日本共産党統一地方選若手候補者座談会
住民の命、暮らし守る自治体へ 上
統一地方選挙まで3カ月余りに迫る中、維新政治を打ち破り、住民の命と暮らし、民主主義を守り、地方自治体本来の役割を果たそうと、日本共産党の候補者が奮闘しています。5人の若手候補者に集まっていただき、党との出会い、政治革新への決意、党への期待の広がりなどを語り合ってもらいました。
共産党と出会い、行動する人に
山本い 河内長野市出身で、豊中市の会計事務所に3年ほど勤め、2011年から2期7年市議を務めて、18年の府議補選で候補者になりました。
山本の アパレル会社のデザイナーを経て、2018年3月まで保育所で働いていました。
やなぎだて 高校卒業後、民間の会社で働いて、22歳の時に共産党の職員になり、「しんぶん赤旗」出張所の仕事を10年ぐらいやっていました。小学1年生と2歳の子どもがいます。
森 高校卒業してガソリンスタンドで10年ほど働いた後、2018年8月までパチンコ屋で正社員として働いていました。
副店長と共に入党した
松田 小学5年と2年の子がいるシングルマザーです。子どもが通っている公立幼稚園が廃園になるとなった時にPTAの会長をしていて、反対運動に参加しました。
森 僕は周りがみんな共産党で、父は現職議員(森頼信堺市議)ですが、ガソリンスタンドの店長をしていた時に勧められて党員になりました。1歳下の副店長も誘って一緒に入りました。(一同「すごい!」)
やなぎだて 僕も親が党員で、何の抵抗もなく入りました。原水爆禁止世界大会に行った時、フェリーの中で宮本岳志さん(衆院議員)に言われて。
松田 幼稚園廃園反対の運動で共産党の議員さんや党員さんと出会って、2017年5月に共産党に入りました。それまで子育てのことしか興味がなく、テレビで「森友加計って言ってるなー」ぐらいでした。
山本の 私も親が党員で、母(山本陽子元府議)の宣伝カーのアナウンサーをやる中で入りました。
山本い うちは祖父母が党員でした。18歳の時、イラク戦争の反戦運動が盛り上がって、大学に入るので政治活動でもしようかと思って地元の選挙のビラ配りに行った時、民青に加盟し、その夏に党にも入りました。
こんな世界があるんだ
山本の 党に入ってすぐに、東京で開かれた青年大集会に行った時、争議をたたかっていたコンビニ店長の方のおかしいことをおかしいと堂々と発言する姿が衝撃でした。我慢するしかないと思ってた中でこんな世界があるんだと。私自身も周りの友人たちも、サービス残業や休みもろくにとれないブラック企業で働いていて、声を上げていきたいと思いました。
森 僕は、一人旅で日本一周しようと思い、ガソリンスタンドを辞めて沖縄に行きました。そしたらオスプレイの反対運動が起きていてデモに参加したんです。人間って本気になったらすごいと思いました。それで沖縄が好きになりすぎて、一周の旅は辞めて、1年半沖縄に住みました。その時の衝撃が今の活動につながっていると思います。
松田 高校卒業後に就職したのが本屋でした。各店舗に社員は1人で、あとはパート・アルバイトでした。休憩もとらず昼の1時2時まで働いて、帰ってから昼ご飯を食べたり、お客さんも気を使うぐらい、レジ担当者が社長に怒られたりという職場でした。今思うと、あの時が声を上げる場だったのかなと。上の子が幼稚園に入る時も、行きたかった幼稚園が廃園になったので、もっと早く声を上げていたらと思いました。
大本の政治変えたいと候補者に
それぞれの決意を胸に
松田 マイクを持った経験もなかったし、党に入ってまだ間もないし、同居している母にも反対されるかなと思って話してみると、「まあない経験やから1回やってみたら」と言われて、断れなくなって(笑い)。ポスター貼ってるのを見て子どもが友達に何か言われるかと思っていたら、上の子は「看板見たよ」と言ってもらったり、下の子は「ママ、もう議員さんになったんか?」と(笑い)。
森 僕は決意というより使命感でした。なんだかんだ言っても共産党が好きで、党が候補者を立てられず選挙ができなくなるのは避けなければと思うと迷いもなかった。
維新と自民との対決に
山本い 府議補選に出た時は、次の市議選に向けて名刺3千枚刷って、後援会の人たちもまさか辞めると思っておられなかったので、大変でした。だけど森友問題で口をきいていた自民党府議の市長選出馬で補選が行われることになり、維新と自民が立つ中、このままでは駄目だと思い決意しました。
山本の 候補者の話は以前からあったんですが、前回は子どもの貧困や虐待が問題になる中で、自分にも何かできないかとデザイナーを辞めて通信大学に通い、保育所で働き始めたばかりだったので、決意できませんでした。
今回も悩みましたが、定数が1減らされる中で絶対に共産党の議席を落とせない。あらためて考えてみると、維新市政になって保育所の補助金がどんどん削られて、うちの保育所も10年間で1千万円カット。保育士の給料やボーナスを上げたいのに上げられず、保育士不足になってどうにもできない。大本の政治を変えて維新政治は終わらせないといけない、子どもたちの虐待や貧困をなくすことも政治とつながっていると思い決意しました。
地域に必要な党の議席
やなぎだて 人前でしゃべるのも好きじゃないし、スーツも持ってないし、住んでる地域と違う所から出るので、引っ越さないといけない。悩みましたが、共産党議員がいない地域で地元の要求が届かず、維新市政の下でどんどん市民サービスが削られる状況を変えるには、絶対に当選しないといけないと思いました。
妻に相談したら、「本気でやるならいいよ。その代わり覚悟を持って」と言われ、「はい、分かりました」(笑い)と決意しました。
そんな矢先に大阪北部地震が起きたんです。すぐバイクに乗って様子を見て回り、その後もいろいろ話を聞きましたが、例えば倒れたブロック塀が道をふさいで、地域の人が市に電話したけど、自分でどうにかせよと言われた。現職議員につないで対応してもらいましたが、議員だったらすぐ解決できた問題があり、地域にはやっぱり共産党の議員が必要だとすごく感じました。
(1月13日号に続く)
座談会出席者 |
(大阪民主新報、2018年12月30日号、2019年1月6日合併号より)