おおさかナウ

2015年07月14日

みんなの願いを国会へ わたなべ結物語⑥

派遣の涙、ネカフェ難民、蟹工船

激しい嗚咽

 金曜日の午後。印刷会社の社内で聞こえてきた泣き声にわたなべさんは思わず立ちすくみました。同じフロアで働く派遣契約の女性だと気付きましたが、声を掛けることさえはばかられる激しいおえつを漏らしていました。
 週明けの月曜日。気がかりだったわたなべさんに別の同僚が言いました。「辞めさせられたらしいよ…」
 仕事の担当は違っても言葉をかわすこともあった女性でした。激しく泣き続ける声を聞いただけに、その女性のことが心配で、突然雇用が打ち切られたことに言いようのない悔しさを感じました。
 「当時、印刷不況といわれる中、会社幹部は“利益”“好業績”だと誇らしげに語っていました。いつでも首を切れる安上がりの非正規労働者の犠牲の上に会社の利益が成り立っているのだなって強い矛盾を感じました」
 増え続けた派遣労働者は2003年の法改悪による原則自由化などで07年から08年にピークを記録。「ネットカフェ難民」や製造分野の大量派遣切りが社会問題になり、戦前の日本共産党員作家・小林多喜二が若者に共感を持って読まれる「蟹工船ブーム」が広がりました。

党を大きく

 “人間らしく働けるルールの実現を”――日本共産党の主張を理論としてだけでなく、仕事の中で現実の体験として確信したわたなべさんは、「日本共産党をもっと大きくしないと、社会を変えられない」と決意。再建した民青同盟地区委員会の中心メンバーとして青年運動にいっそう力を注ぎ、26歳の時に日本共産党木津川南地区委員会の勤務員になりました。
 ▼働く働きたいネット結成▼1668人の青年アンケートを集約▼青年向け職安=ジョブカフェ視察▼府労働部局と2年連続懇談開催▼「自己責任論を乗り越えて」学習会▼24時間営業ファストフード店実態調査―など多彩に活動し、街頭で青年と対話を続けました。
 この中で忘れることのできない青年の言葉があります。

忘れられない言葉

 青年アンケート活動に向かう途中、わたなべさんは1人の青年を見掛けて自転車のブレーキを掛けました。
 高架下の路上に座っていた当時28歳の青年は、過酷な派遣労働を経験した後ホームレスになったと打ち明け、「派遣の生活よりホームレスの方がまし」と語ったのです。
 「とてもショックを受けました。未来を担う青年に『ホームレスの方がまし』といわせる社会は絶対に許せないし、間違っていると感じました」
 街頭対話で「頑張れていない自分に自信が持てない」「声を上げても社会は変えられない」と語るなど、多くの青年があきらめさせられている現実にも直面。自らもずっと感じてきた「生きづらさ」や「自己肯定感」を持ちづらい現状を仲間とともに乗り越えていこうと、学習と実践を続けます。
 若者の苦しみの大本に財界・大企業を応援する政治があることや、政治を変える展望を自信を持って語れるようになったわたなべさんは、かつて雇い止めされた同僚女性に電話を掛け、「あなたのせいじゃないよ」と伝えました。

政治変えるために

 2008年10月5日。東京・明治公園で開かれた第5回全国青年大集会で、わたなべさんは5千人を前に訴えました。
 「派遣労働の規制強化を一歩でも前進させたいと、苦しめられている私たち自身が『自己責任論』を乗り越えようと学び活動してきました。私たちの苦しみの大本に、今の政治があると分かった以上、この政治を変えるために精いっぱいたたかいたいと思います。人間破壊の社会から、人間を大切にする社会に変えるために、みなさんと一緒に頑張り続けます」

全国青年大集会で訴えるわたなべさん
=2008年10月、東京・明治公園

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