地震と原発事故 収束していない
第8次全国青年ボランティアに参加して
日本民主青年同盟は5月、8回目の東日本大震災被災地ボランティアを行いました。大阪から参加した大学生のわちゃこさん(仮名)に手記を寄せてもらいました。
津波の恐さ・原発の傷跡
この目で見て肌で感じた
府内の大学生・わちゃこさん
5月2日から4日にかけて、福島県の青年震災ボランティアに参加しました。私は、4年前の東日本大震災が起きた時から、なにか自分にできることはないかと思いつつも、自分の生活を優先してしまい、ほとんどなにもできないでいました。
全く想像つかなかった
最近ではテレビや新聞でもあまり被災地のことを取り上げなくなり、福島の現状や今後どうなっていくのかということなども全く想像がつきませんでした。自分の勉強不足もありますが、震災がどんなものか、復興がどこまで進んでいるのかやっぱり自分の目で確かめたいと思い、今回の参加を決めました。
1日夜、大阪を出発して2日の朝にJR福島駅に到着し、車で南相馬市の全国青年ボランティアセンターまで移動しました。
道中では畑と思われる広い敷地が手入れされていなくて、雑草が生い茂っていました。
汚染土が路上に山積み
またその辺りには、山積みにされた黒い物体がところどころにあり、それが放射能に汚染された土などの廃棄物と聞き、私はその量にも驚きましたが、そんなものがこんな車道沿いの空き地に置かれていることに衝撃を受けました。どこにもやりようのない「廃棄物」を見て原発事故の厄介さを改めて感じました。
ボランティアセンターについて、山梨と北海道からも青年が到着し、活動内容や南相馬市の現状についての説明をしてもらい、ボランティアセンター責任者の宮前さんという方の案内で小高区にフィールドワークに行きました。
畑か宅地かも分からず
沿岸部はがれき処理も大方終わって、ほとんどなにもありませんでした。その場所がもともと畑だったのか住宅地だったのかも分からないほど何もないのが、予想外でした。
津波の被害がひどかったそこには、もう人は住むことが出来ないと聞き、悲しくなりました。
その後も壊れたままで残った家や、小高区と浪江町の境界の原発予定地だったところや、被ばくした牛を、利益にならなくても殺さず飼い続けている「希望の牧場」などにも行きました。津波の恐ろしさや原発事故の残した傷跡をこの目で見て、肌で感じる、貴重な体験をしました。夜には日本共産党の渡部寛一南相馬市議から、福島のなかなか進まない復興状況の話を聞きました。
仮設暮らし
3日と4日は小高区に住んでいた人達が主に住んでいる、牛越仮設住宅に行って、訪問活動をしました。このような活動は初めてで緊張しましたが、住民のみなさんはフレンドリーで温かく迎えてくれました。
ヨーグルトや飲み物など次々に家から持ってきて、自分は座らずに私たちを椅子に座らせようとするほど元気な90歳のおばあさんが印象的でした。
ほとんどの人が3〜4年住んでいて、今の生活の不満を聞くと「もう慣れてしまった」という方が多かったです。でもやっぱり部屋は狭いし、家族がバラバラになっているのがつらいという方、今までしていた農業ができなくなって困ると言う方ばかりでした。
原発事故さえなければ
滞在中、ご自宅に二泊泊めていただいたご夫婦も言っていましたが、「原発事故さえなければ」と言う言葉を何度も聞きました。福島第一原発事故のせいで、若者や子どものいる人は遠くに行って帰ってこないし、農業も漁業もできない。除染作業もまだ終わっていない地域もある。原発事故が福島の復興を遅らせていることに本当に腹が立ちました。
実際に福島に行って、あの地震と原発事故は、まだまだ収束などしていない事を思い知りました。
今回見て、聴いて、感じた事を周りの人に伝えるのが、今のわたしに出来る事だと思います。本当に大切な経験をしました。この経験を無駄にしないよう、大阪での活動をしていこうと思います。
(大阪民主新報、2015年6月7日付より)