おおさかナウ

2021年04月12日

黒田革新府政誕生から半世紀を迎えて

 1971年4月の黒田革新府政誕生から半世紀を迎えたことを受けて、日本共産党大阪府委員会が発表したアピールを紹介します。

2021年4月11日 日本共産党大阪府委員会

「政治がかわった」――大阪の歴史的画期


革新府政2期目を目指す3万人の集会で声援に応える黒田知事(当時)=1975年3月9日、大阪市北区の扇町プール

 1971年の4月11日、大阪府知事選挙で黒田革新府政が誕生し、50年を迎えました。
 2期8年間の革新府政は、府民の多くに「政治が変わった」「政治が変われば、くらしが変わる」ことを肌身で実感させるものでした。
 「公害知事さん、さようなら。憲法知事さん、こんにちは」をキャッチフレーズに自民党左藤知事を打ち破って勝利した黒田知事は、全国で最初に「総量規制」に踏み切り、全国一きびしい環境管理計画を策定しました。大阪に青空を取り戻しました。「環境権」を明記した「自然環境保全条例」も制定しました。
 全国に先がけて65歳以上の老人医療無料化を実現し、福祉予算は8年間に110億円から620億円に5・7倍化しました。公立保育所は2倍化、学童保育への補助を復活させました。重度障害者の医療費無料化を実現しました。
 府立高校は56校建設し、自民党府政時代の5倍のスピードでした。私立高校生一人当たりの府助成額を70年度1万6154円から8万7908円へと増額しました。 
 憲法を府政に生かす姿勢をつらぬきました。1972年の沖縄返還に際し、東京・美濃部、京都・蜷川両知事と並んで声明を発表した黒田知事は、「沖縄の本土復帰とは、日本国憲法への復帰でなければならない」とのべ、自民党政府がもくろむ「核つき」「基地つき返還」に鋭く対峙しました。防衛庁の能勢ナイキ基地建設計画を断念させました。

革新府政を生み出したもの――統一の力

 革新府政を生み出した原動力は社会党、共産党をはじめとする「革新統一」の実現でした。
 それまで京都、東京が統一して民主的な府政・都政を実現していたにもかかわらず、大阪は社会党や総評大阪地評がさまざまな理由をつけて統一から背を向け、「分裂の拠点」とされていました。その大阪で統一への機運を大きく高めたのは公害問題、都市問題の深刻化とともに、自民党政治の転換を求める府民の世論、大きな流れでした。1971年に「大阪から公害をなくす会」が結成されるなど、新たな運動が高まりました。
 70年に入り、社会党、共産党の会談が30回以上積み重ねられ、ついに71年3月3日、両党の政策協定・組織協定調印へと結びます。こうして結成されたのが、「明るい革新大阪府政をつくる会」であり、その候補者として名乗りをあげたのが大阪市大の憲法学者、黒田了一さんでした。
 大きな不一致点とされていた、「ニセ左翼暴力集団」などは共闘対象にしないことなども明確にし、10団体で結成された「明るい会」は選挙の時だけでなく、日常的に民主的な府政の実現と継続のために力を注ぐことをうたった画期的な共同組織でした。
 「革新統一成立」のニュースが大阪をかけめぐりました。黒田さんの出馬表明は告示まで10日余という時点でしたが、労組・民主的諸団体のみならず、広範な文化人、文字通りの府民的な共同の力が結集しました。「1+1」が「3」にも「4」にもなるのが統一の力です。告示後の巨大なうねりのなかで、自民党政権も圧勝をもくろんだ「万博知事」、左藤氏を打ち破り、歴史的な勝利を得ました。
 1975年知事選で社会党・地評が「明るい会」から脱落するもとでも、府民的共同の広がりはとどまることなく、政党としては日本共産党だけが与党となる第2期黒田革新府政実現へと発展しました。

80年代以後の流れに立って

 黒田革新府政を目の敵とした自民党・関西財界は、79年の知事選において、「自社公民」体制をきずき、襲い掛かりました。関西財界が表舞台にたってのたたかいは167万対179万という大接戦となり、黒田知事は「偉大なる敗北」を喫しました。
 以来、大阪府政は日本共産党を除く「オール与党」体制が続き、老人医療有料化をはじめとする福祉切り捨て、「関空・大阪湾ベイエリア開発」を中心とする「ゼネコン浪費」の巨大開発が長期に続けられました。しかし、これがもたらしたのは大阪経済の停滞・沈下と府財政への巨大な負の遺産でした。これをすすめた関経連自身、「関西経済は絶対的衰退」と嘆きました(99年「関西経済再生シナリオ」)。
 「ゼネコン浪費」政治の破たんの中で、2008年知事選では、「オール与党」の枠組みが崩れ、このなかでタレント弁護士の橋下徹氏が知事の座につきます。2010年に「維新の会」を結成し、「大阪都構想」を提唱するなかで、「維新政治」の暴走が繰り広げられます。大阪の停滞の原因と責任は「府と大阪市の二重行政」にあると問題をすり替え、「身を切る改革」などのパフォーマンスで「既得権益者攻撃」を展開し、旧来の「オール与党」政治批判をとりこむなかで、少なからず幻想を与えてきました。
 しかし、二度にわたる「大阪市住民投票」の敗北にみられるとおり、「維新政治」は新たな破たんと矛盾に直面しています。新たな暴走政治にストップをかけるための新たな共同も広がりをみせています。コロナ禍の経験は、菅政権とともに、「維新政治」のあり方を深く見つめ、「このままでいいのか」との思いを広範な府民に広げています。
 私たちは、80年代以来の「オール与党府政」「維新府政」の経験にもたって、いま大阪で求められている政治変革の方向は、①どこよりも「格差と貧困」が広がる大阪で「公助」を貫く政治が求められること、②大企業・外国企業頼みでなく庶民のふところをあたため、中小企業をささえる経済政策への抜本的転換、③政治と行政の私物化、教育への介入・支配を断ち切る、ことにこそあると考えます。

「二重の逆流」を打ち破り、再び「大阪がかわれば、日本がかわる」の旗を高く

 大阪市の住民投票では、市民一人一人が政治的立場の違いをこえ、「大阪市を廃止してはならない」と共通の目標と意思をもち、大きな市民的共同をつくりだしました。
 直面する総選挙では、「市民と野党の共闘」で野党連合政権への道を切り開く絶好のチャンスが生まれています。日本共産党はその先頭にたって、比例代表選挙でのみずからの躍進とともに、野党共闘勝利へ、力をつくします。それは菅政権の最悪の補完勢力となる維新を少数に追い詰める力になるでしょう。
 同時に、大阪の地方政治においては、住民投票の到達点にたってさらに広い共同を実現し、維新政治転換のために全力をあげます。
 安倍政権と維新政治という「二重の逆流」を打ち破り、再び「大阪がかわれば、日本がかわる」のスローガンを高くかかげ、ともにすすもうではありませんか。

(大阪民主新報、2021年4月11日号より)

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