支援学校 環境改善へ
深刻な教室不足、貧弱な医療サポート
繰り返し声を届け要求 こじ開ける日本共産党
2府議とも初質問で取り上げて
児童・生徒が増える一方、新校整備が進まず過密状態が続く特別支援学校。日本共産党の石川たえ・うち海公仁両府議の、府議会での初質問はいずれも支援学校の教育環境改善を求めるものでした。
石川氏は2015年に初当選。この年度から支援学校に、高度な医療的ケアを行い他の看護師や教職員の指導や援助なども担う「高度医療サポート看護師」が、大阪でも配置されました。全国では300人以上。しかし府内では、たった1人でした。
石川氏は質問に先立ち、箕面支援学校を訪れました。
酸素ボンベやAEDが並ぶ学校
校内にはアンビューバッグ(呼吸停止時にマスクを顔に密着させ換気を行う医療機器)や自動体外式除細動器(AED)などを詰んだ緊急カート、交換用の酸素ボンベがすぐに使用できる状態で並んでいました。
府内でたった1人の高度医療サポート看護師は、医師のいない学校現場で、子どもたちがいつ急変するか分からない極度の緊張の中、一日中走り回り、「時間がいくらあっても足りない」と涙ながらに石川氏に訴えました。
人工呼吸器を常時使用している生徒を登校から下校まで見守り、医療機器を管理し、他の看護師や職員、時間外の医師との連携も担います。医療ケアの方法は、可能な限りそれぞれの家庭に合わせます。学校では病院と違い、子どもたちが落ち着いて授業を受けられるようにするためです。
勤務時間は1日7時間で月20日間と常勤に近いのに、雇用形態は非常勤です。
看護の問題ではなく教育の問題
「看護の問題ではなく教育の問題だ」。石川氏は同年10月の府議会教育常任委員会で、支援学校の看護師増員や雇用形態の見直し、高度医療サポート看護師の配置人数を抜本的に増やすよう求めました。松井一郎知事(当時)も検討すると応じました。
それから毎年、石川氏はこの問題を取り上げました。16年には常勤の看護師が雇用されるように。主治医訪問や校内会議への参加など、それまで困難だった放課後の業務も円滑に行えるようになりました。
17年に石川氏が招かれた支援学校の卒業式では、重度障害のある卒業生がポーズをとって、後は頼んだぞとばかりに在校生とエールを交換。卒業生は楽しかった学校行事に修学旅行を挙げました。泊まりがけの校外授業は障害のある子どもには難しく、現場の看護師たちの努力なくして成し得ませんでした。
18年には高度医療サポート看護師は4人に増えました。
廊下を区切って部屋数増やして
「これからも私たちの、私の代弁者でいてください」。うち海氏に支援学校の卒業生から手紙が届きました。
卒業生は手紙で、「自分の思いを貫くことは親の負担に直結した」、「誰もが必要なサポートを受けられて、自分らしく生きられる大阪になってほしい」と訴えました。
うち海氏は、19年の府議会初当選の1年前に、府立八尾支援学校を視察していました。
壁を壊し廊下まで広げた職員室に、それでもすし詰めの教職員たち。教室不足を補うため、廊下の突き当たりを区切って作られた部屋。入り口を真ん中を仕切って2部屋にした教室は、片方の扉を開ければもう片方は開きませんでした。
うち海氏はその時の写真を19年10月の府議会で示し追及。新校整備を求めました。吉村洋文知事は「国の指針を踏まえて必要な環境整備をしている」などと背を向けました。
当時、支援学校には設置基準がなく、国に対し設置基準を持つように要望するよう、うち海氏は吉村知事を促しました。しかし吉村知事は「国が設置基準を持っていない理由も重要だ。障害の状況で必要な環境が異なり、基準策定は困難という考えを国は示している」などと述べ、応じませんでした。うち海氏は教育常任委員会に所属した3年間、毎年この問題を取り上げました。
全国の不足数の7分の1は大阪
国は21年、支援学校の設置基準を初めて策定しました。また全国の公立支援学校での教室不足数をその後に発表。全国で3740教室が不足しており、うち大阪府は528教室と最多でした。府教委はそれまで、不足数はないと報告していました。
うち海氏は同年も「8~10校程度の新校設置計画を持ち、子どもたちが安心して学べる環境を整備すべきだ」と求めました。
府は今年度、保護者や学校関係者らの長年の声にも押され、大阪市西淀川区への新校設置に加えて新たに4校程度を新設する方針を打ち出しています。
(大阪民主新報、2023年3月12日号より)