時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第63話 反トマホーク展

「大展示会」に5万人

梅田貨物駅跡地で開かれた「反トマホーク展」。案内係やステージ、コーナーなど、青年が主体的に取り組んだことも特徴でした

 80年代なかば、米ソによる核軍拡競争が激しくなるなか、日本が核戦場にされる危険が現実のものとして迫りました。「悪魔の核巡航ミサイル」と呼ばれる「トマホーク」が、米太平洋艦隊に1984年6月から配備されると発表されると、大阪原水協や安保破棄実行委員会など各団体が、「トマホーク配備反対」を訴え、運動を強化します。
 その合流点として84年5月12・13日、梅田貨物駅跡地で、「核トマホーク来るな!大展示会」を開催します。敷地は甲子園球場の1・7倍の広さ。「核トマホークのすべてが分かる250mの展示トンネル」、映像と音と光を駆使した「アトム・パビリオン」、草の根の反核ミュージシャンが集うイベント舞台、反核シネマが上映される映像展示館、「1万人ディスコ・パーティー」など若い力が爆発する青年学生コーナーなど、多彩な企画・催しが展開されます。
 2日間に5万人が参加。多くの府民に核の恐ろしさを伝えた画期的な展示会となります。メディアも、「模型ミサイル10数基、展示、パネル、写真、ビデオ、スライド音響などで立体的に核兵器の恐ろしさと平和の尊さを訴える」(「読売」)と企画内容まで詳しく報道しました。

青年が大きな役割を果たした     

 運動の大きな一翼を担ったのが青年学生でした。明るい革新日本をめざす中央青年学生連絡会議が呼びかけた「反核アトム運動(核戦争ノー、アンチ・トマホーク青年学生総行動)」では、反核運動を全青年規模へと発展させるものとして「アトムの会」の結成が提起されます。
 大阪青学連はいち早く、「トマホークくるな!くらしと健康を守れ!青年行動強化期間」を設定。「3人寄れば、アトムの会」を合言葉に、各地に「アトムの会」を結成し、「反核ソフトボール大会」「スケート祭典でアンチ・トマホークの場としてアピール」などに取り組みます。民青府委員会の寺下正一は、「阪南地域のある高校で『アトムの会』を84人に広げ、『折り鶴運動』に全校生徒の半数近くの600羽以上が集められた」と府党会議で発言しました。
 大阪青学連事務局長だった平井一隆は、「実物大のトマホークをつくってくれる業者を探して展示すると、大注目。民青の各県委員会から『うちもつくりたい』と問い合わせがあり、たくさん注文をとりました」と語ります。日本共産党大阪府委員会は、「反トマホーク展や反核アトム運動をつうじて青年学生対策の強化をはかっていく」「反核・平和をとおして生きがいを見いだしていこうという観点でおおいに青年の中に」(菅生厚副委員長)と重視しました。

アピール署名が府民過半数に     

 85年に入り、大阪でも「核戦争阻止、核兵器廃絶」を緊急課題とするヒロシマ・ナガサキアピール署名の「府民過半数」にとりくもうと、革新懇や原水協などの提唱で実行委員会が結成されます。署名は5年5カ月かけ、1990年7月30日、ついに428万5791筆を達成しました。また「非核・平和都市宣言」運動が提起され、大阪府と大阪市以外のほとんどの自治体が採択するにいたります。
 さらに政府に対し非核日本宣言を求めていく「非核の政府」の運動が提唱され、「非核の政府をつくる会」が全国でも、大阪でも結成されていきます。(次回は「86年衆参同時選挙の勝利」です)

(大阪民主新報、2021年9月26日号より)

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