東中光雄さん死去 元共産党衆院議員
2014年08月24日
日本共産党の元衆議院議員で、中央委員会名誉役員、弁護士の東中光雄さんが7日、大阪市都島区内の自宅で、肺がんのため死去しました。90歳でした。
1924年、奈良県生駒郡生まれ。41年、海軍兵学校卒業後、海軍中尉、特別攻撃隊長に。出撃することなく終戦を迎え、戦後、同志社大学に入学し、51年から弁護士として活動。日本民主法律家協会設立以来、理事を歴任しました。
1951年8月、日本共産党に入党し、大阪府法規対策部長、党中央委員、名誉役員など歴任。69年12月から衆議院選挙に連続10回当選(旧大阪2区から9回、96年総選挙は比例近畿ブロックから)。71年以降、衆議院国会対策副委員長を務めるとともに、内閣、安保、予算の各委員会、公害、政治改革の両特別委員会などの委員を歴任。27年間、議員運営委員・理事を務めました。
安保条約反対、平和憲法を守る論陣で歴代首相と対決するとともに、自らの戦争体験と平和への思いを戦後世代に語り続け、『東中光雄という生き方―特攻隊から共産党代議士へ』(清風堂書店)にもまとめました。
東中光雄さんの葬儀は密葬として行われました。「偲ぶ会」が行われる予定です。
頼れる国会の重鎮
不破前中央委員会議長が弔電
東中光雄さんの訃報を受け、日本共産党の不破哲三元中央委員長議長、社会科学研究所長が、長女で喪主の植木佐智子さんに次の弔電を送りました。
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東中光雄さんの訃報を受け、思わず四四年前の70年1月、国会で初めて顔を合わせたその瞬間を思い出しました。現職議員四人に新人一〇人、二〇年ぶりの二桁議席でした。まだ国会特有のルールも、活動の段取りもよく判らない新人同士でしたが、新たに開かれた展望の大きさとそこでの責任の重さを互いに感じながら、握手を交し合ったものでした。
それから三〇年余、政治情勢と政党配置は目まぐるしく変わり、難局にもしばしば直面しましたが、東中さんは、どんな場合にも頼りになる国会の重鎮として、活動の先頭に立ちました。その活動の実績は、いまも私たちの国会活動のなかに生きた力を発揮しています。ご遺族のみなさまに心からのお悔やみを申し上げるとともに、三〇年余の間、国会でともに組んでたたかってきた同志の一人として、東中さんへのお別れの挨拶を送るものです。
不破哲三
(2014年8月24日付「大阪民主新報」より)
投稿者 jcposaka : 2014年08月24日