『時代(とき)をつないで大阪の日本共産党物語』出版に寄せて
社民党大阪府連合代表 長崎由美子さん
私の家は明治初期からクリスチャンで、叔父、祖父などは牧師でした。叔父は戦前、聖公会の牧師をしている時に治安維持法によって米英のスパイだと拷問を受け、左耳が聞こえなくなりました。治安維持法は拡大解釈され、「イエス様と天皇、どちらが上か」と踏み絵を踏まされる。声を上げられるときに上げなければ、戦争する国に向かう国になってしまうのではと、子どもの頃から思っていました。
社民党に入るきっかけは、PKO(国連平和維持活動)法が国会で通り、憲法が覆されれば息子が戦争に行くことになるのではということでした。
私は生野区で、在日朝鮮人の人たちと一緒に暮らしています。韓国の民主化のため、軍事政権とたたかった政治犯の救済活動が、私の出発の原点でもありました。韓国も反共法の嵐の中、つかまるだけなく親族郎党が仕事を奪われ、就職ができないなど様々な弾圧を受けます。
(日本)共産党の皆さんは戦前弾圧を受け、本人だけでなく親族が村八分に遭い、仕事も奪われ、苦難に遭っただろう。皆さんが戦前歩まれ苦労され、民主主義をつくってこられたことに心から敬意を表します。
「100年史」の中で、社共共闘にはいろんなひずみがあり、私たちには耳の痛いことが書かれていることも事実です。それぞれの歴史を尊重し、お互いの違い、いがみ合い、ぶつかってきたのは何なのかを見た上で、運動で出会うときはやってきたことを尊敬しあう、形だけでない野党共闘をつくっていくことだと思っています。
(去年の衆院選)大阪9区で大椿ゆうこ(社民党副党首)が市民と野党の共闘の統一候補となった時、共産党の皆さんには本当に温かい支援を頂きました。改憲の動きが強まり、大阪では維新ともダブルでたたかわなければならない時に、なぜ市民が共闘を望んでいるかを踏まえて手をつなぐことだと思っています。皆様と共に市民と野党の共闘を進めていくためにも頑張っていきたいと思います。(9月24日の出版記念会でのスピーチより)
(大阪民主新報、2022年10月16日号より)