大阪における日本共産党の値打ち 最終回
日本共産党大阪府委員会政策委員会副責任者 大西淳子
民主連合政府の提案掲げ
未来をひらく党
政治の力で災害から命を守って
小説『タケ子Ⅱ』(稲光宏子著)では、1961年大阪を襲った第二室戸台風で、のちに参議院議員となる沓脱タケ子氏が、医師そして市議として被災者支援にあたった姿が描かれています。
民主勢力が被災者同盟を組織し、区長交渉にあたる、被災地の後片付けに自衛隊派遣を要請するなど、1950年に起きた「ジェーン台風とは比較にならないほど水準の高い活動が展開され、大きな政治の力を発揮」したのです。
95年の阪神淡路大震災。同年夏初当選した山下よしき参議院議員は、被災者の生活補償を求める幅広い市民の運動と連携し、98年「被災者生活支援法」制定へ、自然災害被災者への個人補償の扉をこじ開けました。
今年6月の大阪北部地震では、小学生の命を奪った高槻市のブロック塀倒壊を国会質問でとりあげ、府市町村議員団の奮闘で、危険なブロック塀撤去費用の補助へつなげました。
住民の苦難に寄り添い、その軽減に全力をあげるという共産党の立党以来の精神は、大阪の党史に連綿と受け継がれています。
一切の不正許さず正面から対決
60年代後半から70年代の大阪民主新報では、〝不公正乱脈な同和行政を許すな〟と、毎号のようにたたかいを呼び掛けています。「部落解放」に名を借りた不当な糾弾や行政私物化の横行に対して、毅然と立ち向かったのが日本共産党でした。
当時の精神は今日、「御党だけは初めから一貫して維新と対峙してきた」(元民主党衆議院議員)と言われる維新政治とのたたかいや、「一番仕事をした」(『週刊朝日』松原隆一郎放送大学教授)と高評価を得た、森友事件の徹底した追及ぶりに見ることができます。
相手が誰であれ不正は許さない――大阪の党の歴史を貫くこの姿勢こそ、府民からの信頼に応えられる強みです。
共同の力を結集へ〝土台〟の役割
「ポストの数ほど保育所を」「老人医療費無料化」「公害規制」など、革新府政・市政を実現し、住民本位の施策を勝ち取ってきた1970年代。住民とともに要求を実現させていく運動の中に、いつも共産党の姿がありました。
党と民主勢力の孤立化を狙った「社公合意」(1980年)以降、共産党は「3つの共同目標」を掲げる「革新懇」運動を提唱。大阪でも『釣りサンデー』の小西和人さんはじめ、平和と民主主義を愛する幅広い方々との共同を府下各地で広げてきました。大阪革新懇ニュースには今も宗教者や学者、文化人、経営者など様々な分野の方が登場します。
その力は今、「おおさか総がかり集会」に党派を超えて1万2千人を結集するなど、新しい市民と野党の共闘を支える“土台”としての確かな役割を担っています。
府民とともに「民主連合政府」へ
府民に寄り添い、不正とたたかい、府民との共同で新しい大阪をつくる道を、ブレずに追求してきた共産党。その値打ちを府民に語り広げ、国政でも地方でも大きく躍進し、憲法が生きる新しい未来、民主連合政府への道を切り拓きましょう。
(大阪民主新報、2018年12月9日号より)