市民と野党の共闘、歴史の新しいページ実感
府議補選をたたかって
19日に投開票された東大阪選挙区の大阪府議補選で、候補者としてたたかった日本共産党前東大阪市議の内海公仁さんの手記を紹介します。
日本共産党前東大阪市議 内海公仁
立候補の決意から投票日まで24日間。短期間で候補者として出来ることはすべてやり尽くそう、の思いで頑張りましたが、良い結果を出せなかったことが、本当に残念です。
勝利を信じて連日大奮闘していただいた東大阪の党と後援会の皆さん、大阪府下から、全国から直接・間接に様々な形でご支援をいただいたすべての皆さん、そして私に一票を投じていただいたすべての有権者の皆さんに、私の力不足で議席を得ることが出来なかったことをお詫び申し上げます。
日々、市民と野党の共闘を
出馬の決意を固めた直後に、同僚議員でもある新社会党の松平要さんに伝えると「衆議院選挙で身を切ってでも野党の共闘、平和と民主主義を守る闘いを前進させた共産党への熱い評価です」と大阪府連として推薦を即決していただいたのをはじめ、社民党、自由党、立憲民主党国会議員の方々から推薦と支持をいただきました。屋内外の集会、演説会に連日のように応援をいただきました。様々な立場で市民運動をされている皆さんからもたくさんの応援をいただき、インターネットのSNSでの拡散、政策チラシ配布、電話かけなど、我が事のようにご支援をいただきました。私自身が「市民と野党の共闘」の劇的な発展を日々実感することが出来ました。さらに、自民党や他党の市会議員のみなさんからも激励・応援をいただきました。
「反維新」で保守層とも共同
その背景にあるのが、一昨年の「戦争法」強行以来の市民と野党の共闘の前進と、大阪での「反維新」の保守層も含めた共同のひろがりです。
ある自民党の重鎮の社長さんが「今、保守勢力は『政治的難民』状態だ。だから大阪の維新や東京の小池新党などに惑わされている。だからあなた頑張りなさい」と語り、今の政治状況を憂いながら、共産党の一貫した態度を評価していただいたことが印象的でした。勝利こそできなかったものの、歴史の新しいページを実感することが出来ました。
市議団長の立候補の決意に
今回の選挙は、総選挙で共産党の議席が後退して、党内や後援会員の中にあった「がっかり感」を払拭すること、さらに貴重な共産党の議席を政務活動費不正着服という重大な事件で失った事に対する有権者に対する責任を果たさなければならない選挙で、党と後援会が一枚岩で結束して闘うことが出来るかどうかも問われていました。
しかし、東大阪地区党の副委員長であり党市議団団長であった私が候補者として決意した気持ちを酌(く)んで、それぞれが立ち上がっていただいた事も感動的でした。また、ツイッターやツイキャス(同時配信)などのSNSを駆使して世代を超えて全国へたたかいがひろがり、24日間のアクセス件数は24万件にものぼりました。
声届けるため本選では必ず
街頭では、候補者カーに中学生が駆け寄って「チャレンジテスト反対!いいぞ!」と強い反応がありました。演説が終わると「私は柏原東高校の卒業生です。母校をなくさないでほしい」と若い女性が握手を求めてきた事もありました。「新しい支援学校をぜひつくってほしい。どんな状況か現場を見に来てほしい」と訴える関係者の真剣なまなざしは忘れられません。
「国保がこれ以上高くなったらどうしたらいいの!」「一部負担金の減免が使えなくなったら医者にも行けない」とか細い声で話してくれた方もいました。「カジノなんてとんでもない。ギャンブルで家族もバラバラになりました」など、多くの皆さんから、「維新政治」に対する不満とともに私への期待の声がたくさん寄せられました。
それだけに皆さんの声を府議会に届ける事が出来ない結果に終わったことが残念でなりません。だからこそ私はここで闘いを中断させるわけにはいきません。選挙結果の出た翌日の報告集会で私は「1年5カ月先の本選挙では必ず議席をとり、府議会で働きたい」と宣言しました。
明日も朝6時半から駅頭に
そしてそのために、教育の現場の実態を多くの市民へ知らせ告発する運動、医療や介護の現場で日々ご苦労されている皆さんと連携した制度改善の運動、東大阪で新たな支援学校を早期に新設するための運動、中小業者や商店主の皆さんの要望に応えられる政策提案などをおおいに取り組みます。そして、選挙がどんな組み合わせになろうとも勝利できる基礎的な党の力をつけるために、逆算で毎日やるべき事を積み上げていく決意です。
その具体化のひとつとして、明日も朝6時30分から駅頭にたちます。(うちうみ・きみひと)
(大阪民主新報、2017年12月3日付より)