2022年11月12日
大阪民主新報に見る
統一協会(勝共連合)とのたたかい⑥
勝共府後援会に自民議員ズラリ
1978年春の京都府知事選挙で、自民党林田府政を実現したのは自分たちの力だと呼号した勝共連合は、7月の天王寺駅頭宣伝で、「京都で勝共連合は勝つことができた。こんどは大阪で共産党の知事を倒す」と公言しました。
79年3月10日付大阪民主新報では、「統一地方選を一里塚として」(機関紙「思想新聞」1月1月号)位置付けた勝共連合が、「『共産主義は間違っている』と訴え続ける国際勝共連合の青年たちを支え、共に国家の危機に対処すべく」、「国際勝共連合大阪府後援会」(後に大阪勝共推進協議会と改称)を結成したことを紹介。当時の自民党議員が後援会に深く関わっていたことを暴露しています。
同後援会の「入会案内」には、中山福蔵元参院議員はじめ、顧問に塩川正十郎、中山正暉、佐藤惠、木野晴夫各衆院議員が、洪萬大阪華僑総会会長と共に名前を連ねていました。また、78年まで中山氏が会長を務め、3人の副会長も自民党の府議、大阪市議、元府議だったとし、右翼も役員についていたと報じています。
「大阪勝共通信」(78年1月号)では、「民主主義と共産主義は不倶戴天(ふぐたいてん)の敵にして、私達は決して安易な妥協をしてはならない」(中山会長)、「共産党知事に大阪府政をまかせている間は大阪府の立体的発展はありません」(小島純広副会長・府議)は、「共産党を反省せしむるには、国政選挙はもとより地方選挙に於いても彼らを落選せしむることが肝要」(大西保三郎副会長・大阪市議)と、勝共連合の〝協力〟をあからさまに訴えていました。
(大阪民主新報、2022年11月13日号より)