みんなの願いを国会へ わたなべ結物語④
ドイツそしてフランスへ
同じ敗戦国なのに
「強制収容所をどうしても見たい」
2007年8月。わたなべさんはドイツを1週間訪問。ベルリン、ミュンヘン、ドレスデンの3都市を訪ねました。
世界に目を向け語学を志した高校時代、強く関心を寄せた国のひとつが欧州で飛躍的な経済成長を遂げていたドイツでした。ドイツが経済に加え政治でもリーダーシップを発揮する一方、過去の侵略戦争に向き合おうとせず、アジア諸国に不信を広げる日本政府。
「同じ敗戦国なのに、どうしてこんなに違うの?」――ずっと抱き続けてきた思いが、わたなべさんをドイツへと向かわせました。
過去を忘れない
「ダッハウ収容所」は、1933年から45年まで存在した収容所で、ドイツ第3の都市ミュンヘン郊外にあります。
収容された人たちが植えたとされる美しいポプラ並木が続く広大な敷地の中に、当時のままの収容所棟がありました。
各国から約20万人の捕虜やユダヤ人が送り込まれ、過酷な労働や人体実験の強制などで3万人以上が死亡しました。捕虜たちが詰め込まれたベッドなど当時の様子が復元され、多数の資料や写真パネルも展示されていました。
ここミュンヘンやナチス時代も政治の中心地だった首都ベルリンなどの街中には、あちこちに「決して過去を忘れない」などと戦争犠牲者を悼むモニュメントがありました。
「自国の戦争犯罪と向き合い、次世代に引き継ごうとするドイツの立場に強い感銘を受けました」
廃墟のまま保存
2013年、再び欧州の地に立ったわたなべさんは、フランスに滞在し、ナチス・ドイツの侵略に抵抗したレジスタンス運動ゆかりの地などを訪ねました。
フランス中部オラドゥール村は、ドイツ占領下の1944年6月、ナチス親衛隊によって子どもから女性まで住民ほぼ全員が虐殺され、村は焼き払われました。ナチスの蛮行を後世に伝えるため、戦後、廃墟のまま保存され、今も欧州各国から多数が犠牲者の追悼に訪れます。
ちょうどわたなべさんが廃墟と虐殺を伝える展示館を訪れたのと同じころ、ドイツのガウク大統領が、独首脳として戦後初めてオラドゥール村を訪問しました。オランド仏大統領と共に廃墟を訪れたガウク氏はこう演説しました。
「ドイツ人がこの地で犯した重い罪に向き合い、恐怖と残虐行為の舞台となったことを、私たちは忘れることはありません」
真の友好国として
首長や閣僚による靖国神社公式参拝強行など、アジアで孤立する日本の政治・外交と対照的に、侵略戦争との向き合い方が日本と全然違うと痛感したわたなべさん。
「ドイツでは目を背けたくなるような戦争の事実を風化させず、『過去を忘れない』と、歴史への反省が日常の暮らしの中にも息づいていました。ドイツが欧州諸国で信頼を得たように、アジア諸国で日本が真の友好国として受け入れられるために、戦争の歴史、とりわけ加害の事実をしっかり見つめ、未来に伝え残していきたい」