時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第68話 大阪労連の結成

ここから、いまからはじまる     

大阪労連結成大会では、結成ソング「すばらしい人生」(すずききよし作曲・みねけいご作詞)や「がんばろう」などの労働歌が響きました=1989年11月9日、大阪市天王寺区内

 1989年11月9日、全大阪労働組合総連合(略称・大阪労連)が結成されます。33単産・単組、43地域別組合、16万1400人の構成員、議長に一法真證・大阪衛都連委員長、事務局長に岩佐敏明・化学一般関西地本書記長を選出しました。
 どよもすうたごえ、揺れる組合旗――大阪における労働運動の新しい歴史が、熱気が満ちあふれるなかでスタートしました。結成ソング「すばらしい人生」は、♪起き上がるときは今 スクラムを組もう♪――と高らかに歌いあげるものでした。結成大会のスローガンは、「ここから、いまからはじまる」でした。

階級的ナショナルセンターへ     

 労働戦線で「資本からの独立」「政党からの独立」「労働者の要求の一致にもとづく行動の統一」の3つの原則にたつ新しい階級的民主的ナショナルセンターの確立の方向を提唱したのは80年の日本共産党第15回党大会でした。
 この大会で大阪の労働戦線について発言した府委員会の福井駿平は、「大阪総評は、71年の知事選では曲がりなりに一定の役割を革新の側に果たしたが、その後、関西財界や自民党の圧力に屈服、労働者の要求を抑圧、労働戦線の分裂、ついには革新府政の転覆と、重大な裏切り・反動化へと変質した」「この反共・反革新の地評とたたかうなかで大阪統一労組懇は、組織的にも11万人から15万人へと大きく前進・成長をとげた」とのべました。
 労働戦線の右翼的な再編のなかで、87年の同盟解散――全日本民間労働組合連合会結成をへて、89年11月には総評系官公労の一部などを吸収し、日本労働組合総連合会(連合)が発足します。これに抗して89年11月、労働者、国民の生活と権利を擁護し、平和と民主主義の日本をめざしてたたかうナショナルセンター――全国労働組合総連合(全労連)が結成されます。
 大阪労連結成大会で、一法は、「『連合』は、政府・財界の21世紀戦略を遂行するためにつくられた組織」「私たちのナショナルセンターは、平和・民主主義、生活向上を願う私たち労働者が自らの要求実現のために、自らの意志とたたかいによってつくる本物の労働組合」「出発は『連合』よりも少数であっても将来必ず労働者の多数を政策的にも組織的にも結集できる」と訴えました。

新たな労組の立ち上げ        

 大阪労連結成後、大阪市役所では90年7月、大阪市役所労働組合(市労組)が結成されます。大阪市職が、「自治労が決定したから」と「連合加盟」を合理化します。88年の市職大会で、総括討論に立った永井守彦(大阪市労組初代委員長)は、「もし、自治労3原則が貫徹されないまま連合に行くなら、残念だが、ナショナルセンター選択の権利を行使するのに、躊躇するわけにはいかない」と発言しました。「分裂する気か」「本気か」などのヤジとざわめき。組合員権停止、懐柔、脅迫などのありとあらゆる妨害を乗り越え、「自治体労働者としての良心と尊厳をかけて、守るべきものは何か」「人間らしく生きたい」と、自らの生きざまをかけた一人ひとりの選択でした。
 大会あいさつで永井は、「私たちの後ろには、心ある多くの市役所労働者の期待があり、市民の皆さんや友誼団体の期待、友情、連帯があることに大きな確信をもとう」と訴えました。
(次回は「ソ連共産党の解体」です)

(大阪民主新報、2021年11月21日号より)

 

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