時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第50話 第2期黒田府政の樹立

「逆流を打ち破る」

 1975年1月17日、なんば府立体育会館での「新春文化祭」(日本共産党と民青同盟大阪府委員会が主催)。あいさつした黒田了一知事は、「真の意味での革新勢力の躍進の年、革新を阻む逆流を乗り切ることの喜びを味わう時が数カ月のちに迫っている」と力強く語りました。
 「明るい革新大阪府政をつくる会」は脱落した社会党府本部、大阪地評などに門戸を開きつつ、1月24日に6団体で「会」を再開します。2月4日には「革新大阪府政をすすめる各界連絡会」が結成され、両会は2月11日、「黒田知事をはげます大集会」を1万5千人の参加で開催。黒田知事が再出馬を表明します。
 社公民3党は竹内正己(桃山学院大学学長)、自民党も湯川宏(元副知事)の擁立を決めます。菅野和太郎自民党府連会長は「黒田打倒の本体はわれわれで、社公民は応援部隊である」(「朝日」2月5日付)と語りました。
 3月9日に3万人を集めた「府民総決起集会」に来阪した宮本顕治共産党委員長は、記者会見で「ここで勝利するならば、自民党と、その低落傾向をふせぐ役割をもつ反共社公民連合の企ては重大な打撃をうける。全国的にも大きな影響を与える。真の革新勢力がここで絶対勝利しなければならない」とのべました。

「くじら御殿」の衝撃

「くじら御殿」をスクープした「赤旗」日曜版(75年4月6日付)

 知事選では、「解同」朝田派による逆流とのたたかいも大きな焦点でした。
 74年11月、「解同」は「解放教育」をおこなわなかったとして兵庫県の八鹿高校の教職員を襲撃し、58人もの教職員に重軽傷を負わせる事件までおこしました(八鹿高校事件)。
 知事選のさなか、75年4月6日付の「赤旗」日曜版1面記事、「鯨が泳ぐ 自家用ヘリつき別荘 『解同』朝田派 海原御殿」(和歌山県・大地町にある3億円の別荘)も衝撃でした。
 「解同」幹部の同和建設業者が利権を独り占めし、「クジラとイルカ6頭」(エサ代は1日15万円!)を飼育。所有していた「1500万円の自家用ヘリ」も写真付きでスクープされました。この内容がビラで配布されると、その乱脈・不公正ぶりとこれにくみする社公民連合への怒りがあふれました。

「日本共産党がガバナーを持った」  

 三つ巴の激しいたたかいでしたが、4月14日午前11時、梅田新道にある黒田事務所では菅生厚「明るい会」事務局長が勝利宣言。雨あがりの御堂筋に「ウォー」と歓声が響きます。

黒田了一 149万4040
湯川 宏 104万370
竹内正巳 94万7664

 日本共産党大阪府常任委員会は「府民は黒田知事を再選することによって、革新府政を転覆し大企業本位の府政復活をねらった自民党と財界の意図をうちくだいた。また、自民党、財界と手をむすび、『解同』朝田派の暴力と不公正を容認する府政を実現しようとした社公民連合の意図をも阻止し、府民本位の第2期黒田革新府政を実現した」「逆流は本流にとってかわれないことを見事に証明した」と声明をだします。
 メディアは「大阪府民は、一昨年、参院補選の自共対決で共産に軍配をあげたのに続いて、また、日本の政治史に記録される新しい選択をした。共産党単独与党の知事が、初めて、しかも日本の代表的な大都市・大阪で誕生したのである」(「朝日」4月14日付夕刊)とのべ、UPI通信は「日本共産党が、史上初めて自らのガバナー(知事)をもった」と世界に発信しました。(次回は「府政に涙とロマンを」です)

(大阪民主新報、2021年7月1日号より)

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