時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第75話 大正区、定数1の府議補選勝利

ノック府政の破たんのもとで     

 1996年総選挙での躍進は、日本共産党を見る目を大きく変えました。
 2月、不破哲三委員長を大阪城ホールに迎え、1万人以上が参加した「日本共産党躍進のつどい」。ゲスト出演したジャーナリストの大谷昭宏は「日本の政治は局部の手術では治らない。国民が主役という日本共産党のやり方でないと、ろくな国にならない」とエールを送ります。メディアでも「共産党の『異議申し立て』は民主主義の健全な機能として、いまや貴重である」(「毎日」5月11日付社説)などの論評が目立ちました。
 一方、大阪府政においては横山ノック府政が転機を迎えていました。老人医療制度の改悪を策す一方、「関空関連事業」の一つ、「泉佐野コスモポリス」事業で、登記簿のない土地を3億7千万円で買収するなど疑惑だらけの姿が明るみにでて破たん。その処理に184億円もの税金を投入するという知事案が97年3月、府議会全会一致で否決されるという「府民の勝利」が記録されます。

共産党への期待、一身に       

古堅実吉衆院議員(左から2人目)の応援を受けて支持を訴える小谷みすずさん(その右)=97年6月1日、大阪市大正区内

 現職府議がピストル自殺するという衝撃的な事件によって97年5月30日告示で、定数1の大正区・府議補選がたたかわれたのは、こうした政治情勢のもとでした。
 「千載一遇のチャンスや」と、候補者・小谷みすずの背中を押したのは、自らも定数1の補選に勝利し、大阪市議会に送り出された矢達幸でした。小谷は、福祉・医療の現場で22年間働き、91年・95年府議選でチャレンジしてきました。
 「足が震えるかもしれない。でも私は府議会の壇上で、机を叩いて横山ノック知事に訴えたいのです。老人医療を守れ! と」――小谷は渾身の訴えを繰り広げます。ノック府政が「りんくうタウン」などゼネコン浪費に投じる年間400億円を別に使えば、老人医療無料化制度は継続でき(300億円)、福祉見舞金を復活し(11億円)、府立高校授業料など公共料金値上げを中止できる(15億円)など、具体的な政策をかかげます。
 情勢の変化はリアルでした。ある会社の社長が小谷の宣伝カーに、「うちは社員20人いる。ビラ20枚くれ」とかけよりました。
 「大阪で日本共産党が第一党になる初仕事、第一歩に」――大正区を担当する港地区委員会の党と後援会合同決起集会で府委員長・菅生厚が檄をとばし、大正区党組織はもとより、府党をあげて挑みました。
 6月8日の投票日、小谷は1万914票を獲得。新進・公明と自民の両候補を寄せ付けず、見事な勝利をなしとげました。

1人区での連続当選

 小谷はその後も、2007年まで4回、1人区での勝利を続けます。
 「1人区でなぜ勝てた?」。小谷は語ります。「あの人は自民党支持、この人は公明党支持なんて思わず、本当にすべての有権者に気持ちが伝わるように訴えた」「最後は反共攻撃なんで、みなさんといっしょにがんばるのが日本共産党と、日頃から知っていただくことを大事にした」。
 96年11月には旭区の大阪市議補選でわたし考一が勝利。98年3月には西淀川区の市議補選でも北山良三が自民党候補に圧勝。99年いっせい地方選挙では大正区とともに定数1の港区で西原みゆきが勝利。地方選での躍進が続きます。(次回は「98年参院選の躍進」)

(大阪民主新報、2022年1月16日より)

 

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