編集長のわくわくインタビュー 橋下・維新とナチス 共通点は「右」からの現状打破と敵づくり ドイツ近現代史研究者 望田幸男さん
「民意」をかざして「大阪都構想」や首長が教育目標を設定する「教育基本条例案」などの強行を狙い、それらのファッショ的な政治を国政にまで広げようとしている橋下・大阪維新の会。その言動に対し、第2次大戦前に台頭したナチス・ドイツを想起するという人も少なくありません。長年、ドイツの近現代史を研究してきた歴史学者の望田幸男さんに、当時のドイツの様子や、橋下・維新をどう見るかなど聞きました。
(聞き手は佐藤圭子編集長) ――橋下・維新の会はナチス・ドイツ時代のヒトラー政権のようだという声が聞かれます。当時のドイツは、どんな状況だったんですか。 望田 ナチの正式名称は国民社会主義ドイツ労働者党です。1919年の結党当初は街頭一揆主義をとり、銃を持ってデモ行進したり、地方の行政幹部を拘束したりしました。ところが23年のミュンヘン一揆に失敗し、党首のヒトラー自身が獄中に放り込まれます。だが、これをきっかけに方向転換を図ります。 当時はワイマール共和国と言われた時代ですが、彼は、ワイマール憲法のような議会制民主主義の国においては、こういうやり方では政権、権力への道は開けないと考え、1926年頃から合法闘争中心に転換します。反資本主義、反ユダヤ主義、反共産主義、反自由主義などのスローガンを掲げつつ、状況で特定のものを強調し前面に出しました。反ユダヤ主義と結び付けて
勢力が小さいうちは合法闘争と並んで反資本主義を前面に出しました。例えば百貨店の前で、この百貨店によって周辺の商店街が非常に苦しめられていると演説し、それは、当時の社会民主党や共産党と変わりませんが、そこから後が違う。実はこの百貨店の資本家はユダヤ人だとして、反資本主義と反ユダヤ主義を結び付けるのです。
1928年の国会議員はまだ12議席でしたが、党勢拡大や世界恐慌の波に乗り、30年には一気に107議席、第2党に躍進します。注目すべきは、この時点から反資本主義よりも反共産主義の姿勢を前面に出してきます。
それまでナチスは財界との関係は希薄で、むしろ資本家は、ナチスの反資本主義的言動に不審感を抱いていました。しかし他方で彼らは、当時は社民党も共産党も前進し、ロシア革命からまだ10年ぐらいしかたっていない中で、深い危機感を抱いていました。そこで、そういう動きに対抗できる頼りになる勢力としてナチスが浮かんできました。こうした中でナチスは反共産主義を前面に打ち出し、財界もナチスに接近、豊富な資金が財界からナチスに流れ込み、32年には第1党となって党首のヒトラーが合法的に首相になりました。
ただし過半数には達していなかったので、その政権は保守・ナチス連合政権でした。しかし政権ができると、まず共産党、次に社民党を弾圧、さらに、すべての政党を禁止して、一党独裁体制をつくりました。
イメージ変化させ共感得る
31年から第2次世界大戦が起こる39年まで、ナチス政権は国民から圧倒的に支持されます。象徴的なのは、この政権が失業者500万人を解消したことです。再軍備と軍需産業の拡大によって、失業者を吸収したのです。そしていよいよ戦争に突入。このように、誕生から滅びるまで、ナチスは何回もイメージを変転させつつ、ドイツ国民の支持を確保していきました。
政治においては、真実とか政治的な誠実さが大切ですが、同時に人はイメージによって動かされるものだ、ということを知らなければなりません。しかも一つの政党でも状況によって、そのイメージは変転します。橋下・維新も、今後の状況の変化の中でイメージを変転させるかも知れない。全国政党化の中でどのような政治勢力と提携していくか、また「大阪都構想」などの具体化で、選挙中には大衆の目に映じなかった相貌も明らかになるでしょう。情勢の変化が橋下・維新にも逆流し、それまでとは異なった言動を見せてくる可能性もあります。
――「二大政党」への批判や閉塞意識が社会にあふれる中で、橋下・維新に「何か変えてくれそう」と期待を持っている人も少なくありません。
望田 一般的に保守・右翼は現状を保守するものですが、ある条件下では、「右」からの現状打破が功を奏することがあります。その体制の危機的状況の下、現状打破を標榜することで大衆の共感を集め、大衆の左傾化を押しとどめつつ、大局的には体制を守るというものです。
対立あおって抵抗勢力倒す
例を挙げると、1980年代の中曽根内閣は、「戦後政治の総決算」の名で国鉄民営化を行い、国鉄労組を解体させました。石原東京都知事が銀行に税金をかけると提案したこともあったし、「自民党をぶっ壊す」と言って登場した小泉内閣は、郵政民営化を実現するために、自民党守旧派=抵抗勢力という形で敵をつくりました。
橋下・維新も、体制維新を叫びつつ、大阪市職員、教職員、労組、既成政党、霞が関という敵を設け、対立をあおっています。現状打破を提案しつつ、妨げるものを敵として設定し、そこに恨みつらみを集中させていく。「右」からの現状打破論の常套手段です。
大阪市議会で先日可決された「君が代」起立斉唱条例や、大阪市職員への思想調査、教育や職員の条例案などは、彼の現状打破論が「右」からのものであることを実証しています。「大阪都構想」や道州制も結局、高度経済成長のために、大阪や近畿の財源を財界に集中化していく方策で、小泉内閣などと同じ新自由主義的な高度成長論の地方版にほかなりません。
――マスコミのあり方も問われています。
望田 ヒトラーも「ラジオなくしてヒトラーなし」と言われるほど、当時の最新のマスメディアの利用を工夫しました。マスコミの橋下的活用も目立ちます。マスコミは一方で、橋下支持=現状打破、橋下不支持=現状維持というイメージを滑り込ませ、他方で視聴率を上げるために橋下報道を追い掛け、報道することで橋下支持を広げるという構図にはまっています。こういうマスコミの責任への批判は大切です。しかし同時にマスコミの中で誠実に苦闘している人々への激励を忘れてはなりません。
新しい社会・経済体制示し
――今後、必要なことは何でしょうか。
望田 「大阪都構想」に反対すると同時に、それに対峙するものを示すことが大事だと思います。
例えばそれは、東日本大震災と原発事故の体験によって、広範な日本国民が新たに求め始めている方向だと思います。すなわち、大量生産・大量消費の高度成長を追い求め、そのために原子力エネルギーに依存するという日本から脱却すること。たとえつつましくても、落ち着いて日々暮らしていけるような日本ではないでしょうか。
そのためには新自由主義によってやせ細った福祉、医療、雇用、教育体制の再建と充実をポイントにした社会・経済体制が展望されるべきだと思います。
もちだ・ゆきお 1931年、山梨県出身。京都大学大学院博士課程修了。京都府向日市在住。ドイツ近現代史専攻。同志社大学名誉教授。非核の政府を求める京都の会・代表。主な著書は『ナチスの国の過去と現在』(新日本出版社)、『軍服を着る市民たち』(有斐閣)、『ふたつの近代―ドイツと日本はどう違うか』(朝日新聞社)ほか多数。(2012年3月11日付け「大阪民主新報」より)
投稿者 jcposaka : 2012年03月09日