2020年07月18日
大門実紀史の国会レポート
「づぼらや」閉店は自己責任か
「新世界のづぼらやで~♪づぼら連中集まって~フグフグフグ♪」という歌詞が今も耳に残っています。私が子どもの頃、関西のテレビではひんぱんに流れていた大阪・新世界のフグ料理店『づぼらや』のCMソングです。
づぼらとは、だらしないという意味ですが、「あいつは、人は良いのだが、づぼらで困る」と使われるように、どこか憎めない人のことを表します。そんなづぼらな大人たちが昼間から集まって割安のフグ鍋をつついている姿を思い浮かべると、子ども心にもなんだか可笑しくて、自分も大人になったら『づぼらや』に行こうと心に決めたものでした。
その『づぼらや』が新型コロナウイルスの影響で経営が悪化し、今年9月で閉店すると聞きました。残念でたまらず、先日、『づぼらや』の名物、巨大なフグの張り子の看板を見に行きました。関係者によれば、「大勢で鍋を囲むスタイルは『密』を避けられず、再開の見通しが立たない」とのこと。けれど鍋を囲む「密」こそ庶民文化の象徴。持ちこたえて欲しかった。
自民党の中には「コロナ禍に耐えられない事業者はこの際つぶれても仕方がない」という自己責任論が根強くあります。この点は維新も同じ。しかし世界的な感染症が襲いかかっている時まで、国民は自己責任を問われなければならないのか。むしろ今問われるべきは政治の責任ではないのか。「自己責任なんて聞き飽きた」、風に震えるフグの張り子がそう叫んでいるように見えました。(だいもん・みきし 参院議員 第3週掲載)
(大阪民主新報、2020年7月19日号より)