時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第96話 大阪市・住民投票勝利(2015年)

公明党の裏切り  

 「公明党が寝返って、“住民投票までは行く”ことで維新と合意した」――それは2014年のクリスマスにもたらされた仰天情報でした。
 維新が狙う「都構想」への道は、その「協定書」を議論する「法定協議会」の舞台でも、八方ふさがりでした。12年2月から何回議論を重ねても、制度設計どころか、提案された4つの「区割り案」を一つに絞ることもできない。業を煮やした橋下徹は14年2月、いったん市長を辞職して、再び立候補する「出直し市長選挙」の奇策に出ます。野党各党は相手にしない「独り相撲」でしたが、「当選」するや「民意を得た」と、野党「法定協委員」をすべて差し替える暴挙にでます。それで「法定協」では「議決」を強行します。しかし、前年末の「泉北高速鉄道売却」問題で造反を生み、維新の過半数を失っていた大阪府議会でも、もともと過半数のない大阪市議会でもきっぱり否決されます。
 それが官邸仕込み、創価学会本部経由の働きかけで、大阪の公明党府・市議団が一夜にして「住民投票は賛成」に変わったのです。その直後、12月30日に「法定協」が再開され、否決されたものと同じ「協定書案」がだされ、翌年3月、府・市議会で、維新・公明多数のもとで「可決」にいたります。

「オール大阪」の陣 

大阪市地域振興会や大阪市商店会総連盟、市民団体、各党など27団体・5千人が党派や立場の違いを超えて集まった「大阪市をなくすな!5・10市民大集会」=2015年5月10日、大阪市北区

 「住民投票」は15年5月17日投票と決まります。4月の統一地方選挙直後から、維新以外の「オール大阪」の政党、団体、市民の結束が広がります。公明党も、「住民投票実施には賛成したが、都構想には反対する」という態度をとりました。
 「公明党の態度は晴天の霹靂でした。でも、公明党市議団も悔しかったのでは。私たちは『法定協だより』にも野党各党の反対意見表明をのせてつくりました。橋下市長が最後に『ダメ』というので、幻になりましたが…。4会派で何度も共同会見を開きました」。日本共産党市議団幹事長、法定協委員として論戦の先頭にたった山中智子は語ります。
 4会派のスクラムは、「ムダな二重行政はありません」「変えるべきは『制度』ではなく『政策』です」と訴えた自民、公明、民主、共産4野党56市議連名の「住民投票・共同公報」へと結実します。
 5月10日には史上初めての「自民、共産、民主合同街頭演説」がおこなわれ、その午後には扇町公園で、大阪市地域振興会、商店会連盟、医師会、商工連盟と4野党の議員、元議員が一堂に会する集会が開かれました。
 維新は「5億円を注いだ」といわれる「金権住民投票」ぶりでした。全国から宣伝カーや運動員を動員し、告示後の21日間、ほぼ連日で市内全紙に折込ビラをいれ、テレビCMを連打。「橋下徹です。住民投票では賛成を」と録音が流れる無差別電話も市内全域に入れました。
 「明るい民主大阪府政をつくる会」「大阪市をよくする会」は「共同闘争本部」を組み、毎週の全戸配布や「大阪都ホント まるわかりパンフレット」の発行、10連打した「日刊I LOVE OSAKA」ビラの全駅頭宣伝で論戦を展開します。ポスター、プラスター、ポテッカーは垣根を越え、市民共同で活用されました。市民一人一人が手作りビラ、手作りプラカードを手に街頭にたつ姿が目立ちました。
 論戦が進むにつれ、維新は守勢に陥りました。最終盤、橋下は「僕のことはキライでもいい。でも、大阪がひとつになるラストチャンスなんです」と叫びました。
 「住民投票」では、投票日も宣伝・対話が自由でした。投票箱のフタが閉まるぎりぎりまで、365の全小学校区、すべての投票所前で、広範な市民とともに、「会」が発行したパンフレットの配布やプラスターをかかげての活動がすすみました。

「橋下政界引退」へ 

票数は賛成多数のまま速報で流れた「反対多数確実」=2015年5月17日午後10時半過ぎ

 住民投票結果は、賛成69万4844、反対70万5585。実に1万741票差。率にすると0・8ポイントの僅差で、「都構想ノー」の審判が下されました。
 開票日の夜。日本共産党大阪府委員会事務所には、ともにたたかった「明るい会」「よくする会」幹部もそろい、2階の部屋で固唾をのんで開票速報に見入りました。いつまでも「賛成多数」が動きません。午後10時33分、数字はなお賛成多数のまま、テロップで「反対多数確実」と流れました。大きな歓声と拍手が沸き起こり、涙、笑顔のるつぼに。興奮さめやらぬまま勝利会見が始まりました。敗北した維新。橋下はさばさばとした表情で、「政界引退」を表明します。
 「住民投票」の勝利は、「大阪都」構想による「大阪市つぶし」をストップさせた点でも、それまでの「維新政治」に対する市民の審判が下された点でも、住民投票で築かれた「反維新」の「市民共同」が、大阪の政治の流れを前向きに転換する展望を開いた点でも、歴史的な意義をもつものでした。(次回は「市民と野党の共闘の広がり」です)

(大阪民主新報、2022年6月19日号より)

 

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