みんなの願いを国会へ
清水ただしのいきいきトーク
日本共産党参院大阪選挙区候補の清水ただしさんと、月亭太遊の名で軽やかに高座を演じてきた現在フリーの落語家「ひょうきんなおっさん」さんが対談しました。漫才コンビなど、芸能分野で活躍した共通の経験を持つ2人。日本共産党との出会いや理想の政治像から芸能活動の思い出にまで話題が広がって…
明るく楽しく希望届ける選挙に
清水 日本共産党と最初の出会いはいつですか。
ひょ 名前を知ったのは小学校の時です。私の出身地は大分県竹田市の菅生というところで、クラスメートは7人でした。
清水 1学年で7人。いいところじゃないですか。
ひょ 小さな田舎で起きた菅生事件で共産党の名前を知ったんです。
清水 1952年に起きた日本共産党への弾圧・冤罪事件ですね。
ひょ 子どもの時は理解していませんでしたが、その後、事件を取材・追及した「赤旗」記者に賞が贈られたことを知りました。
清水 警察官が自作自演の駐在所爆破事件を起こし、共産党員に罪を着せました。権力の暴走ととともに、民衆の側に立って権力犯罪を監視するジャーナリズムの精神を今に伝える事件です。
ひょ ずっと周囲の大人の中にある共産党アレルギーを感じてきたのですが、ある時、テレビの国会中継を見ていたら、共産党の議員がめっちゃええこと言うていると気がついたんです。周りでも〝ええこと言うてるけど、また議席減らしたな〟と、共産党が話題に上ることがあるんですよ。
清水 よく聞く話ですね。
ひょ 陰ながら共産党を応援する人は結構いるのですから、その声をもっと強くしたいと思ったんです。
清水 それで街頭演説や集会で応援のエールを送るようになられたのですね。噺家さんが政治的な発言をするのは勇気が必要だったのではないですか。
ひょ テレビにバンバン出ようなんて気持ちはなかったので、デメリットはなかったです。逆に楽しい経験をさせていただきました。
清水 選挙は勢いも必要です。明るく楽しく希望を届ける選挙にしたいんです。噺家さんとのコラボにみんな励まされる思いでした。
笑顔を届けたいと芸能の世界に
清水 そもそも芸能の世界に進まれたきっかけは何だったのですか。
ひょ 私は神経質で不器用な子どもでしたが、周りを笑顔にすることで自分を取り巻く環境も自分の未来も変えることができる。そんな体験があって芸人になると決めました。
清水 それで大阪へ出られたのですね。
ひょ 慣れない都会生活に苦労しました。当時は〝M1グランプリ〟とか賞レースに勝ち抜くことばかり見ていたと思います。
清水 数々のお笑いの賞も受賞されて、落語の世界に飛び込まれましたね。
ひょ 漫才時代はあまり楽しくなかったんですよ。
清水 分かります。松竹で漫才をしていたときは周りがライバルだらけで、コンビ漫才もピン芸人もやりましたけど、自由度も違いますよね。
ひょ 全然違います。
清水 ある大物芸人の舞台の前座で、僕の話だけがお客さんに受けて、相方と気まずくなったことがありました。自分のやりたいことは何なのか悩んでばかりいましたね。
ひょ すごい共感できます。落語の師匠について修行する中で、周りを立てることの大切さを学ぶことができたんです。
清水 なるほど。
ひょ 周囲とのあつれきが消えて、自分の良さにも気付くことができました。
清水 人間関係って大事ですね。そこをクリアして初めて、お笑いって人の心に届くのだと思うんです。
〝見返りは民主
主義〟に感激し
ひょ 落語で学んだ〝周りを立てる心〟と、共産党を応援したいと思ったポイントが一緒なんです。
清水 どういうことですか
ひょ 東京都知事選(2024年)で、共産党が候補者を立てず、みんなの利益のために必死になる姿を見て、ほんまに立派やと思ったんです。
清水 2017年の総選挙で希望の党がつくられて、〝安保法制に賛成しないと排除〟と言って当時の民進党が飲み込まれる流れになりました。共産党は野党共闘を優先して、無条件で候補者擁立を取り下げました。当時の志位和夫委員長は〝見返りは民主主義〟だと言ったんです。
ひょ 共産党の人がたびたび私のSNSに〝見返りは民主主義ですよ〟ってメッセージをくれることがあったのですが、それが由来だったのですね。
清水 そうなんです。
ひょ 共産党との交流の始まりも、自宅の近所で開いた寄席に地元の党員さんがお客さんとして来てくれたことでした。お会いするどの党員さんも共通して、〝世の中をよくしたい〟〝周りの人を助けたい〟と私利私欲なく活動していることがよく分かります。
清水 国民の苦難軽減こそが立党の精神です。そこに共感いただけてうれしいです。
ひょ 共産党の集いに呼ばれると、公民館とかでやっている地域寄席と同じ雰囲気なんです。安心できるんです。兵庫県知事のパワハラを告発した元県民局長が自死に追い込まれた問題でのSNS発信に対し、事実をゆがめる攻撃が、私の仕事の関係先に集中する事態となりました。自分らしく堂々と社会に対するメッセージを届けていくために、師匠からいただいた月亭太遊の亭号をお返しして、フリーの噺家としてスタートすることになりました。
清水 びっくりしましたよ。でも前向きに生きるための決断だと聞いて、今まで以上に応援したいと思いました。人間の命を奪うハラスメントは絶対に許されないし、民主主義を守る問題として他人事で済ますことはできません。
ひょ 亭号返上を発表したとき、共産党の方々が誰よりも心配してくださりました。デマや偏見、先入観の怖さを知っている皆さんだからこそ、親身に受け止めてくださったと心強かったです。
清水 損得勘定でないんです。人間としてのやむにやまれぬ思いであったり、正しいことを貫き通したいという、それが私たちの行動の基準です。
ひょ そこが共産党の信頼できるところです。ブレないし、絶対に裏切らない。私も今後、平和の問題や維新政治の問題など発信していきます。
清水 人間が大事にされて、平和で豊かな社会を実現するために頑張りたいと思います。
ひょ 本当に清水さんは絶対国会に必要な人です。全力で応援します。
清水 今日はどうもありがとうございました。
政治から芸能文化の話題までユーモアたっぷり語り合う清水ただしさん(左)とひょうきんなおっさんさん
(大阪民主新報、2025年4月6日号より)