「新しい政治のプロセス」を前に
新春対談 清水ただしさん 山下よしきさん
2024年の総選挙で自公与党が過半数割れに追い込まれた中、2025年夏には参院選がたたかわれます。日本共産党の躍進・勝利でさらに新しい政治を開こうと、たたかいの先頭に立つ山下よしき副委員長・参院議員(比例代表候補)と、清水ただし大阪選挙区候補(元衆院議員)に、激動する情勢と日本共産党の真価、新しい政治を開く決意を語り合ってもらいました。(司会・本紙編集部)
ぶれない党の値打ちを広げて
大激動の時代をたたかい抜く
衆院で与党が過半数割れに
――総選挙での歴史的結果を受け、日本共産党は、国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する「新しい政治プロセス」が始まったと強調しています。国会内外の活動を通して、お二人はどんなことを感じていますか。
山下 はい。私は「大激動の時代」に入ったと思います。総選挙では、いままで数の力で悪法を押し通してきた自公政権が、一夜にして少数に追い込まれました。これに貢献したのが、自民党派閥の裏金問題をスクープした「しんぶん赤旗」と日本共産党です。
清水 総選挙の序盤は、マスコミの形勢報道は「自公過半数見通し」(「読売」10月17日付)というものでした。裏金問題や経済無策などで批判を浴びても、外交・安全保障のことを考えると野党では駄目だ、やはり自民党だという流れもあったわけです。
ところが「しんぶん赤旗」日刊紙(10月23日付)が、非公認候補への「2千万円支給」をスクープしたことで情勢が激変しました。最終盤、山下さんと私が天神橋筋六丁目で街頭宣伝していると、見知らぬ男性が「わしも非公認や、2千万円ほしい!」と怒りを込めて話し掛けてきましたね。
山下 そうでした。
清水 脱税していた裏金議員に政党助成金から2千万円を配るとは何事かと、みんなカンカンに怒りました。当落線上にいた候補者を落選させ、そういう候補者を推薦していた公明党にも審判が下りました。自公与党を過半数割れに追い込んだ決定的な力となったのが「しんぶん赤旗」と日本共産党だったとは、自他共に認めることだと思います。
山下 わが党は残念ながら後退しましたが、選挙後、「ありがとう赤旗」「読者になって応援します」と、2千人の方から「しんぶん赤旗」の購読申し込みがありました。かつてなかった反応です。そういう評価が寄せられるほど価値あるたたかいを、清水さんはじめ近畿比例候補や小選挙区候補の皆さん、党員や後援会員、支持者の皆さんがやったと確信しています。
清水 選挙後、いろんな方とお話しする中で、共産党から一歩離れたところにいる方々から、「赤旗、すごかったな」「一体、記者は何百人いるのか」(笑い)と声が掛かります。私は、忖度なしに記事が書けるのは、企業・団体献金も政党助成金も受け取らない日本共産党の機関紙だからと説明しています。
たたかい通じ必ず輝く真価
山下 衆院で自公与党が過半数割れしている下で、国民にとって、たたかいがいのある新しい時代に入ったと実感しています。自民党だけが反対して通らなかった切実な願いが、国民のたたかいによって実現する可能性が開かれている。例えば全国一律の最低賃金1500円、学費無償化、選択的夫婦別姓の導入、消費税の減税・廃止などです。
清水 自公与党は、野党の協力なしに予算案や法律案を通すことができなくなっているし、国民要求を実現できる条件が生まれているというのは、まさにその通りですね。
山下 たたかいを通じて各党の姿も問われるし、国民の立場に立ってぶれない日本共産党の真価は、必ず輝きます。たたかうことによって、新しい政治を開くのはどの政党かを、国民、大阪府民の皆さんに見抜いてもらえるよう、大いにたたかいたいと思います。
いま国会には、いろんな運動団体がこれまで以上に集まってきて、皆さん、明るく元気です。要求実現のチャンスだという熱い思いがあるからだと思います。大阪には、労働運動、業者運動、女性運動、高齢者運動、青年運動はじめ、たたかう伝統がある。いまこそ伝統を発揮して、政治をさらに前に動かしたいですね。
清水 「自民党一強」は崩れましたが、自民党政治に代わる新たな政治の中身について、国民・有権者の皆さんがまだ結論を出さず、模索する状況が生まれていることに、わくわくします。臨時国会で国民民主党と日本維新の会が、補正予算に賛成して自民党を助けるなど、両党の立ち位置が早くもはっきりしてきていますね。
山下 そう。大激動の時代には、政党の力関係が大きく変わります。参院選では要求実現の運動と結んで、要求を阻む大本にある「大企業中心」「アメリカ言いなり」の政治のゆがみを正す日本共産党の真価を広げたい。その立場でお互いに頑張りましょう。
清水 ぶれない日本共産党を思い切りアピールすることの大切さを、新年から貫いて頑張ります。
「赤旗」から学んだ政治による〝災害〟
個人補償の実現へ 超党派で法案作成
阪神・淡路大震災から30年
被災者支援が原点となって
――2025年は阪神・淡路大震災から30年。「1・17」が近付いています。
山下 私の国会活動の原点は、阪神・淡路大震災の被災者支援です。震災が起きた当時、私は参院大阪選挙区の候補者でした。1995年1月17日は大阪の業者後援会であいさつする予定があり、地震発生の午前5時46分には起きて準備をしていました。
大阪の私の自宅にも大きな揺れが襲い、まだ眠っていた妻と2人の子どもの上にたんすが倒れそうになるのを防いでから、地域の高齢者の安否確認に向かいました。党府委員会災害対策本部長となり、府内の被災状況をつかむと同時に、街頭で救援募金に立ちました。
数日で1千万円の募金が集まり、9時間かけて兵庫県庁に届けました。激震地の光景を見て、戦後未曽有の大災害だと実感しました。
参院選で大阪選挙区から初当選したのは、その年の7月。災害対策特別委員会に自ら望んで入りました。
被災者の生活再建が置き去りにされていた中、当時の村山富市首相に「総理が決断すれば個人補償はできる」と迫りましたが、「日本は私有財産制の国。住宅再建は自己責任が原則」との答弁。続く橋本政権も同じ立場で、私は「せっかく国会議員になっても、何の役にも立てていない」と無力感を覚えました。
清水 「被災地に行くのがつらかった」と話してこられましたね。
山下 ええ。転機になったのは、「政府がやらないのなら、市民と議員が力を合わせて法律をつくろう」と、作家の小田実さん(故人)ら多くの人々と運動に取り組んだこと。国会で超党派の議員有志で、個人補償を実現する法案づくりの勉強会を立ち上げました。
市民と議員がスクラム組み
私は当選後間もない若い議員でしたが、「大震災を体験した、この時代に国会に身を置く者の歴史的使命だ」と、他党のベテラン議員を説得して回りました。全壊世帯に最高500万円を支給する法案が完成し、6会派39人の議員有志の賛同で参院に提出したのは97年です。
被災者に公的支援を求める国民世論が高まる中、政府・与党が追い詰められ、98年に被災者生活再建支援法が成立。全壊世帯に100万円を支給するという不十分なものでしたが、07年11月に可決・成立した抜本改正で、全壊世帯に300万円の支援に拡充され、2011年の東日本大震災の被災者の支えになりました。
この経験から、どんなに壁は厚くても、市民の運動と議員がスクラムを組んでたたかえば、政治を動せるというのが私の、そして日本共産党の確信です。
震災の発生で公演が中止に
清水 私は阪神・淡路大震災をきっかけに、政治や社会に目を向けるようになり、日本共産党への入党につながりました。震災当時、松竹芸能の漫才部から俳優部に移籍して、「冒険宝島」という子ども向けミュージカルの舞台稽古をしている最中でした。初めは「海賊A」という役で、一生懸命やっていると、演出家の先生が「それではもったいない。海賊のリーダーに抜てきする」と。
山下 それは、すごい。
清水 稽古を見学に来たスポンサーの方からは「コマーシャルに使おう」という話も出るし、「僕は俳優部で花開く!」と思っていました。ところが公演直前になって、阪神・淡路大震災が起き、全部中止になりました。
松竹芸能の仕事がなくなる中、友人に誘われて神戸に救援ボランティアに行き、避難所で日本共産党員が頑張っている姿を見たのです。当時、アルバイト先(喫茶店)の方に勧められて「しんぶん赤旗」日曜版をとっていましたが、ほとんど読んでいませんでした。しかし震災との関わりで紙面を開くようになったのです。
仮設住宅建設よりも神戸空港が優先され、長田区の火事がなかなか消えなかったのは耐震防火水槽が国基準に満たず、消防車や消防士の数も少なかったなど、政治による災害だということを「赤旗」から学びました。
山下 人生が大きく変わりましたね。
清水 はい。阪神・淡路大震災がなければ、私は日本共産党の活動はせず、俳優を続けてテレビに出ていたかも知れません。それが党の専従になり、大阪市福島区から市議会に送り出していただき、国政に挑戦して衆院議員に。大阪や近畿の多くの皆さんと交流することで、どれほど人生が豊かになったことでしょう。
30年経つのにむしろ後退が
――清水さんは24年6月、辰巳孝太郎衆院議員(当時は衆院近畿比例候補)らと一緒に、能登半島地震の災害ボランティアに参加されましたね。
清水 はい。被災地では倒壊した家屋がそのままで、撤去は進んでいませんでした。仮設住宅も劣悪な状況で、阪神・淡路大震災から30年経とうというのに、まったく進歩していません。
山下 むしろ後退しているのではないかと言いたいです。阪神・淡路大震災の被災地も、道路や港の復興は進むのに、被災者個人の住宅再建は置き去りにされる。なおかつ「創造的復興」の中で勝手に網をかけられて区画整理され、元いた場所に暮らせない。大型商業ビルが建ったが、人の流れが変わって中小業者や商店は苦労を強いられてきました。能登でも同じ「創造的復興」の言葉が使われていますが、被災者中心の復興でないと痛感します。
清水 被災地の苦境をよそに、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設や、大阪では万博・カジノの無駄遣いはやりたい放題です。こんな政治は絶対に変えなければなりません。(続く)
(大阪民主新報、2024年12月29日・2025年1月5日合併号より)
戦後80年 戦争を起こさせない決意を
(前号から続く)
――2025年は「戦後80年」の節目でもあります。
終戦の前日に空襲の惨禍が
清水 私は毎年8月14日に行われる「京橋空襲被害者慰霊祭」に、宮本岳志前衆院議員と一緒に参列してきました。アジア・太平洋戦争の終戦前日の1945年8月14日、米軍の145機のB29が大阪陸軍造兵廠を爆撃し、当時の京橋駅とその周辺に数発の1㌧爆弾を投下しました。犠牲者は500人とも、600人ともいわれます。あと1日無事なら、平和な人生を過ごせたであろう方々が、命を奪われました。
私は衆院議員時代に学んだことの一つは、国は、大阪や東京はじめ大空襲、沖縄戦などで命を失い、家族を奪われた一般の戦災被災者には、何の謝罪も、補償もないということです。他方、軍人・軍属は雇用関係があったという理由で、これまで60兆円もの恩給が支払われています。
被害者支援の法律の制定を
こんなことが許されていいのかと、空襲被害の補償を求める裁判もたたかわれましたが、「戦争受忍論」を盾に退けられてきました。
山下 〝戦争ではみんなが被害を受けたのだから我慢すべき〟というものですね。
清水 はい。ただ判決は、国の責任で起こされた戦争であり、何らかの法律によって被害者に手を差し伸べることを裁判所は否定しないとしました。つまり国会にボールが投げられたわけです。被害者救済のための法律を作ろうと、当事者と国会議員が「空襲議連」をつくりました。私も党の実務者チームの担当として議連に参加しました。
不十分ながら超党派で法案を作り、いよいよという時に、自民党の政調会が拒否したのです。高齢の当事者からは「まるで私たちが死ぬのを待っているかのようだ」と怒りの声が上がりました。
戦時中は防空法があり、焼夷弾が落ちても逃げずに火を消せと強制しました。絶対に国が謝罪し、補償すべきだと運動が今も続いています。私は必ず国会に戻って、空襲議連に入って法律に実らせたいのです。
二度と戦争を起こさせない
山下 ノーベル平和賞の授賞式での、日本被団協の田中熙巳代表委員は演説で繰り返しましたね。「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたい」と。戦争を起こした政府の責任を問わずにやりすごしていけば、政府はまた同じ過ちを繰り返すのではないか。二度と繰り返させないという決意を込めた重いスピーチです。
清水 戦争を起こした国家、政府の責任を認め、空襲被害者を救済する法律を作ることが、二度と戦争を起さないという未来への誓いとなります。ここに確信をもって、法律の制定のために頑張りたいと思います。
山下 そこに立法府に身を置く者の責任があります。
万博やカジノ、都構想に「希望の対案」
「万博中止」とぶれずに貫く
――ことしは2025年大阪・関西万博の開催が強行されようとしています。24年11月に国会議員団として会場建設現場を視察し、経産省の担当者とも意見交換されました。
山下 日本共産党の立場は、あくまで万博中止ですが、私は意見交換の最後に、あえて言いました。「私たちはいろいろな理由から万博に反対している。その指摘は安全な万博運営にも資するものだ」と。
清水 いまの時点で、「万博中止」を主張するのは、ある意味、勇気がいることだと思います。「万博は国家プロジェクトだ」「ここまでやって中止するのは、無責任だ」と言う方もあるかも知れません。しかし、人の命が守れないなら、やめるしかありません。ここでもぶれずに反対を貫く党への信頼も広げたいと思います。
視察に参加して、夢洲での万博開催の矛盾や問題点は、いよいよ明らかになったと思います。チケットが売れず運営費の赤字は確実。私が損益分岐点を聞いても、「赤字にならないように頑張る」と答えるだけ。あまりに無責任です。
会場建設費は2350億円に上振れし、メタンガス対策で追加費用も発生。おまけに1970年万博の基金まで取り崩す。災害対策も不十分です。一方、大阪市では全国一高い介護保険料を市民に押し付け、中小企業支援には力を入れない。「カジノありき」で、危険で不便な夢洲を万博会場に決めた維新の責任は重大です。
源流となった大阪での共同
――2025年は、大阪市を廃止・分割する、いわゆる「大阪都」構想の1回目の住民投票(2015年)から10年にも当たります。
山下 130年近い歴史を刻む大阪市の廃止に対して、大阪市を愛する人たちが良識の共同を広げ、住民投票で否決しました。権勢を誇っていた維新の「一丁目一番地」の目玉政策を、2度にわたってくじいてきたのです。
私が強調したいのは、2015年の共同が、同じ年の安保法制廃止の市民と野党の共闘の源流になっているということです。1回目の住民投票では、全国各地からいろんな人が「大阪市守れ」と応援に駆け付けました。その中に、安保法制反対で大きな役割を果たしたシールズの源流となっていく若者たちもいたのです。
住民投票の後、彼らが私の国会の部屋まで、「どうすれば安保法制を止められるか」と相談に来ました。私は、大阪では大阪市を愛する人たちが立場の違いを超えて共同したことを紹介し、そういうたたかいをやる必要があると話しました。彼らが「国会前に何人集めたら止められますか」と聞くので「10万人は集めよう」と話すと、「分かりました」と。それが5月でした。
それから国会前や全国で安保法制反対の新たなスタイルの運動が広がり、8月30日には国会前に12万人が集まりました。その源流になった住民投票のたたかいをつくったのが大阪。その大阪の地で、万博やカジノを許さない共同を重ね、国政での共闘の新たな発展にもつなげたい。
カジノ止める本気の議席を
清水 私は2017年2月、衆院予算委員会で当時の安倍晋三首相と論戦し、カジノと万博が一体であることを国会で初めて追及しました。万博の後に続くカジノを止める共同も、さらに広げたいと思います。
参院大阪選挙区ではカジノに反対する現職候補は1人もいません。みんな推進派です。本気でカジノを止める日本共産党の議席が、どうしても必要です。同時に私は、万博やカジノなどの巨大開発に頼らず、大阪を元気にする政策を大いに訴えていきます。
山下 「希望の対案」ですね。
清水 そうです。それを「カジノ反対」の10倍は訴えたいです。ケア労働者の処遇改善、安心して通える保育・学童保育の施設整備、年金だけで入れる介護施設の拡充など、現役世代が安心して働ける環境を大阪でつくり、中小企業・ものづくりの再生、商店街の活性化など、地方議員団の皆さんと協力して、大阪を明るく元気にする展望を届けます。
党「ワンチーム」5氏と清水氏勝利を
山下 いま日本共産党は、私を含め参院比例代表の5人の候補を1人も欠かすことなく、「ワンチーム」で国会に送ってほしいと訴えています。
日本共産党の参院議員団は11人。11人いるからこそ議案提案権を持ち、企業・団体献金禁止法案、政党助成金廃止法案を臨時国会に提案できました。院内交渉会派(10人)にならなければ、本会議での質問も、大幅に制約されてしまいます。
11人のうち改選議員は比例で私を含めて4人と、選挙区では東京、埼玉、京都の3人の計7人です。
大阪選挙区での清水さんの勝利も含め、今ある力を絶対に守って、さらに議席を伸ばすことが国民、府民の願いを国政に届けて政治を前に動かすために、どうしても必要です。
国民・府民と共にたたかい、政治を動かしてきた日本共産党の値打ちを、党員、後援会員、支持 者の皆さんと一緒に広く届けることができるなら、必ず躍進・勝利を勝ち取ることができます。
清水 私も先頭に立って頑張ります。
(大阪民主新報、2025年1月12日号より)