サンフランシスコを訪ねて
大阪府委員会国政対策委員長 わたなべ結
日本共産党大阪府委員会の、わたなべ結国政対策委員長は3月末、米サンフランシスコ市を訪ね、日本軍「慰安婦」像設置に携わった市民と交流しました。手記を掲載します。
インバウンド(訪日外国人旅行)を歓迎し、万博誘致を叫び、口を開けば「国際都市」をアピールする大阪市。しかし、昨年12月、吉村大阪市長は、サンフランシスコ(以下、SF)市民が設立した旧日本軍「慰安婦」像の公有地への移管に対し、「大阪市とサンフランシスコ市との信頼関係が損なわれた」として、1957年以来の姉妹都市提携を解消するという国際的に恥ずべき意向を表明しました。
■姉妹都市を人質
この問題は2015年8月、当時の橋下市長が「像」設置を支持する決議案を審議しているSF市議会に対して、決議案採択に「懸念」を表明する「公開書簡」を送ったことに始まります。橋下氏は市長在職中に「『慰安婦』を強制連行した証拠はなかった」「『慰安婦』が必要なのは誰だって分かる」などと発言し、国内外から大きな批判を浴びてきました。
そうした橋下氏の恥ずべき言動に対して、吉村市長は何の批判もしないどころか、「不確かな一方的な主張をあたかも歴史的な事実であるかのように碑文に刻むことは日本、大阪に対するバッシング」だと主張して、姉妹都市提携を人質に取り、解消を示唆する脅しの様な「公開書簡」をSF市に送りつけたのです。
国家が関与して「慰安婦」制度をつくったのは、大日本帝国とナチス・ドイツだけであり、他に例をみないものです。国際社会は、真剣に戦時性暴力の根絶を目指しているからこそ、「慰安婦」問題を不処罰のままにおいている日本政府への態度を厳しく問い続けてきました。そうした国際社会において、橋下氏に続く吉村市長の今回の恥ずべき行為は、真の友好関係を築こうとする努力に水を差し、大阪や日本の評価をさらに貶め、孤立させるものだと言わなければなりません。
■米市民の危機感
SF市で「慰安婦」像を設置する市民運動を担ったのは「慰安婦正義連盟」(CWJC、以下「連盟」)のメンバーです。この「連盟」には、人権や平和、女性や労働運動などに関わる団体や関係者などが、人種や民族的背景を超え参加をしています。
メンバーの1人であり、軍隊に関係する性暴力の問題に関わってきたジュディスさんは、「初めにこの問題に関わらないかと誘われた時、『慰安婦』を否定し、『像』の設置に反対するなんて、『ホロコースト』を否定するのと同じレベルのことだから、そんな信じられないことが起こるはずがないと思っていた。しかし、市議会の公聴会には、日本人の歴史否定、歪曲家たちがやってきて発言し、唖然とした。そこから本格的に関わるようになった」と参加した経緯を話してくれました。
「『慰安婦』は嘘」「強制はなかった」などと主張する日本人右派達の言動が、様々な運動に携わってきた人々の危機意識を高め、団結させ、たたかう基盤を構築する力となったといいます。そして「慰安婦」像設置を支持する決議案は市議会で全会一致の「賛成」となり、2年という異例のスピードで設置に至ったのです。
「連盟」の代表的役割を担ったのはニ人の元判事でした。お二人共、この運動をするために判事の職を辞す決意をされました。その一人、ジュリー・タンさんは力強く凛とした声で、「私達はたった2年。ハルモニたちは75年闘ってきた。この問題は歴史的な重要性をもつだけでなく、将来、人々が女性をどう見るかという問題であり、紛争地で女性をどう扱うかという問題であり、平和の展望など全てに影響する問題だ」と話されました。そこには、歴史を歪曲し、人権を踏みにじるものは許さないという確固とした決意がみなぎっていました。
■正義の意識もつ
また、「慰安婦」像設置を支持する決議案の共同提案者でもあるエリック・マー元市議は、「慰安婦」像は「日本の方々を非難しているわけではなく、今まで正義が果たされたことのない人々に正義をもたらすことが目的です」「この様な暴力が二度と誰の身にも起きないように、これからの若い世代が『正義』の意識をもっていけるようにと願っています」と私達の訪問に感謝を述べられました。
日本人右派も吉村市長も日本や大阪がバッシングされていると言い、この問題を対「国」や「民族」の対立であるかのように描きます。しかし、加害国として日本の責任が問われていることはもちろんですが、この「像」設置に込められた思いはそれだけではなく、世界中から性暴力や性的人身売買を根絶するためであり、差別を許さず、人権を守り、平和で公正な社会を実現するためなのです。
■門戸は日本にも
そうした高い人権意識と志のもとで市民運動が進められてきたことがメンバーから口々に語られる思いから身に沁みるように理解できました。そしてその運動の門戸はもちろん日本の市民にも開かれているのです。そこには偏狭な愛国心にとらわれた姿はありませんでした。
■日本政府の圧力
「慰安婦」像を設置させないために、日本政府や大阪市からも強い圧力がかけられたと聞きました。日本の在SF領事は市会議員一人一人に決議案に反対するように圧力をかけました。日系コミュニティには、日系企業からの援助金カットがちらつかされた話もありました。
最終的に、表立っては吉村市長の「姉妹都市提携解消」の脅しがあったわけですが、皮肉なことに、このニュースが注目を集め、新聞やテレビで大々的に取り上げられ、逆に「慰安婦」像設置のことや「連盟」に注目が集まり、市民的にも知られるところとなったと言います。一方で、吉村市長に対するSF市民の評価は下がり、日本の政治の中にはびこる歴史修正主義の恥ずかしい姿が露呈することとなりました。
そもそも姉妹都市提携は、様々な考えの違いを超えて親善交流を強める意志の下に成り立つものであり、吉村市長の様に、提携を人質の様に扱い、「政治的な考え方」の違いを相手に押し付けるために利用するなどという行為は、たとえ歴史認識に違いがあったとしても、その違いを超えて批判されなければならない愚かな行為です。
■大阪市自ら発展
今年で61年を迎えるSF市との姉妹都市提携は、市民や民間の交流を基礎にして、大阪市自らも育んできたものです。
SFの観光名所であるゴールデン・ゲート・ブリッジを臨むリンカーン・パークには、江戸幕府が派遣した勝海舟が乗船した咸臨丸が、SF港に入港して100年を記念した「碑」が建てられていました。この碑は、姉妹都市が提携されて3年目の1960年、当時の中井光次大阪市長自らが揮毫した、大阪市とSF市の親善促進を願い、大阪市が建てたものです。碑の裏には「日米修好通商百年記念行事として両国の親善促進のために大阪市がこの碑を建て姉妹都市サンフランシスコに贈る」と書かれています。大阪市とSF史の友好促進のみならず、日本をアメリカの友好の架け橋の役割を大阪市が果たしてきたことがわかります。
また、日本から移民し、戦時中には強制収容所に連行された苦痛の歴史をもつ日系人の暮らしぶりなどを伝えるメモリアルなどが建つジャパン・タウンには、「大阪通り」と名付けられた通りがあります。姉妹都市50周年の2007年に、記念として名付けられました。当時の関淳一市長がこの通りの標識を披露する式典出席のためにSFを訪れています。
吉村市長は、これだけの時を経て両市が温め築いてきた交流の歴史を、政治的思惑だけで政争の具として利用し、なかったことにするというのでしょうか。それはあまりにも視野が狭く、大阪市の歴史にも禍根を残すのではないでしょうか。
■「多様性」と「寛容さ」あふれる都市
「SFに行けば世界一周ができる」と言われるくらい、SFは多人種、多民族、多文化の都市で、滞在中も「一体私はどこの国にいるのか?」という感覚になりました。性的マイノリティと言われる人々が集うカストロという地域もあり、性の多様性を示すレインボー・フラッグがあちらこちらにはためいていました。
■誰も居ていい
そのSFから大阪へ帰り着いたその足で、私は国籍や性などの多様性を尊重し合うダイバーシティ(多様性)・パレード2018に参加しました。
パレードの中で、「だれでもおったらええやん」というプラカードを目にしましたが、数日のSF滞在で私が実感したのはまさにこの言葉でした。多様な人々が行き交い、市民なら、たとえホームレスの方であっても、誰でもシティ・カレッジで授業が受けられ、同性婚のカップルも含め何組もの市民が市役所で結婚の誓いを幸せそうにあげているSF市。そうしたことを知るにつけ、「私もここにおっていいんや」と言われている気がしたのです。
■大阪の「ええ所」
大阪だって、本来多様な人々がつくりあげてきた街で、そうした多様性や包容力が大阪の「ええところ」の一つだったはずです。その「ええところ」を今こそ発揮をして、それこそ海を越えて市民の横のつながりを広げ、対立や分断、差別や排外的な風潮を持ち込む勢力を許さず、真に世界に開かれた魅力ある都市を目指すことこそ、発展の道ではないでしょうか。その一翼を担う役割を果たしていきたいと思います。
(党大阪府委員会国政対策委員長 わたなべ結)
※「しんぶん赤旗」2018年4月13日、14日、17日、18日に掲載。