予定候補と選挙結果

次期衆議院議員選挙 近畿ブロック比例候補

  • [ 近畿比例 ]
  • 辰巳 孝太郎
  • たつみ コータロー
  • ( 48 )
  • 元参院議員、党中央委員。1976年生まれ。8000件の生活相談に応じてきた経験から反貧困をモットーに活動。コンビニ本部に搾取されるオーナーの問題を告発し法規制を提起。森友疑惑追及チーム責任者。
  • 連絡先事務所:大阪府委員会

    • 反戦の思いを力強く後押ししてくれた党

       父親が共産党の大阪市会議員を務めていたため、共産党は生まれた時から身近なものでした。父親を通じてしか見ていなかった日本共産党が、自分にとっても大きな存在になったのは26歳で入党してから。きっかけとなったのが9・11事件とその後のアフガン、イラク戦争でした。
       テロは許せない。しかし米国が行う報復戦争も間違っていると強い憤りを覚えました。誤爆で次々亡くなる「テロリストではない」無辜の市民、米国にものが言えない日本政府の姿勢、なし崩し的な自衛隊派兵など、「憎しみの連鎖」でテロを再生産する戦争と、それに付き従う日本政府の姿勢を目の当たりにしました。国連憲章違反の戦争は許さないという日本共産党の堂々たる論陣は、自らの反戦の思いを力強く後押ししてくれました。
       今また中東が戦火に包まれています。ハマスの蛮行は許されません。イスラエルの戦争犯罪も許せません。日本共産党員として反戦の声を上げ続けます。(大阪民主新報、2023年12月31日・2024年1月7日合併号より)

      政治変える思い熱く

       たつみコータロー(辰巳孝太郎)元参院議員は、来たる総選挙で、日本共産党の衆院近畿比例候補として議席獲得に挑戦します。

      父の背中見て

       1976年大阪市西淀川区生まれ。子どものころ、父・正夫さんは日本共産党の大阪市議として、ひっきりなしに地域の人たちの相談を受けていました。
       「困っている人がいたらすぐ動く」「自分が正しいと思うことを貫く」―。子どもの目から父の背中を見て、人に喜ばれる仕事をする正夫さんを誇りに思っていました。「小学生のときから正義感が強かったのは父親の存在が大きい」と語ります。
       中学・高校とラグビー部。北野高校時代は、生徒会長としてバングラデシュのハンセン病患者支援のボランティアを企画するなど、自発的に社会貢献活動に取り組んでいました。
       アメリカのエマーソン大学映画学科を卒業し、帰国後、映像関係の会社に勤務。その後、コソボの戦火で苦しんだセルビア人高校生を日本に招くプロジェクトに参加する中で、アフガン、イラク戦争での米国の暴走に無批判に支援する日本政府に怒りを覚えました。
       2001年の9・11テロが起こった時、「しんぶん赤旗」の切り抜きを集めながら、「他のメディアと違って、『テロは許されない』という『赤旗』の明確な論調にすごくすっきりした」と、共産党への信頼の高まりを自覚しました。
       2002年、26歳の時に自ら決断し入党。映像の仕事も含め自分がやりたいことを模索しながらも、03年、府議選に挑戦し落選。当時のイラク戦争に日本政府も加担することへの怒りが大きくなり、街頭で演説するうちに、「反戦平和の思いを訴えることが自分のやりたいこと」だと認識が変化していきました。

      生活相談7000件

       党候補者をしながら「此花区生活と健康を守る会」の事務局員として9年間で受けた生活相談は7000件。「弱い立場の人のための法律を知っているのは強い武器になる」と、その時に勉強した知識がその後の国会質問に生きていると話します。
       「格差と貧困は100%政治がつくりだした。解消する責任は政治にある」―。困っている人が救われないことへの怒りや悔しさ、弱い立場の人に寄り添う姿勢が原点となっています。
       「政治のおおもとを変えなければ」と07年、11年の府議選にも挑戦し続け、2013年に36歳で挑戦した参院選で、その思いが結実しました。日本共産党として15年ぶりの大阪選挙区での議席獲得でした。6年間の参院議員時代に挑んだ国会質問は200回を超え、その分野も多岐にわたります。

      声届けて追及鋭く

       参院議員時代、1回1回の質問に集中し、準備に長い時間をかけ、他の委員会にも出かけるなど勉強熱心でした。「当事者の声を代弁して国会で取り上げ、否定できない事実を総理や大臣に突きつけて迫り有益な答弁を引き出す。こんなやりがいのある職業はない」と自負します。

      草の根の先頭

       代表的な国会論戦は、森友問題とコンビニ問題でした。大阪府豊中市の国有地が森友学園に格安で売却された「森友疑惑」では、「国政の私物化は許せない」と追及チーム責任者として奮闘。コンビニアルバイトの「賃金切り捨て問題」、コンビニオーナーの「過酷な勤務実態」の追及など、大企業にもズバリものがいえるのは、大企業から一円も献金を受けとらない政党だからこそです。国会で告発した事実が世論を動かし、論戦をリードした鋭い追及はメディアも注目しました。
       「共産党の強みは、草の根の力。他党にはないもの」だと指摘します。「一人ひとりの党員が日ごろ、地域や職場などで当事者の要求と接し、草の根の市民運動とつながっている。それが議員の国会質問に生きている。共産党への信頼は一朝一夕ではない」
       2018年の大阪北部地震では、国会からすぐ被災地に駆けつけ、現地の党市議団と連携。被災者から丁寧に被災状況を聞き取り、声を国会に届け解決策を練るなど、共産党ならではの「草の根の力」を発揮しました。
       参院議員でなくなっても、大阪市存続をかちとった住民投票のたたかい、大阪のコロナ死者数が全国最多となる中で共産党としてコロナ対策の調査・提言など、草の根の先頭で維新政治と対峙(たいじ)してきました。
       維新主導のカジノ計画に対しては、党大阪府委員会のカジノ・万博問題プロジェクトチーム責任者として維新政治と対決。党府・市議団や「しんぶん赤旗」日曜版とも連携し、カジノ用地の賃貸契約で不正・不当に設定された格安賃料をめぐる疑惑を追及しています。また、大阪・関西万博の中止を求める党府委員会声明を発表し、万博問題にも正面から立ち向かっています。
       「維新は、カジノはもうかるからいいとか、経済がよくなるからいいと言うが、人の不幸を踏み台にして経済がよくなるはずがない。府民・市民の声を代弁して追及できるのは共産党だけ。国会に戻って早く追及したい」と熱く語ります。

      訴えに個性を

       2022年参院選では「男性が男性を好きになってもいいんです。女性が女性を好きになってもいいんです。それを応援するのが政治の仕事」だと訴えました。その演説をきっかけに、たつみさんと日本共産党を知る層が広がりました。
       「たつみコータローという個性を通じて、共産党の政策をもっと知ってもらいたい」。今度の衆院選に向けての決意です。(大阪府・森尾町子 2023年9月6日・8日 しんぶん赤旗近畿版掲載)

  • たつみ コータロー
  • [ 近畿比例 ]
  • ほりかわ 朗子
  • 堀川 あきこ
  • ( 38 )
  • 1986年、福岡県生まれ。立命館大学卒。団体職員を経て、民青同盟京都府委員会(2015年~20年)、日本共産党京都府委員会(2021年~)の専従勤務員。現在、党府常任委員・自治体部長。
  • 連絡先事務所:京都府委員会

    • 生き方重ねるとはこういうことかと入党

       日本共産党に入党したのは2007年、学生時代です。活動を始めたきっかけはイラク戦争が始まったときに、どうやったら戦争のない社会を実現できるのかが最大の関心でした。自分と社会との関係を意識した最初のテーマでもありました。
       その後、自衛隊の海外派兵が焦点になり、憲法9条そのものを疑問視する世論がつくられ、改憲の策動が強まっていきました。そんなとき鋭く改憲の狙いを告発し9条を守り抜く立場で奮闘していたのがやはり日本共産党でした。生き方を重ねるとはこういうことかと初めて自覚し、入党を決意しました。祖父母が、亡くなる直前まで戦争体験を語り継いでくれたのは、9条を守り引き継ぐ意志だったのではと思います。
       世界でも日本でも、軍拡か平和かが問われるいま、平和をつくる道を模索し、実現に向けて行動する日本共産党こそ、未来ある政党だと言えるのではないでしょうか。この生き方を私は貫きたいと思っています。(大阪民主新報、2023年12月31日・2024年1月7日合併号より)

      祖父母、平和の原点

       日本共産党の衆院近畿比例候補(京都2区重複)として、奔走する堀川あきこさん。立候補の要請を受けたときは「パニックになった」といい、無心で野菜を千切りして平常心を取り戻したそうです。時々に悩みながらも「若い世代が未来を展望できる社会にしたい」と葛藤を乗り越え、党の候補者になるまでを振り返ります。

      イラク戦争で

       堀川さんは1986年に福岡県大牟田市、三池炭鉱の町に生まれました。「平和を願う思いの原点は、祖父母です」と堀川さん。祖母は戦時中に強制連行されて炭鉱で働く人々の実態を、祖父は満州派兵の体験を幼い堀川さんに繰り返し話してくれました。『はだしのゲン』など戦争の本を幼少期から読みあさっていた堀川さんですが、どこか「戦争は過去のもの」でした。意識が変わったのは、2003年。イラク戦争で米国戦闘機が爆弾を落とす映像を見て、祖父母から聞いた戦争と全く同じことが起きていると実感しました。
       民青に入ったのは17歳。戦争や憲法について学べると聞いて入ったものの、勉強に追われて満足に活動できませんでした。その後、立命館大学に入学。国際関係学を学びたいと両親に相談して行かせてもらった先が「民青や党の歴史がすごいところだったと、行って初めて知りました」と苦笑します。この偶然をきっかけに、活動にのめり込んでいきます。
       新歓では民青のブースを出して新入生を勧誘し、学園祭では戦争や自衛隊をテーマに出し物をするなど積極的に活動します。入党を決意したのは20歳のとき。「自衛隊の海外派遣や教育基本法の改悪と9条改憲の動きが強まる中で、自分がどの立場でいるのかを情勢に問われた気がして、戦前から反戦平和を貫く日本共産党に今こそ入らなくてはと思った」と当時を振り返ります。

      NPTに参加

       大学卒業後は、一般社団法人京都府教職員互助組合に就職し、民青の左京地区委員長を務めます。そして迎えた15年、党への確信を深めるきっかけとなったのが、核不拡散条約(NPT)再検討会議への参加です。ニューヨークに1週間滞在し、核廃絶の署名活動やシンポジウムに参加。核兵器廃絶を願う世界中の人々の署名を議長国に手渡すセレモニーで、アルジェリア大使の「この署名の力があるから私たちは、国際会議で堂々と、核保有国に核廃絶を訴えることができる」という言葉に心を動かされました。
       小国といわれる国々や市民が堂々とスピーチし、大国を追い詰めるほどの強いエネルギーに触れ「大国の時代が永遠には続かないと肌で感じることができた」と堀川さん。党の綱領の「大国の時代は終わり、世界のすべての国ぐにが対等・平等に世界政治の主人公になる」という国際情勢論に「確信が持てた」と語ります。

      政治変えられる実感

       日本共産党の綱領への確信を深めた2015年、「LDA―KYOTO」(生きやすい京都をつくる全世代行動)が立ち上がります。高額な学費や返せない奨学金、ブラックバイト問題などの解決に取り組むLDAは、民青、京都総評、新婦人など約10団体で結成されました。

      補助制度に道

       事務局として結成から携わる堀川さんは、大学門前や街頭で「生活実態アンケート」を集め、学費負担の軽減や給付型奨学金の実現を求めて、地方議会や省庁に何度も請願行動を実施。京都府、京都市、労働局による全国初となる「ブラックバイト対策協議会」や、従業員の奨学金返済を支援する地元企業への京都府独自の補助制度創設に道を開きました。
       深刻な実態を届け、要請を続ける中で、少しずつ行政が動いていきました。「この時の『政治は変わるし変えられる』という実感が、その後の活動の原点になった」と語ります。17年にLDAが作成した「1000人の声から生まれた、京都府に実現してほしい17のこと」は、マニフェスト大賞市民部門で優秀マニフェスト推進賞を受賞。2242件の応募の中から市民部門の5件に入賞する快挙でした。
       しかし、最初は請願に行っても相手にされず、諦めそうになることもありました。それでも「たくさんの人の声を聞くと、頑張らなきゃって思った」と堀川さん。低賃金、長時間労働の仕事に疲れ果て、路上に座り込んでいた10代女性の「将来の夢なんて考えたこともない」という言葉にショックを受け、「社会を変えたい」と強く思いました。

      活動の原動力

       堀川さんは「若い世代が未来を展望できる社会にしたい」と繰り返し訴えます。自身も奨学金を返済中。父親が病気で倒れたときは、学費のために負担をかけたという思いが拭えませんでした。「そんな思いをこれからの若い人にしてほしくない」自身の経験すべてが活動を続ける原動力になっています。
       18年から3年間は民青京都府委員長を務め、学生の実態調査や食料支援活動に奔走。反共攻撃の矢面に立つことに不安もありましたが「攻撃に正面から向き合って101年間続いてきた党の歴史と、たたかってきた人たちの生きざまに共感したんじゃないのか。自分もそういう生き方がしたい」と候補者になる決心をしました。
       「人見知りなのに対話は好き」と語り、街頭では「マイクでしゃベるより対話がしたい派」と笑います。党の綱領は「未来を展望できる社会にする力を持っている」と話す堀川さんの目は、柔らかながら強い芯を感じさせます。「実態に耳を傾けて市民と一緒に声を上げる、戦前から反戦平和を貫いている―。そんな、なくてはならない政党だということを自分の言葉や取り組みで示していきたい」。36歳の若き候補者が衆院近畿比例候補として、今日も街頭でマイクを握ります。(窪田聡 2023年09月12日・13日 しんぶん赤旗近畿版掲載)

  • 堀川 あきこ
  • [ 近畿比例 大阪4区]
  • しみず 忠史
  • 清水 ただし
  • ( 56 )
  • 衆院議員2期(比例近畿)、党中央委員。大阪市議1期。大阪経済大学に学ぶ。元松竹芸能所属。
  • 連絡先事務所:大阪府委員会

    • 「赤旗」の出張所員から始まった党の活動

       私の党専従としての生活は、「しんぶん赤旗」梅田出張所長として始まりました。初日は背広を着て出勤したところ、周りから「汚れるだけやで」と言われ、すぐにジャージに着替えてワゴン車に乗り込みました。関西共同印刷所に到着して、いくつもの梱包された「しんぶん赤旗」日曜版を積み込み、そこから支部のセンターなどに配送する作業が一日続きました。
       その後の仕事も配達の手配と集金管理。自ら早朝配達や読者集金も担当し、多い月には230件の集金を担当しました。政党の職員になったのに、新聞販売所に就職したような気持ちになったことも…。しかし、「しんぶん赤旗」は国民と党を結ぶかけがえのない役割を果たしていることを学び、読者を増やすことと合わせ、確実に配達・集金すること抜きに、日本の政治を変えることはできないと、やりがいを持って勤めました。「しんぶん赤旗」に期待と注目が集まっています! とても嬉しい気持ちです。(大阪4区重複)(大阪民主新報、2023年12月31日・2024年1月7日合併号より)

      ユーモア交え真剣に

       とある地方の芝居小屋で行われた日本共産党演説会。拍手喝采、大盛況…ところが、舞台を降りた清水ただしさんを待っていたのは、難しい顔をした地元地区委員会の人でした。「大変です、会場側からの指摘で〝演芸〟は使用料が倍になります」「政治演説じゃないですか」「しかし、どう見ても演芸だと言われてしまい…」

      笑顔届けたい

       元松竹芸能漫才師という異色の経歴で、2014年に国政初当選。衆院議員を2期務め、現在は再び国会へと近畿比例・大阪4区重複候補として精力的に活動。難しい政治の話をわかりやすく伝えるユーモアたっぷりの演説は「初めて寝なかった」「こんなに面白いなら友達誘えばよかった」と笑顔が絶えません。
       20代のころ「笑顔を届ける仕事に就きたい」と、お笑いタレントを目指し、松竹芸能のオーディションに合格。「当時の松竹芸能は、下ネタなどの芸を若手に禁じていました。人をけなして笑いをとるな、観客に幸せな気持ちになって帰ってもらえと教えられました。その芸風が自分に合っていたんです」
       しかし1995年、阪神・淡路大震災で舞台はキャンセルに。救援ボランティアで駆け付けた神戸で見たのは、被災した店舗や工場を置きざりにする笑えない政治の現実でした。同時に、倒壊した街で懸命に救援活動する日本共産党員の姿が目に焼き付きました。
       「自分の個性をいかしながら、政治を変えるために仲間にならないか」との誘いを受けて入党。その後、大阪市内の「赤旗」出張所長として専従となり、2007年に定数2の大阪市福島区でトップ当選。市議を経て国政に舞台を移します。

      共産党だから

       芸人時代に培ったのは、舞台に立てば最後までやりきる度胸。特技の政治風刺を交えた「民主的バナナのたたき売り」は台本がなく観客との掛け合いで練り上げる芸です。わかりやすく面白く、一回一回が真剣勝負。そのスタイルは国会質問にも生きています。
       最初に所属した法務委員会では、法曹出身議員に囲まれ、「市民に理解してもらわないと運動は広がらない」と、専門用語を〝あえて〟使わず質問。「法律用語にとらわれない、あなたの質問はとてもわかりやすい」とえん罪防止に取り組む弁護士から絶賛されました。
       16年の内閣委員会でのカジノ解禁推進法案の質疑は「法案は刑法が禁じる賭博場=カジノを合法化するもの。日本の賭博禁止の歴史は持統天皇が発令した『すごろく禁止令』に始まり、1327年の歴史を誇る。あなた方は天皇が決めたことを破るのか」と推進する自民党や維新の議員を追及。委員会室をうならせ、毎日新聞が社会面で取り上げるなど大反響を呼びました。
       「上方のお笑いは権力風刺です。『カジノは愛がないのにアイアール(IR)』と言うのも、自民党や維新の議員が言っても笑えません。ユーモアをもって政治を語るのは日本共産党だからできるんです。『お堅い』『融通きかない』『違う意見を言えば排除される』と言われるけど、日本共産党ほどユーモア、ヒューマニズムの精神にあふれた政党はありません。それを伝えるのが私の喜びです」

      団結して願いを実現

       大阪市内の「赤旗」出張所長時代、配達・集金が一部の党員に集中する過重負担の解消に尽力。支部の党員一人ひとりが担い手になり、支部で読者管理ができるよう援助しながら自身も配達・集金を担い、多い月は200件以上も集金しました。

      「役割分担や」

       ある時、清水ただしさんの入党推薦人で、現衆院議員の宮本たけしさんに「配達大変ですわ」とこぼしたことがあります。すると、宮本さんは「これはただの新聞ちゃう、笑顔と希望を届ける『赤旗』や。君は出張所長、私は議員やけど立場は同じ、役割分担や。同じ政治家なんやぞ」と激励しました。
       すかさず「ほんなら代わってください」と返し「そんなことできるか」と冗談を飛ばし合いましたが、「愛すべき先輩」が語った党の精神、地域の党員と苦労を分かち合った経験を胸に、一人ひとりが明るく元気に活動できるよう心を砕いています。
       国会議員になった後も、さまざまな市民と力を合わせ、法務委員として旧奈良監獄の保存事業、司法修習生への給費型経済支援制度の一部復活など願いの実現に尽力しました。
       「日本共産党は政党助成金も企業・団体献金もビタ一文受け取らない。議員室にお金を持ってくる人も、それを受け取ることもありえませんが、そのかわり、ひっきりなしに市民や運動団体の人が要請や相談にやってきてくれます」
       消費税10%への増税対応で政府が導入したポイント還元制度で、小売りの現場でキャッシュレス決済が急増し現金が入らず仕入れのお金が困ると地元のスーパーから相談が寄せられた時、奮闘して事業者への融資・支援制度が実現。「国会質疑で政治が動くのを初めて知った」という経済産業省の役人もいました。

      希望を語って

       コロナ禍では持続化給付金が出ないと事業者から相談が殺到。近畿2府4県を回り約130ある民主商工会の半数と懇談し、苦境にあえぐ現場の声を届けました。運動と秘書とチーム一体で経産省に働きかけ支給改善につなげ、ホームレスの人への特別定額給付金支給も改善させました。
       「日本共産党だからこそ、どんな難題でも忖度(そんたく)せず、市民の願いをブレずにまっすぐ届けることができる。国会議員団・秘書団も一人ひとりさまざまな個性があり、自分の考えをもっていますが、綱領と規約で団結しているので途中で賛否がわれ、右往左往することもありません」
       盗聴を拡大する刑事訴訟法改悪案など、悪法に最後まで徹底して反対しながら、数の力で強行採決されることもありました。しかし、「科学的社会主義者、日本共産党員であるからこそ、そこで絶望せず、悪法は市民との矛盾を一層広げ、さらなる運動を呼び起こすという大局的見地に立ち、希望を語りながら活動できます」と前を向きます。
       〝行き倒れより食い倒れの街へ〟がモットー。コロナ禍、物価高で地域の暮らしや営業が圧迫される今、消費税は減税、インボイスを中止し、大阪のカジノ建設を阻止するためにも再び国会へ―総選挙に向け燃えています。(速水大地 2023年09月15日・16日 しんぶん赤旗近畿版掲載)

  • 清水 ただし
  • [ 近畿比例 ]
  • 小村 じゅん
  • こむら 潤
  • ( 49 )
  • 尼崎市議(1 期)。2013 年入党。98 年京都市立芸大美術学部デザイン科卒。兵庫県立高校などで美術非常勤講師、滋賀リビングカルチャーセンターでバリ舞踊講師。保育園父母の会会長、小学校PTA 会長、中学校育友会長など歴任。
  • 連絡先事務所:兵庫県委員会

    • 「赤旗」と人形劇なしに生まれなかった

       両親は20代の独身の時から党員で、青年の人形劇サークル活動で出会ったそうです。初めは同志と知らず、話の流れで「実は僕、赤旗配ってんねん」「私も赤旗配ってるんよ」と意気投合、「おじいちゃんおばあちゃんになるまで一緒に人形劇やろう」というプロポーズで結婚したそうで、「しんぶん赤旗」と人形劇なしに私は生まれていないのでした。
       のちに私と弟二人を含め、家族5人でアマチュア人形劇団の活動を続けてきました。振り返れば両親は私たち子どもに対して、上下関係の親子ではなく「活動する仲間」として接してくれていたように思います。
       自分の意志で「憲法9条は変えたらあかん」という思いで入党し、10年になりました。綱領や党史を学ぶと、両親はバリバリの活動家ではないが、生き方に党の理念が貫かれていたのだと実感しています。3人のわが子も民青同盟員や党員として、それぞれの思いで未来社会を目指し頑張っています。(兵庫8区重複)(大阪民主新報、2023年12月31日・2024年1月7日合併号より)

      「ジェンダーの壁」打破へ

       日本共産党の、こむら潤・兵庫県国政委員長は、次の総選挙に近畿比例候補(兵庫8区重複)として立候補します。高校の美術の非常勤講師やバリ舞踊のインストラクター、党尼崎市議と多彩な経歴を持つこむらさんの歩みは―。

      絵本作家志す

       尼崎生まれの尼崎育ち。幼いころから絵を描くのが好きで、県立明石高校美術科に進学。絵本作家を志し京都市立芸術大学に進学し、美術学部デザイン科でビジュアル・デザインを専攻しました。
       入学した90年代はバリ島ブームの時代。京都市内でインドネシアから来日したケチャダンスの公演を鑑賞し、インドネシア文化のとりこになりました。
       その後、インドネシアに複数回渡り、バリ舞踊を学ぶとともに、現地の人とインドネシア語で文通もしました。バリ舞踊は大学卒業後も続け、市議時代までインストラクターを務めるほどでした。
       インドネシア文化を共に愛好する聴覚障害の友人との出会いが一つの転機となりました。
       大学入学時に「声が聞こえないので筆談で」と自己紹介した友人。学友や教職員に手話の一種であるキュード話法の表を配り、交流していました。授業を受けるときは、友人に先生が口頭で話すことを筆記してもらっていました。しかし、その友人はそうしたやり方に限界を感じており、学生自治会会長だったこむらさんは、自治会内で有償ボランティアによる「ノートテイカー制度」導入を学生要求として取り上げ実現しました。

      生徒会に所属

       中学高校も生徒会に所属し、中学3年生のときにはベルマーク運動などに取り組みたいと生徒会長に立候補。しかし同じ学年の男子生徒が、「歴代の会長が男だから」という理由で会長に立候補し、こむらさんは落選。「そこがジェンダーの壁を初めて感じた時だった」と振り返ります。
       当時はジェンダーという言葉を知らなかったものの、ジェンダー平等への意識はその後、尼崎市議としてのLGBTへの理解推進を求める初質問に生かされ、市の性的マイノリティーのための「尼崎市パートナーシップ宣誓制度」創設を後押ししました。
       両親が若いころからの日本共産党員で、自身も「少年少女新聞」を愛読し、『グラフこんにちは日本共産党です』にイラスト作品が掲載されたこともありますが、入党は38歳のときでした。「自分の中で大きな壁があった」と話すこむらさん。80年代からのオール与党体制下、「日本共産党を除く」という時代を党に近いところでずっと見てきたことが理由でした。

      切実な市民の声、政策に

       こむらさんは両親が党員で、幼いころからビラ配りを手伝ったり、選挙の出発式で和太鼓を披露したりと日本共産党に近い距離で生活していました。しかし、オール与党体制下の「日本共産党を除く」雰囲気に敏感に反応し、共産党から距離を置いて応援していました。
       入党も地元の党員から何度も誘われていましたが、「PTA会長をやっているので政党にかかわりにくい」とずっと断ってきました。

      憲法変えるな

       転機になったのは、安倍晋三元首相が集団的自衛権行使容認を閣議決定したことです。「自由と民主主義のための学生緊急行動」(SEALDs)や全国ママの会などが反対し、全国的な運動に発展したものの強行され、「憲法を変えさせないためには、私もさらに一歩踏み込まないと」と決意。尼崎市選出の庄本悦子県議から「入党は自分の生き方を決めること」という一言にも後押しされ、入党しました。
       17年に尼崎市議選に初当選。子育て中の母親で現役PTA会員として当事者の声をリアルに伝えることを意識し、議員活動にまい進しました。21年総選挙には近畿比例候補(兵庫8区重複)として、22年の参院選は兵庫選挙区候補として、それぞれ立候補しました。
       元高校の非常勤講師であり、現在も高校生の子どもの親として、教育政策を実現させたいと話します。
       「教室のエアコン設置はもっと国が進めるべきです。小中学校の普通教室はつきましたが特別教室はついていないところもあります。県立高校は交付税措置がなく県予算で設置するのでなかなか進みません」と話します。

      教育を無償に

       熱中症で搬送される児童・生徒が連日出る今日、エアコン本体だけでなく授業や部活動の時間を含めた電気代を含め、教育予算拡充が必要だと話します。子どもたちが家庭の経済的な問題で進路の幅を狭めるのではなく、学びたいことを学ぶために大学や専門学校など高等教育の無償化が必要だと訴えます。
       今年9月には、日本民主青年同盟兵庫県委員会や党兵庫県議団とともに、学費無償化やエアコン設置の推進などを求め、文部科学省に要請しました。
       共産党の候補者はみんなの思いを受け止める候補者だと確信するという、こむらさん。「日本共産党が掲げる給食費や子ども医療費無償化といった市民の声を反映させた政策は他党の候補者も無視できません。共産党候補がいると他党の候補者も意識し、公約に反映されます。アメリカ言いなり、大企業優先の政治のゆがみをぶれずに追及し、切実な市民の声を政策に反映させる日本共産党の躍進が必要です」と話します。(西森知弘 2023年09月27日・29日 しんぶん赤旗近畿版掲載)

  • こむら 潤

 

次期衆議院議員選挙 小選挙区候補

  • [ 大阪1区 ]
    大阪市 中央区、西区、港区、天王寺区、浪速区、東成区
  • たけうち 祥倫
  • 竹内 よしのり
  • ( 42 )
  • 阪南大学高校卒、大正民主診療所などに勤務。民主青年同盟西港浪速地区委員長などを歴任。2015年、2023年大阪市会議員選挙(港区)に立候補。現在、党大阪中央地区副委員長、党大阪府委員、党大阪1区国政対策委員長。
  • 連絡先事務所:大阪中央地区

    • ドン引きから始まった出会い

       バイト先でのパートナー(妻)との出会いが党との出会いです。家に行った時、日本共産党のポスターがいっぱい貼られていて「ドン引き」した私は、「一家丸ごと騙されている。助け出さねば」と変な正義感から党の「悪い本」をたくさん読んで、パートナーの母・円山直子さん(当時浪速区市議候補)に質問する、大変失礼な青年でした。
       その後、アメリカによるイラク侵略戦争勃発。党や民青の皆が連日行動する姿に、いてもたっても居られず行動に加わりました。その中でこの戦争に大義はないこと、何の罪もない市民が犠牲になっていること、そして一貫して戦争に反対しているのが日本共産党であることを知りました。
       選挙中も路地裏で、イラクの子どもたちを思い必死で「戦争反対」を訴える円山さんの姿に希望を感じ党員に。今度は自分が誰かに希望を届ける番。反戦・平和でぶれない党の魅力を語りぬきます。(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • 竹内 よしのり
  • [ 大阪2区 ]
    大阪市 生野区、阿倍野区、東住吉区、平野区
  • おがわ ようた
  • 小川 陽太
  • ( 47 )
  • 元大阪市議(2期)。近畿大学卒、平野民商に勤務。現在、党大阪二区地区委員長、党大阪2区国政対策委員長。

    • 悪政を変える一番の特効薬は

       両親が日本共産党員で、父は「昼の仕事は生活のため。夜の活動が人間本来の仕事」と平和や搾取のない社会を目指してるんやと幼い私に言っていました。大学卒業後、就職氷河期で非正規や長時間・低賃金の仕事ばかりで不安定な生活を経験。政治を変えて人間らしく生きられる社会にと平野民商で働きはじめ、消費税や高すぎる国保に営業とくらしが壊されるのを目のあたりにしました。
       2011年に市議会へ送っていただき、2期8年、橋下・吉村市政と対峙。初めての市長質問が「思想調査アンケート問題」、カジノ誘致や学校などの民営化・統廃合などたたかいが続きました。大阪市廃止の企てでは、党派や立場の違いを超えて力を合わせ、住民投票で2度否決させたことが確信に。自公や維新の悪政を変える一番の特効薬は、共産党を伸ばすことです!
       消費税減税・インボイス制度を中止し、くらしと地域経済を守るために頑張ります。(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • 小川 陽太
  • [ 大阪3区 ]
    大阪市 大正区、住之江区、住吉区、西成区
  • わたなべ ゆい
  • わたなべ 結
  • ( 43 )
  • 党府副委員長、准中央委員、大阪3区国政対策委員長。大阪外国語大学卒。2012年、14年、17年、21年衆院大阪3区候補(17年は比例近畿ブロック重複)、16年参院大阪選挙区候補。民青同盟木津川南地区委員長、党木津川南地区副委員長など歴任。
  • 連絡先事務所:大阪府委員会、木津川南地区委員会

    • 苦難に寄り添う姿知らせたい

       党員の両親のもとで育ち、日本共産党は身近な存在でした。18歳の時、かつての侵略戦争に反対した政党が現代でも「反戦平和」を掲げて活動していることに希望を感じ、入党しました。さらに大きな転機は、非正規で働いていた20代半ばの頃、簡単に首を切られる派遣労働者や給料が少なくてダブルワークをしている正社員の実態が党の国会論戦と重なりあったことです。党を大きくしたいと専従者になりました。
       昨夏、コロナにかかり、後遺症で年末までまともに働けず、社会から取り残されそうな不安な日々を送りました。政府は後遺症の実態を把握する気すらありませんでしたが、吉良よし子参院議員が独自で千人以上の実態をつかみ、治療できる病院の周知徹底や生活支援などを迫ってくれたのです。涙が出るほど嬉しく、この党の候補者でよかったと心底思いました。国民の苦難に寄り添う党の姿を知らせ、議席を勝ち取るために頑張ります!(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • わたなべ 結
  • [ 大阪4区 近畿比例 ]
    大阪市 北区、福島区、都島区、城東区
  • しみず 忠史
  • 清水 ただし
  • ( 56 )
  • 衆院議員2期(比例近畿)、党中央委員。大阪市議1期。大阪経済大学に学ぶ。元松竹芸能所属。
  • 連絡先事務所:大阪府委員会

  • 清水 ただし
  • [ 大阪5区 ]
    大阪市 此花区、西淀川区、淀川区、東淀川区
  • みやもと 岳志
  • 宮本 たけし
  • ( 64 )
  • 衆議院議員(衆院5期・参院1期)、総務委員、文部科学委員。和歌山大学に学ぶ。民青同盟大阪府委員会勤務などを経て、98年参院選で初当選、2009年衆院選で再選。19年大阪12区補選立候補。党中央委員。
  • 連絡先事務所:西淀川此花地区委員会

    • 国民と共に歴史を切り拓く党

       「日本共産党の百年」が発行され、志位和夫委員長の「入党呼びかけ」が発表されました。「呼びかけ」では、綱領確定以降の国政選挙での3回の躍進期の2回目に「90年代後半」をあげています。大阪では1995年参院大阪選挙区選挙で山下よしき副委員長が、98年には私が連続して勝利し、「大阪のツインタワー」「共産党躍進の象徴」と呼ばれました。
       私の最初の選挙は95年の参院比例代表候補。当時は参院比例も「拘束名簿式」で、衆院比例のようにあらかじめ順位が決められ、政党名のみの投票というものでした。
       政党を選ぶ比例選挙で「日本共産党を」と訴えることほど誇りあるものはありません。命がけで反戦平和を貫いた戦前のたたかいをはじめ、いかにわが党が「いばらの道」を歩み、国民とともに歴史を切りひらいてきたかが「百年史」には詰まっています。徹底して党を語り、比例を軸に大阪5区でも必ず議席を勝ち取る決意です。(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • 宮本 たけし
  • [ 大阪6区 ]
    大阪市旭区・同鶴見区・守口市・門真市
  • 渡司 考一
  • わたし 考一
  • ( 72 )
  • 党大阪6区国政対策委員長。大阪工業大学卒。旭民商事務局員を経て、96年大阪市議補選(旭区)で大阪市議初当選、以降4期務める。旭民商顧問。党城北地区副委員長。14年衆院選大阪6区候補。
  • 連絡先事務所:城北地区委員会

  • わたし 考一
  • [ 大阪7区 ]
    吹田市、摂津市
  • 川添 健真
  • かわそえ たつま
  • ( 42 )
  • 関西福祉科学大学卒。大阪府学連書記局員や民主青年同盟中央委員、大阪府委員長などを歴任。21年衆院大阪7区候補。現在、党准大阪府委員、党大阪7区国政対策委員長。
  • 連絡先事務所:吹田・摂津地区委員会

    • 自分も周りも大事にしたいと

       「労働者階級同士、頑張りましょね」と、民青同盟で科学的社会主義を学んだ帰りの電車で、見ず知らずの人に話しかけそうに。搾取の仕組みや資本主義の矛盾は乗り越えられること、圧倒的多数の人が労働者階級で苦しめられていて、社会を変える仲間になれる可能性を知り嬉しくなって。
       「50年問題」を乗り越えた党史も知り、科学的な見地と、みんなで力を合わせることを大事にし、誠実に日本社会の問題に正面から向き合うこと、間違いからは原因と教訓を導き出して、乗り越え発展しようと努力し続けている〝大人たち〟がいることに希望を感じた。
       「この党を大きくすることで社会が良くなるスピードが早くなる。あなたが入党してくれることがその力に」との呼びかけに、「何ができるかはわからないけど、自分も周りも大事にできる生き方ができたら」と高校3年生の夏に入党。その思いは23年たった今も変わらない。(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • 川添 たつま
  • [ 大阪8区 ]
    豊中市、池田市
  • ひらかわ 節代
  • 平川 せつよ
  • ( 76 )
  • 大阪教育大学卒。豊中市で小学校教員として35年勤務。この間、「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク豊中、森友学園問題を考える会、市民連合・豊中などで活動。党大阪8区国政対策委員。
  • 連絡先事務所:豊中地区委員会

  • 平川 せつよ
  • [ 大阪11区 ]
    枚方市、交野市
  • きたお 学
  • 北尾 まなぶ
  • ( 55 )
  • 党大阪11区国政対策委員長。大阪府立箕面東高校卒。運送会社勤務を経て、交野市議1期。党枚方交野地区常任委員。
  • 連絡先事務所:枚方交野地区委員会

  • 北尾 まなぶ
  • [ 大阪12区 ]
    寝屋川市、大東市、四條畷市
  • おおた 徹
  • 太田 とおる
  • ( 56 )
  • 党大阪12区国政対策委員長。大阪産業大学中退。寝屋川民主商工会事務局員を経て、2007年より寝屋川市議(4期)。党北河内南地区常任委員、党寝屋川市委員会副委員長。
  • 連絡先事務所:北河内南地区委員会

  • 太田 とおる
  • [ 大阪13区 ]
    東大阪市
  • 寳井 晃美
  • たからい てるみ
  • ( 61 )
  • 1963年東大阪市生まれ、60歳。楠根東小、守口市立第二中、府立守口高校、淀川准看護学院、泉州看護専門学校卒。看護師として、東大阪生協病院で総師長などを務める。1982年入党、職場党委員会委員長など歴任。現、党東大阪地区委員。家族は夫と1男1女。趣味は寺社巡り、御朱印集め。
  • 連絡先事務所:東大阪地区委員会

  • たからい てるみ
  • [ 大阪14区 ]
    八尾市、柏原市、羽曳野市、藤井寺市
  • 内藤 耕一
  • 内藤 こういち
  • ( 50 )
  • 元八尾市議(4期)、市議会副議長など歴任。党八尾柏原地区常任委員。大阪経済法科大学卒。元八尾民主商工会事務局員。
  • 連絡先事務所:八尾・柏原地区委員会

  • 内藤 こういち
  • [ 大阪15区 ]
    堺市美原区、富田林市、河内長野市、松原市、大阪狭山市、太子町、河南町、千早赤阪村
  • なかがわ 学
  • 仲川 まなぶ
  • ( 49 )
  • 龍谷大学卒。会社員などを経て、学習塾を経営。2018年より河内長野市議(1期)。現在、党河南地区に勤務、党大阪15区国政対策委員長。
  • 連絡先事務所:河南地区委員会
      •  

  • 仲川 まなぶ
  • [ 大阪17区 ]
    堺市 中区・西区・南区
  • さわだ 久美子
  • 沢田 くみこ
  • ( 37 )
  • 藍野大学短期大学部で学ぶ。民青同盟や民間会社勤務を経て、党堺地区委員会に勤務。現在、党大阪17区国政対策委員、党堺地区准地区委員。
  • 連絡先事務所:堺地区委員会

    • 平和な世の中を子どもたちに

       小学生の頃図書館で「はだしのゲン」を読んで、こんなに戦争は恐ろしいものなのか、戦争は絶対に嫌だと子ども心に思いました。私の平和への想いの始まりです。
       日本共産党に18歳で入党しました。侵略戦争の反省から二度と戦争しないと誓った憲法9条を守り、平和な世の中を次の世代に手渡したいと活動を続けてきました。
       4歳の姪っ子が大好きなポテトを頬張っている時の笑顔を見ているだけで幸せになります。戦争で子どもたちが命の危険を感じ、恐怖と隣合わせの日々を送っていると思うと胸が押し潰されそうです。ウクライナでは子ども達が命を奪われ、多くの市民が恐怖の中に身を置いています。どの子にも平等に幸せになる権利が保障されるべきなのに、子どもたちの未来を奪っているのです。
       平和な社会をご一緒につくりましょう。一人一人の笑顔が輝く社会をつくるために全力で頑張ります。(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • 沢田 くみこ
  • [ 大阪18区 ]
    岸和田市、泉大津市、和泉市、高石市、泉北郡忠岡町
  • ばば 英樹
  • 馬場 ひでき
  • ( 52 )
  • 英知大学卒。民間会社を経て、高石市で学習塾を経営。和泉高石民商副会長など歴任。現在、党阪南地区委員会に勤務。党大阪18区国政対策委員長。
  • 連絡先事務所:阪南地区委員会

    • 自由に平和に暮らせる社会を

       高石市で学習塾を経営し、民主商工会の会員として様々な運動などに参加。その中で、悪法に屈することなく、草の根の運動で要求実現のために声を上げる大切さを知りました。民商の活動を通して日本共産党のことも知るようになり、集いや学習会などにも参加するようになりました。
       激しい戦争の中でも一貫して反戦を訴え、平和を守るため命がけで闘ってきた日本共産党の歴史に感銘を受け、入党を決意したのは2017年のことでした。
       塾では子どもたちに「若者は無限の希望を持ち、そして自由であるべきだ」と伝えてきました。今この国で認められている、すべての人が自由に生きられる権利。戦争のない平和な国。これらを多くの人々と共に実現させてきたのが日本共産党です。誰もが自由に、平和に暮らせる社会をリードしていくという日本共産党の役割を、一人でも多くの人に伝えていくのが私の役割だと考えています。(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • 馬場 ひでき
  • [ 大阪19区 ]
    貝塚市、泉佐野市、泉南市、阪南市、泉南郡(熊取町、田尻町、岬町)
  • きたむら みき
  • 北村 みき
  • ( 58 )
  • 千葉大学大学院修士課程教育学研究科修了。元公立中学校教諭など。2014年、17年、21年衆院大阪19区候補。党大阪19区国政対策委員長、党阪南地区常任委員。
  • 連絡先事務所:阪南地区委員会

    • 優しく強く人々の幸せのため

       子どもの頃、戦争中に命懸けで戦争反対を訴えた人たちがいたことに驚きました。中学生の時、『蟹工船』や『鋼鉄はいかに鍛えられたか』を読み、こんなふうに志を貫いて生きたい、生きていけるだろうか、と自らに問いました。身分や貧富の差がなく、誰もが尊厳を持って大切にされる社会、搾取も抑圧も戦争もなく、誰もが自分らしくのびのびと才能を開花させる社会。「資本主義」を乗り越えた未来社会に今を繋ぐ大仕事をやりたくて19歳で入党しました。
       斎藤隆介さんの「花さき山」「ゆき」「ベロ出しチョンマ」「モチモチの木」「ちょうちん屋のままッ子」など、優しさと真の勇気とは何かを描いていて、どの本も大好きでした。斎藤さんの本は滝平次郎さんの切り絵で有名ですが、いわさきちひろさんの絵の「ひさの星」は特に好きでした。党員作家として文化創造に生き、活躍した二人。私も優しく強く、人々の幸せのために生きていきたい。(大阪民主新報8月13・20日合併号より)

  • 北村 みき
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