あったかい人間の連帯を国の政治に
参院議員・山下よしき物語
③災害対策(2)たたかいの歴史蓄積する党
被災現場に立ち自らの胸に刻む
2018年6月18日午前7時56分に起きた大阪北部地震から、もうすぐ1年になろうとしています。最大震度6弱を記録したこの地震で、府内の死者は6人、5万5千戸以上の住宅に被害が出ました。高槻市立寿栄小学校のブロック塀が倒れ、登校途中だった4年生の女子児童(9)が下敷きになって亡くなりました。
地震が発生したとき、山下さんは上京する新幹線の車中にいました。東京駅に着いたその足で羽田空港から大阪へ。党中央の地震対策本部長として、府庁と大阪市役所で被害状況や対策を聞き取った後、高槻市の寿栄小学校の事故現場へ。翌朝も再び現場に立ちました。
「大災害が発生したとき、政治家として第一級の課題は、まず現場に身を置くこと」と山下さん。「9歳の少女が、なぜブロック塀の下敷きになって亡くならなければならなかったのか、その場に立ってこそ、自分の胸に刻むことができる」と語ります。
住宅被害の99%を占めながら、被災者生活再建支援法の対象とならない「一部損壊」世帯に国の支援を行うことや、通学路のブロック塀の安全点検と改修補助を行うことなどを防災担当大臣に申し入れました。
農家の実情聞き支援策に実らせ
9月4日に大阪・近畿を襲った台風21号では府内の死者は8人、6万6千戸以上の住宅被害に加え、記録的な暴風と高潮で関西空港や埋め立て地が浸水、泉州地域で農業ハウスが倒壊するなど、甚大な被害が出ました。
台風21号でも山下さんは災害対策本部長として、たつみコータロー参院議員や地元議員らと泉佐野市や熊取町などの被災地に入り、住民や農家から実情を聞きました。農民連とも連携して政府に支援を要請した結果、農業用ハウスの再建に国と自治体で最大9割を負担する支援策が決まり、被災農家から「これなら前向きに考えられる」と喜ばれています。
災害の体験基に対策の転換迫る
昨年10月31日、参院本会議で代表質問に立った山下さんは、「災害から国民の財産と命を守ることは政治の要」と、安倍首相に2つの提案を行いました。
第1は、東日本大震災ではいまだに5万7千人もの被災者が仮設住宅などで避難生活を強いられる中、「被災者の住宅と生業(なりわい)の再建にかかる問題点の把握こそ、緊急に行うべき」と力説。被災者生活再建支援法の支援金を500万円に引き上げ、支援対象を「半壊」や「一部損壊」に拡大することも決断するよう迫りました。
第2に、被害を拡大させず、命を守るための防災対策。大阪北部地震で9歳の女子児童らが犠牲になったブロック塀の倒壊や、西日本豪雨での堤防決壊は、危険が早くから予測されていたにもかかわらず、危険を最小化する対策が取られてことなかったと指摘。「底をついた検証を行い、防災対策のあり方を転換することが必要」と求めました。
安倍首相は、「被災者に寄り添い、全力で取り組む」としつつ、支援金引き上げは「財政負担の課題があり慎重に検討」と述べるなど、まともに答弁しませんでした。
共産党の活動が災害時に力発揮
昨年12月、日本共産党府委員会が開いた「災害から府民を守る報告懇談会」で山下さんは、「大事なのは、被災者と一緒に自治体も巻き込んで住民運動を起こすこと。そうしてこそ行政を動かす力になる」と強調。同時に、草の根で住民と結び付き、国民の苦難軽減を立党の精神とする日本共産党の活動が、災害時にも大きな力を発揮すると述べました。
阪神・淡路大震災の被災者支援を国会活動の原点としてきた山下さんは、いまあらためてこう語ります。「大災害で政治のあり方が問われ、被災者の運動が起こり、新たな制度を勝ち取り、次の災害の被災者がそれをさらに充実させていく。その被災者のたたかいの歴史を党として蓄積しているのが、日本共産党。参院選で必ず躍進を勝ち取り、この歴史を前に進めたい」(続く)
(大阪民主新報、2019年5月19日号より)