原水禁世界大会に7千人
大阪から400人 寸劇で訴え
核兵器ない世界 1日でも早く
1955年から毎年開かれている原水爆禁止世界大会が4日から6日まで広島市内で行われ、全国から約7千人、大阪から約400人が参加しました。08年に広島、09年に長崎の世界大会に高校生として参加して以来、5年ぶりに参加しました。(松本雅文記者)
核兵器を廃絶するまで死にたくない
国連事務総長がメッセージ
世界大会には、国連軍縮問題担当上級代表のアンゲラ・ケインさんら、国際機関のメンバーや世界各国の代表が参加。潘基文(パン・ギムン)国連事務総長から「核兵器をなくすことは、世界の人々すべての利益となるものであり、将来核兵器が使用されない唯一の保証です」とのメッセージが寄せられました。
日本原水爆被害者団体協議会の坪井直代表委員は、「核兵器廃絶、核兵器禁止条約が成り立つまでは、絶対に死にたくありません」と訴え。NPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれる2015年を「核兵器廃絶への決定的な転機にするため、草の根から広大な世論と運動をつくろう」と呼び掛ける「広島決議」が採択されました。
大会に向けて取り組まれた平和行進で、北海道から東京のコースを通して歩いた山口逸郎さん(82)=東京都在住=は、「原水爆禁止と核廃絶を生きている間に絶対実現するとの思いで歩いてきた」と話しました。
昨年の平和行進で「国際青年リレー」を提唱し、今年実現させた非核フィリピン連合のマラヤ・ファブロスさんや、同国民族平和運動をするニーニョ・デシェルトさん、アメリカフレンズ奉仕委員会研究員のソフィア・ウォルマンさんら、各国の青年も参加し、核廃絶を呼び掛けました。
大阪で100万人の核廃絶署名
大阪からの参加者も、小松正明原水協事務局長、清水忠史日本共産党府副委員長らとともに登壇。NPT再検討会議に向け、大阪で100万人分、全国でも多くの核廃絶署名を集めようと寸劇で訴えました。
2度と繰り返してほしくない
青年が被爆の体験聞き取り
4日夜、行われた「Ring!Link!Zero青年のつどいと文化の夕べ」には全国から約760人の青年が参加。被爆体験を聞き、核廃絶に向けた全国各地の取り組みを交流しました。
5日は、「非核平和の自治体づくり」「岩国基地・呉基地調査」「被爆電車に乗る」など、11のテーマで分科会が行われ、青年が被爆者を訪問し体験を聞き取る「青年のひろば―被爆者訪問」には450人の青年が参加し、48のグループに分かれ体験者の話を聞きました。
広島市内の診療所に訪問したグループには3人の被爆者が体験を語りました。自宅で被爆した奥野悦子さん(88)は、自宅は爆心地から約1・3㌔㍍、職場もすぐそばで、「どこにいても被害に遭ったが、命があっただけでも奇跡的だ」と話しました。
思い出すのもつらいことで
69年前の被爆体験を今回初めて話した奥野さんは、自分の家や職場、爆心地の場所を地図で説明しました。
「思い出すのも辛いことで」と時折両手で顔を覆いながらも、「原爆被害を若い人に知ってもらい、2度と繰り返してほしくない」と語っていました。
後世に戦争や核兵器のことを伝えたい
世界大会には、大阪の専門学校に通うAさんの姿もありました。
小学生の時に『はだしのゲン』を見て以来、平和や戦争に関心があったというAさん。来年3月に発表する卒業制作映画のテーマに平和を選び、制作を進める中で、集団的自衛権などに反対する青年の運動を知り、「戦争の歴史、これまでの平和運動、青年の運動、社会の運動を取り上げよう」と、6月22日に東京で行われた「若者憲法集会」や大阪の平和行進にも参加しました。
Aさんは、世界大会の様子や、被爆者の証言をビデオカメラで撮影。被爆体験を聞く分科会に参加し、「後世の人に、被爆者の体験を通じて、戦争や核兵器のことを伝えたい」と話していました。
事実を正確に知ることが戦争繰り返させない力に
学校の教科書では、戦争と原爆投下の“話”は1ページで終わり、被爆の実態や戦争の事実も詳しく教えないところが多いのが実態です。何千万人もの日本や世界各地の人を巻き込み、殺し、苦しませた事実を正確に知ることが、戦争を繰り返させない力になると思います。
広島で出会った被爆者の多くが、「自分に残された時間は多くない」と語り、その限られた時間で被害や町の様子を証言し「命のあるうちに核廃絶を」と訴えました。核兵器を国際ルールとして禁止し、1日でも早く核兵器のない世界をつくること。多くの人に真実を伝えなければならないとあらためて感じました。
(2014年8月24日付「大阪民主新報」より)