新基地建設許さない 沖縄選出参院議員 糸数慶子さんが訴え 高槻母親大会で講演
11月30日に開かれた第58回高槻母親大会で、ことし7月の参院選・沖縄選挙区(定数1)で自民党を打ち破って「平和の一議席」を守り抜いた沖縄社会大衆党委員長の糸数慶子参院議員が駆け付け、「沖縄の風よ・薫れ」と題して講演しました。
県民が選んだ平和の一議席
一貫して沖縄の米軍基地の整理・縮小、将来は米軍の撤退による全面返還を訴えてきた糸数さんは、参院選で日本共産党、社民党、生活の党、みどりの風の推薦を受けて3選を果たしました。
「地元では『巨象に立ち向かうアリのたたかい』と言っていたのです」。参院選をそう振り返って話を切り出しました。
自民党は安倍晋三首相が3回も沖縄入りしたのをはじめ、防衛大臣と外務大臣以外の全閣僚、議員、秘書らが応援に来るという異例の選挙戦に。「憲法を守る沖縄の野党が共闘し、しっかりとした信念と公約を掲げたたたかいだからこそ勝てました」と糸数さん。
自民候補は名護市辺野古への新基地建設について「県民の世論に委ねる」などとごまかす中、「どれだけ安倍さんや閣僚が来ても、私が勝った。当然のことだと思います」ときっぱり語りました。
秘密保護法と沖縄戦の現実
糸数さんは1947年、読谷村生まれ。母親大会の参加者約130人を前に、「皆さんと共有したいのは、知る権利。間違った情報が、どれほど人々の生死に関わるかということです」と、沖縄戦当時に読谷村の2つのガマ(自然洞窟)で何が起きたかを話しました。
「チビチリガマ」には130人が避難しましたが、満州事変に従軍した在郷軍人の主張で集団自決。そこから2`離れた「シムクガマ」では、ハワイ移民を経験した住民が「命どぅ宝(命こそ宝)」と1千人の避難者を説得したといいます。
「情報が閉ざされ、大本営は『日本は勝っている』と発表する。教育では国民は天皇の赤子(せきし=子ども)で、捕虜になるのは恥だと教えられました。チビチリガマでは母親が乳飲み子を、年頃の男の子が家族を死に追いやったかと思えば、シムクガマでは全員助かったのです」と糸数さん。秘密保護法は絶対に許せないと話しました。
平和を伝えるバスガイドに
糸数さんは高校卒業後、バスガイドになりましたが、沖縄戦の戦跡案内で「お国のために勇敢に戦った」などと「美談」を語るように作られた会社側のテキストに疑問を感じるように。会社には隠して、研究者を交えた勉強会をガイド仲間と一緒に開き、「平和バスガイド」の活動を始めました。
糸数さんは、沖縄戦での母親の体験を、その死後に親戚から聞かされました。父親は防衛隊として戦場に。身重だった母親は子どもや祖母たちと北部に向かい、避難壕で女の子を出産しましたが1週間で亡くなり、3歳の長男も栄養失調で亡くなりました。
「母は息子の死を受け入れられず、遺体を背負って何日も山にこもりました。引き離して埋葬しても、母が掘り起こし、『お父さんが帰ってきたら、おもちゃを買ってあげる』と遺体に話しかけたそうです。母は生前、このことを決して語りませんでした」
「母の体験を世の中のお母さんに繰り返してほしくない」と糸数さんは「平和バスガイド」の活動にさらに力を入れ、92年から沖縄社会大衆党公認で県議に。2期目からは県でも平和ガイドの要請に乗り出すようになりました。
基地めぐって重大な岐路に
2004年の参院選で革新統一候補として当選した糸数さんは、06年には沖縄県知事選に挑戦し、07年の参院選で再選。先の参院選での当選直後に「民意の勝利。新基地を辺野古につくらせない」と語りました。
米軍普天間基地(同県宜野湾市)について沖縄選出の衆院議員は全員、昨年末の総選挙で「県外移設」を公約。ところが自民党の沖縄選出国会議員・県議は、安倍政権の圧力に屈して、公約を撤回。名護市辺野古への新基地建設を許さないたたかいは、重大な岐路にさしかかっています。 「問題はこれから」と力を込めた糸数さんは、日本政府の辺野古沿岸部埋め立て申請を許可しないよう仲井真弘多知事を激励するはがき運動や、名護市長選(来年1月)での稲嶺進市長の再選へ支援を呼び掛け。 「世の中捨てたものではない、本土の仲間たちと平和を守ることができると、きょうの集まりのことも沖縄に帰って伝えたい。個人個人を尊重する人権の視点をなくした安倍政権とのたたかいでも、高槻の皆さんと一緒に行動できます。私も国会で頑張ります」と締めくくりました。(2013年12月8日付け「大阪民主新報」より)投稿者 jcposaka : 2013年12月08日