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「修正」でなく必ず廃案に 憲法会議がパレード 大阪弁護士会が集会 秘密保護法 広がる反対の声 飛び入り、ネットで参加

2013年12月01日

 「秘密保護法案」が11月26日の衆院本会議で自民、公明、みんなの各党の賛成多数で強行可決されました。廃案や慎重審議を求める声が急速に広がる中での暴挙。「修正でなく廃案に」の声が連日、高まっています。  大阪憲法会議・共同センターが11月20日夜、緊急実施した秘密保護法案廃案をめざす緊急パレードには飛び入り参加も含め約200人が参加。横断幕やプラカードを手に、楽器を鳴らしながら、御堂筋に「知る権利を奪う秘密保護法案は絶対廃案に」と唱和を響かせました。  「子どもたちの未来を戦前のような暗黒の社会にしてはいけません」。四條畷市の山本啓一郎さん(65)はインターネットを見て参加。電球で目立つように工夫したプラカードを手に、「秘密保護法反対!」と沿道の市民にアピールしました。「政府の秘密を知った国民を逮捕するなんて許せない。国民に真実を知らせる政治こそ民主主義の基本です」と、飛び入り参加した会社員男性(36)は話していました。  出発前の集会で、大阪憲法会議の梅田章二弁護士は「廃案を求める国民の運動が国会を動かしている」と強調。日本共産党の清水ただし府副委員長らが決意表明しました。  大阪弁護士会が11月21日、大阪市北区の大阪弁護士会館で開いた「STOP 秘密保護法大集会」は、新聞やインターネットなどで知った市民も合わせて420人が参加。西浦克明副会長が、「危険な欠陥法案は、修正でなく廃案に」と訴え。クイズや寸劇映像などで、法案の問題点が紹介され、消費者団体、マスコミ労働者、市民など各分野からも廃案に全力を尽くす決意が出されました。  奈良市内から参加した女性(71)は「この法案は、市民運動を起こさせないため、私たちに向けられたもの。今でさえ必要な情報が公開されないのに、法案が通ればもっとひどくなる。憲法9条を変えることを先取りし、戦争の司令塔をつくるために通そうとしている法案は絶対反対」と話していました。

1日、2日にデモ
■戦争はイヤ!御堂筋パレード 1日(日)午後1時半から、中之島・女神像前で集会。2時15分ごろ出発し、難波までパレード。主催=大阪の憲法9団体。
■秘密保護法案反対デモ 2日(月)正午から淀屋橋で。午前11時半、大阪弁護士会館1階ロビーに集合。主催=大阪弁護士会。

治安維持法犠牲者 西川治郎さん(104歳)=貝塚市 物も言えず再審もできず

 私は戦時中に治安維持法で2回検挙されました。

決めつけて

 奉公先の商店主の影響を受け15歳の時、クリスチャンになった私は、牧師を目指しました。ところが日本が仕掛けた「満州事変」で、当時の指導者らが戦争を容認したため、日本戦闘的無神論者同盟の活動に参加し、治安維持法の弾圧で全滅した東京支部を再興させるために昭和7(1932)年9月、同盟の職員になりました。1回目の検挙は34年1月でした。32年には岩田義道、33年には小林多喜二が虐殺されました。
 検挙した警察は、党員ではなかった私を共産党だと決めてかかり、「こいつは天皇陛下に反対だから殺しても責任問われない」と言いながら、なぐるのを仕事にしていました。体を縛り付けられ、桜の棒で太ももをなぐられ、1週間から10日、痛くて立ち上がれないほどの拷問も受けました。 だけど何も出てこないから11カ月、警察を渡り歩き、南京虫で全身やられて皮膚が一膜取れたこともありました。真っ黒くなった部分は今でも残っています。
 裁判では刑2年と執行猶予3年になり、特高の監視付きで大阪に来て、製粉会社を興した実兄の仕事に加わりました。
 2回目の検挙は、アジア太平洋戦争開戦の前年、昭和15(1940)年の春です。当時、壊滅させられた日本共産党の再建運動が起きていました。私はビラを一枚もらったことはありますが、運動には参加していなかった。だけど運動の中心人物だと思われて検挙され、実刑2年で堺の刑務所に入れられました。
 当時の日本では、世の中のあれもこれもが共産主義者、天皇反対派に見られました。天皇陛下は大元帥、軍人ですから、日本の戦争に召集されたら名誉なことだと言う以外に表現の方法がありませんでした。新聞も大本営発表しか報道しませんでした。

法案は違憲

 日本が戦争できるようにするために築いたのが治安維持法であり特高警察でした。片っぱしから物を言えない状態にし、自分がなぜつかまったのか、どう言ったから駄目だというのがない。裁判も再審できなかったから、つかまったらつかまったきりでした。
 今出てきている秘密保護法案は、我々の生活を支えている憲法を変えようという企みで出てきている案ですから、法案を出すこと自体が憲法違反だと思います。関係の大臣が違反の限度も示せず、説明もできない。修正して出すなどと言っていますが、こんな法案は種も形も残さずに廃案にしなければなりません。
 戦争が終わって新しい憲法ができた時は、やっと戦争がない希望の持てる社会になると思いました。日本の憲法は世界に類のないもので、これをまともに進ませることが大事なんです。(2013年12月1日付「大阪民主新報」より)

投稿者 jcposaka : 2013年12月01日

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