大阪革新懇が日韓問題で学習会
市民の相互理解に基づく真の和解を
康宗憲韓国問題研究所代表が講演
徴用工問題をきっかけに日韓関係が悪化し、政治・外交だけでなく、経済や文化にも波及している中、進歩と革新をめざす大阪の会(大阪革新懇)が4日、大阪市北区内で日韓問題を考える学習会を開き、約60人が参加しました。韓国問題研究所代表で同志社大学政策学部嘱託講師の康宗憲(カン・ジョンホン)さんが「歴史認識を踏まえた善隣友好に向けて」と題して講演しました。
植民地支配の歴史――過去を直視する姿勢こそ
外交権を奪って日本の保護国に
康氏はまず、日本による朝鮮植民地支配の歴史を、あらためて詳しく語りました。明治維新(1868年)後、日本は「脱亜入欧」「富国強兵」のスローガンを掲げ、朝鮮侵略する「征韓論」を外交方針に具体化。日清戦争(94年)、日露戦争(1904~05年)と、朝鮮の植民地化に踏み出していきました。日露戦争末期に日米が結んだ「桂・タフト協定」(05年)は、日米が米国のフィリピン支配を認め、米国は日本の朝鮮半島支配を容認する秘密協定だったと指摘しました。
日本は、日露戦争後の第2次日韓協約(05年)で韓国の外交権を奪って「保護国」にするとともに、「統監府」(のちに「総督府」)の設置を定めました。第3次日韓協約(07年)では韓国軍隊を解散させました。
朝鮮の民衆は「義兵闘争」で抵抗し、日本軍は義兵を殺害し、民衆の目の前でさらし首に。康氏は「支配されようとする民衆が、黙って奴隷になるわけではない」と語りました。
圧力と脅迫の下で韓国併合条約
「義兵闘争」をほぼ鎮圧した日本は「統監府」を設置し、伊藤博文(初代首相)が初代統監に。伊藤を射殺(09年)した義兵軍の参謀中将・安重根(アン・ジュングン)が処刑された10年、「韓国併合条約」を押し付けました。
その第1条は、韓国皇帝が一切の統治権を完全・永久に日本国皇帝(天皇)に「譲与」し、第2条は、天皇がその「譲与」を「受諾」し、「併合」を「承諾」するというもの。康氏は「同意のもとで併合したことになるが、常識で考えて、こんな馬鹿げた条約を結ぶ人がいるだろうか。明らかに圧力を受け、脅迫された下で、強制的に結ばされた条約だ」と述べました。
過酷な労働強い女性を性奴隷に
康氏は19年には、植民地支配からの独立を目指す「三・一独立運動」が朝鮮全土に広がり、当時の人口約2千万人のうち、約1割が参加したことを紹介。「もちろん日本軍のむごたらしい弾圧を受けたが、植民地化される前も、された後も、朝鮮民族は支配を受け入れなかった」と話しました。
康氏は、朝鮮半島が日本の植民地化に置かれた下で、日本の大企業が「あっせん」「募集」など欺瞞に満ちた言葉で、多くの朝鮮の若者たちを強制動員し、過酷な労働を強いたと告発しました。康氏は、「最大の犠牲を受けたのは、日本軍性奴隷制度、『慰安婦』制度の下で苦しめられた女性たちだった」と語りました。
終戦後の時代状況――被害国を排除した講和が
日本の敗戦後は米軍の軍政下に
続いて康氏は、1965年に結ばれた日韓基本条約と請求権協定の問題点について、第2次世界大戦後の国際社会との関係にも触れて明らかにしました。
日本は1945年8月、ポツダム宣言を受け入れて無条件降伏しました。朝鮮半島では南部に米軍が、北部にソ連軍が進駐。植民地時代に総督府だった建物には、「日の丸」に代わって星条旗が掲げられました。
康氏は「米軍は朝鮮を『解放された地域』ではなく、『日本の植民地支配が終わった地域』と見た。朝鮮人がつくった建国準備委員会や上海の臨時政府も一切認めず、米軍が直接統治する軍政を行った」と指摘。統治するために総督府にいた日本の高級官僚を顧問として雇い、末端の行政は、総督府に服務した「親日」派の朝鮮人に担わせたと語りました。
米国が対日政策を大きく転換し
米国は、中華人民共和国が誕生(49年)し、朝鮮戦争が勃発(50年)する中で、日本の再軍備を容認するなど、対日政策を大転換します。
康氏は、51年のサンフランシスコ講和会議は、日本に植民地支配された朝鮮や、侵略戦争で被害を受けた中国など当事国を排除したと指摘。講和条約で第2次世界大戦の戦勝国である連合国側は、日本に対する賠償金の請求権を放棄(別項1)し、日本は朝鮮や中国などとは2国間交渉で個別に処理することになりました。
康氏は、日中が国交を正常化した日中共同声明(72年)でも、中国は日本に対する戦争賠償の請求権を放棄すると明確にしている(別項2)と指摘。これに対し日韓基本条約と日韓請求権協定は、何に対する請求権かを明らかにしていないと強調しました(別項3)。
韓国最高裁の判決――国際政治の到達点に立ち
歴史に背を向けた日韓基本条約
康氏は、日韓の国交正常化は歴史認識(植民地支配)を巡る根本的な食い違いを残したままだったと指摘しました。韓国側は強制的な「韓国併合条約」そのものが無効で、強制動員など植民地支配に伴う被害賠償の権利があるという立場。日本は「合意に基づく併合」であり、日本と韓国は戦争関係にはなく、合法的な統治に賠償問題が生じる余地はないという立場です。
日韓基本条約は、両国問題の核心である「植民地支配の歴史」に言及せず、請求権協定では、日本が3億ドルの無償供与と2億ドルの貸し付けを行うことで合意し、請求権問題は「完全かつ最終的に解決されたこととなる」(第2条)と明記。康氏は、「歴史に背を向けた関係正常化だ」と述べました。
個人の請求権は消滅しはしない
徴用工として強制労働させられた韓国人への賠償を日本企業に求めた韓国最高裁の判決(昨年10月30日)は、植民地支配が不当であることを正面から問い掛けたものだと強調。個人の請求権が消滅しないことは、日本も批准している国際人権規約に定められ、日本政府も認めている中で、「請求権協定をたてに(最高裁判決を)『条約違反だ』という日本政府の主張は通らない」と断じました。
また、米・英・中華民国の首脳による「カイロ宣言」(1943年)は、「朝鮮の自民の奴隷状態に留意して軈(やが)て自由且(かつ)独立のものたらしむるの決意を有す」と宣言し、日本が受諾したポツダム宣言もカイロ宣言の履行をうたっていると指摘。国連の「ダーバン宣言」(01年)は、植民地支配の責任は過去にさかのぼって非難されるべきだという国際政治の到達点を示したとし、「すべての歴史的文書と人権意識のレベルから、韓国最高裁の判決は極めて当然の内容だ」と語りました。
最後に康氏は、「いま大事なのは政府間の偽りの和解ではく、日韓両国の市民の相互理解に基づく真の和解。65年の日韓条約体制はすでに力を失っており、被害を受けた人の補償を封じ込めることはできなくなっている」と語りました。
(別項1)サンフランシスコ講和条約(1951年)の請求権放棄
第五章 請求権及び財産
第十四条
(a)日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。
(b)…連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた、連合国及びその国民の他の請求権…を放棄する。
(別項2)日中共同声明(1972年)の請求権放棄
5.中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。
(別項3)日韓条約(1965年)
①日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約(基本条約)
第二条 1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。
②日韓請求権並びに経済協力協定
第一条 日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルに相当する日本国の生産物及び日本人の役務を、協定の効力発生の日から十年の期間にわたり供与・貸付する。
第二条 両国及びその国民間の請求権に関する問題が…完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。
(大阪民主新報、2019年10月20日号より)