あったかい人間の連帯を国の政治に
参院議員・山下よしき物語
⑤雇用(2) モノ扱い、使い捨てを許さない
若者たちの声をじかに聞き取り
山下さんには、今でも忘れることができない、12年前の体験があります。2007年に参院議員に返り咲いてから約3カ月後。派遣労働が急増する中、特に派遣会社に労働者が登録し、派遣先が決まったときだけ雇用契約を結ぶ「登録型派遣」、「日雇い派遣」が大問題になっていました。山下さんは大阪や首都圏での実態調査で、実際に派遣で働く若者たちから生の声を聞いたのです。
――集合場所から派遣先まで、トラックの荷台(保冷庫のようなもの)に何人も詰め込まれて運ばれた
――マイナス20度の冷凍倉庫の中で何時間も作業させられた。手につけるのは軍手だけで、凍傷になった
――派遣先で「事前面接」を受けさせられた。「この話はなし」と断られたが、交通費も給料も出なかった
――好きな人ができても「付き合って」と言えない。仕事の連絡を待つ不安定さでは、幸せになれない
派遣先に向かう集合場所になっていた、千葉県内のJR駅前の広場でも山下さんは聞き取りをしました。「派遣で一番つらいことは」との問い掛けに、若者たちは言いました。「人と思われないところ」「モノ扱いですね」
厚労相も答弁で「厳格対処する」
「若者が夢や希望を持てないような社会は、あってはいけない」――山下さんは同年11月5日の参院行政監視委員会で、聞き取った若者たちの実態を政府に突き付けて質問。登録型派遣、日雇い派遣の実態は労働者派遣法に違反しているとの追及に、舛添要一厚労相(当時)は「法治国家として許せない。厳格に対処する」と答弁しました。
さらに山下さんは、若者たちは派遣元に逆らえば次から仕事を紹介してもらえない立場にあり、日銭がなければその日の生活に困るため、日雇い派遣から抜け出せない状態にあると強調。舛添大臣は「先進国として改善していかないといけない」と答弁しました。
山下さんは、戦後禁止されていた派遣労働が、1985年の労働者派遣法で解禁され、派遣業務を拡大してきたことが根本原因だと強調。個々の法律違反をなくすだけでなく、若者をモノ扱いし、安上がりに使い捨てていく登録型派遣、日雇い派遣という働き方そのものを「政治の力でなくすべき」と力説しました。
「働くルール」へスクラム組んで
その後、「使い捨て労働をただし、貧困をなくせ」と求める世論と運動が力になって、2012年には日雇い派遣は原則禁止となりました。山下さんは、08年のリーマンショック後に「派遣切り」「非正規切り」の嵐が吹き荒れる中、雇い止めとたたかう人々とスクラムを組みながら、労働者派遣法の抜本改正はじめ「人間らしく働けるルールづくり」へ取り組みを続けました。
空調機大手のダイキン工業(本社・大阪市)の堺製作所が10年8月末、偽装請負から直接雇用した期間工(契約社員=有期雇用)のうち200人を雇い止めにする一方で、新たに200人以上の期間工を雇い入れました。
労働者派遣法の抜本的な改正を
山下さんは雇い止めされた労働者から直接話を聞き、同年10月15日の参院予算委員会の質問で取り上げました。
山下さんは「仕事が継続しているのに、多くの方々がなぜ離職に追い込まれ、路頭に迷わなければいけないのか」と訴えた労働者の手紙を読み上げ、「もうかっている大企業が、労働者を“細切れ雇用”で入れ替える。労働者の人生設計はどうなるのか」と、菅直人首相(当時)を追及しました。
大企業が正規から非正規への置き換えを進め、派遣労働者を増大させる一方で、内部留保は244兆円(09年度)にまで増大させていると指摘。「労働者派遣法を抜本改正し、人間らしい雇用を保障することは、大企業に貯め込まれた224兆円もの巨額の資金を生きたお金として日本経済に還流させ、経済危機を打開する大きな力になる」と力説しました。(続く)
…日雇い派遣の集合場所で若者たちから実情を聞く山下さん(右から2人目)=2007年10月、千葉県内(画像は一部加工しています)
(大阪民主新報、2019年6月2日号より)