おおさかナウ

2015年07月07日

みんなの願いを国会へ わたなべ結物語⑤

就職氷河期 仲間と苦しみ乗り越え

人間らしく

 「人間らしく働きたいと願う私たち若者を苦しめる政治に対し多くの仲間と一緒に声を上げていきます。目の前の困難な現実から目を背けないで、理不尽な社会を一歩ずつ変えていく、そんな人間らしい、そして自分らしい生き方を貫いていきたい」。
 深刻な非正規雇用や若者の働く実態を告発するわたなべさんは、格差社会の中で生きづらさを感じる若者と同じ目線で語り掛けます。
 その原点は、自らが派遣や請負、アルバイトなど不安定雇用で働いた実体験にありました。
 “未来に希望の持てる社会を”――同世代の若者が切に求める要求は、等身大のわたなべさんのあふれる願いそのものなのです。

就職氷河期の中で

 2003年春。タイ留学から帰国して就職活動を始めたわたなべさんを待っていたのは厳しい就職難の現実でした。
 1991年をピークに有効求人倍率は低下し続け、2000年に1倍を切り、景気の底と言われる2002年に過去最低を記録。大卒生の就職率はとりわけ深刻で、91年の81・3%をピークに下降し03年に55・1%と最低記録を更新。「ロストジェネレーション」という言葉を生んだバブル崩壊後、「就職氷河期」の中でも最も深刻な時期でした。
 「自分は社会に必要とされているのか?」「内定をとれない自分は駄目な人間なのか?」。履歴書作成にものすごいエネルギーを費やし、競争の中で商品のように自分を企業に売り込むことに強い違和感を抱き始めました。
 わたなべさんは、大多数の就職活動中の学生と同じような悩みと苦しみを感じながら、「就職難に泣き寝入りしない女子学生の会」のメンバーとして、労働基準法など「働く」ことをテーマに仲間と一緒に学習を続けていきます。

励まされて

 「わたなべさんを初めて見たのは高3の夏。自分の意見をはっきり持った先輩だと感心したことを覚えています」。石村真梨子さん(33)は住吉高校在学中、卒業生を迎えた講演会で当時大学1年生のわたなべさんが語る受験生へのアドバイスを鮮明に覚えていました。
 そして数年後、「就職難に泣き寝入りしない女子学生の会」であこがれの先輩と再会。
 「結さんは、仲間と学習すると元気が出ると言って、『女子学生の会』の活動をとても大切にしていました。私たちの世代は誰もが困難な就職活動で苦しみましたが、『自分を見失わないで』と一歩前を見た結さんのアドバイスがあったからこそともに乗り越えることができたと思っています」

派遣労働が原点

 2004年。大学を卒業したわたなべさんは、日雇い派遣労働者として働き始めます。人材会社による中間搾取で派遣労働者の給料が最低賃金並みの実態に置かれている現実などを知りました。
 その後、大阪市内の大手印刷会社で印刷物の校正作業を担当。待遇は時給制のアルバイトでしたが、職場には派遣や請負など雇用主も雇用形態も異なる非正規労働者が多数。ここでもわたなべさんは非正規労働者の弱い立場を痛感します。
 「昨日まで同じフロアで顔を合わせた人が突然雇い止めで姿を見せなくなることもありました。結局、人を選んでいるのは派遣を受け入れる側の親会社です。もし正社員だったらこんなに簡単に首切りできないのにと、くやしい思いもしました」
 そしてわたなべさんの心を揺るがす事件が起きました。同じフロアで仕事をする1人の女性労働者が雇い止めされたのです。

立ち上がる青年たち。前列真ん中が結さん

立ち上がる青年たち。前列真ん中が結さん。

2000年代。働く青年の実態改善を求めて開かれた集会・デモ。大阪だけでなく東京でも行動するわたなべさんの姿がありました。

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