おおさかナウ

2023年12月30日

日本共産党衆院近畿比例候補が語る
「私と日本共産党」

 日本共産党の衆院比例近畿ブロック候補の4氏に、日本共産党との出会いや、これまで感じてきた党の魅力を寄せてもらいました。

反戦の思いを力強く後押ししてくれた党
たつみコータローさん

 父親が共産党の大阪市会議員を務めていたため、共産党は生まれた時から身近なものでした。父親を通じてしか見ていなかった日本共産党が、自分にとっても大きな存在になったのは26歳で入党してから。きっかけとなったのが9・11事件とその後のアフガン、イラク戦争でした。
 テロは許せない。しかし米国が行う報復戦争も間違っていると強い憤りを覚えました。誤爆で次々亡くなる「テロリストではない」無辜の市民、米国にものが言えない日本政府の姿勢、なし崩し的な自衛隊派兵など、「憎しみの連鎖」でテロを再生産する戦争と、それに付き従う日本政府の姿勢を目の当たりにしました。国連憲章違反の戦争は許さないという日本共産党の堂々たる論陣は、自らの反戦の思いを力強く後押ししてくれました。
 今また中東が戦火に包まれています。ハマスの蛮行は許されません。イスラエルの戦争犯罪も許せません。日本共産党員として反戦の声を上げ続けます。

「赤旗」の出張所員から始まった党の活動
清水ただしさん

 私の党専従としての生活は、「しんぶん赤旗」梅田出張所長として始まりました。初日は背広を着て出勤したところ、周りから「汚れるだけやで」と言われ、すぐにジャージに着替えてワゴン車に乗り込みました。関西共同印刷所に到着して、いくつもの梱包された「しんぶん赤旗」日曜版を積み込み、そこから支部のセンターなどに配送する作業が一日続きました。
 その後の仕事も配達の手配と集金管理。自ら早朝配達や読者集金も担当し、多い月には230件の集金を担当しました。政党の職員になったのに、新聞販売所に就職したような気持ちになったことも…。しかし、「しんぶん赤旗」は国民と党を結ぶかけがえのない役割を果たしていることを学び、読者を増やすことと合わせ、確実に配達・集金すること抜きに、日本の政治を変えることはできないと、やりがいを持って勤めました。「しんぶん赤旗」に期待と注目が集まっています! とても嬉しい気持ちです。(大阪4区重複)

生き方重ねるとはこういうことかと入党
堀川あきこさん

 日本共産党に入党したのは2007年、学生時代です。活動を始めたきっかけはイラク戦争が始まったときに、どうやったら戦争のない社会を実現できるのかが最大の関心でした。自分と社会との関係を意識した最初のテーマでもありました。
 その後、自衛隊の海外派兵が焦点になり、憲法9条そのものを疑問視する世論がつくられ、改憲の策動が強まっていきました。そんなとき鋭く改憲の狙いを告発し9条を守り抜く立場で奮闘していたのがやはり日本共産党でした。生き方を重ねるとはこういうことかと初めて自覚し、入党を決意しました。祖父母が、亡くなる直前まで戦争体験を語り継いでくれたのは、9条を守り引き継ぐ意志だったのではと思います。
 世界でも日本でも、軍拡か平和かが問われるいま、平和をつくる道を模索し、実現に向けて行動する日本共産党こそ、未来ある政党だと言えるのではないでしょうか。この生き方を私は貫きたいと思っています。

「赤旗」と人形劇なしに生まれなかった
こむら潤さん

 両親は20代の独身の時から党員で、青年の人形劇サークル活動で出会ったそうです。初めは同志と知らず、話の流れで「実は僕、赤旗配ってんねん」「私も赤旗配ってるんよ」と意気投合、「おじいちゃんおばあちゃんになるまで一緒に人形劇やろう」というプロポーズで結婚したそうで、「しんぶん赤旗」と人形劇なしに私は生まれていないのでした。
 のちに私と弟二人を含め、家族5人でアマチュア人形劇団の活動を続けてきました。振り返れば両親は私たち子どもに対して、上下関係の親子ではなく「活動する仲間」として接してくれていたように思います。
 自分の意志で「憲法9条は変えたらあかん」という思いで入党し、10年になりました。綱領や党史を学ぶと、両親はバリバリの活動家ではないが、生き方に党の理念が貫かれていたのだと実感しています。3人のわが子も民青同盟員や党員として、それぞれの思いで未来社会を目指し頑張っています。(兵庫8区重複)

(大阪民主新報、2023年12月31日・2024年1月7日合併号より)

 

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