい服着たことない」と照れくさそうな様子です。そばにいた住民の和田久勝さん(67)は、「なんもかもしてくれて、ほんとありがたいねー」。
 支援物資が行き渡ると、あちらこちらで話の輪が。「地震の後に津波警報が1回だけ鳴って、着の身着のまま逃げた」「自営業の店が流されて、これからの暮らしがどうなるのか不安」などと被災時の様子が交わされました。
 「青空市」は4月27日にスタートし、この日は通算99回目。年内に100回を迎え、新年5、6両日に101回目の「記念市」などが企画されています。
 市内の仮設住宅で暮らす被災者は約1800世帯あります。富沢住宅は7世帯が暮らす小規模仮設で「青空市」が開かれたのは震災後、初めてのことです。
 「まだまだ支援の手が届いていない被災者は多い」と、党大船渡市議会議員で現地災害対策復興本部長の田中英二さん(63)。「いよいよ冬本番、仮設住宅での暮らしは最も厳しい季節になりますし、支援活動にも困難が伴います。ですが困っている人に寄り添う救援活動は日本共産党の活動の原点。苦しいときほど党の真価が問われます。すべての被災者の命と暮らしが守られよう支援活動を続けていきます」

国民の苦難軽減≠ヨ献身する姿
大阪から政治の暴走にストップ
取材を終えて

 「こんなところにまで来てくれたのは共産党だけ」。小さな仮設住宅前の広場で開いた無料青空市の参加者や、仮設住宅の大工ボランティアを受けた被災者たちが共通してこの言葉を口にしていたのが印象的でした。
 「共産党」の腕章を腕に巻いているものの、決して大きな声で共産党をアピールすることもない支部員らボランティアたち。自らも家族や家を失いながら、それでもなお被災者に寄り添って、復興の希望を語りかけようとする姿。国民の苦難軽減のために献身する≠ニいう立党の精神を体現した「全党の誇り」(日本共産党第3回中央委員会総会)との言葉を、身を持って感じさせるものでした。
 大船渡市で党内外の人たちがボランティア大工の岡野さんを「宝」と呼んだように、被災地の日本共産党の活動は、文字通り「宝」だと感じました。
 懸命の復興事業が少しずつ動き始める被災地ですが、被災者の生活実態はあまりにも厳しく、支援物資とて十分に行き届いているわけではありません。
 そんないま、野田内閣が「不退転」の決意でやろうとしているのは、年金・医療・介護など社会保障改悪とセットで消費税を10%に引き上げ、外国に日本市場を売り渡すTPP(環太平洋連携協定)に原発再稼働。まさに全国の地域経済を壊し、被災地の復興事業に冷や水を浴びせるものです。
 新しい年は、総選挙の可能性をはらんだ大きなたたかいの年になります。被災地の日本共産党の姿を見て、大阪から政治の暴走にストップを掛ける、そんな活動を大きく広げたいと決意を新たにしました。(高倉健記者)

投稿者 jcposaka : 2012年01月01日

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