時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第52話 反共逆流に抗して

 70年代前半の日本共産党と革新勢力の躍進にたいして、大がかりな反共宣伝が仕組まれます。

「治安維持法」そのままに       

 『文藝春秋』76年1月号に評論家・立花隆の「日本共産党の研究」なる論文が発表されます。これは、戦時下の暗黒裁判が宮本顕治に下した治安維持法等被告事件の判決を無条件に正当視して攻撃を加えたものでした。さらに1月27日、民社党委員長の春日一幸が衆院本会議の演壇から、「いわゆるリンチ共産党事件」などとぶちあげました。
 彼らが新たな「ネタ」にしたのは、鬼頭という判事補が、本来閲覧も許されない「身分帳」を「裁判官の職務」と偽って網走刑務所からもちだした記録の一部でした。権力機構もつかった、その謀略ぶり、醜悪さ――。

犬は吠えても歴史はすすむ      

 国会ではくつぬぎタケ子参院議員が反撃の口火を切ります。この問題は、1945年10月、治安維持法の廃止とともに、判決原本に「將來ニ向テ其ノ刑ノ言渡ヲ受ケザリシモノト看做ス」と明記され、暗黒裁判を否定し、判決そのものがなかったと確定したものです。春日の卑劣さとともに稲葉法相が答弁で、この根本的な事実を明白にしなかったことをきびしく批判しました。続いて不破哲三書記局長が予算委員会で徹底反撃します。5月には、衆院法務委員会での正森成二議員の追及に、法務省の安原刑事局長が「宮本氏の復権は、法的決着はついていることは間違いない」と答弁します。
 日本共産党は『文化評論』76年4月臨時増刊号を発行。「赤旗」党史班による論文「犬は吠えても歴史は進む――『文芸春秋』立花論文への総批判」や『宮本顕治公判記録』を掲載。大阪府委員会も緋田吉郎府委員長を先頭に街頭での販売など宣伝・普及に総力をあげました(全国的には75万部を発行)。

76年総選挙の敗北 

 76年12月5日投票でたたかわれた総選挙は、ロッキード事件や経済恐慌など自民党政治の腐敗と害悪がうきぼりになるなかでのたたかいでした。しかし、72年総選挙での躍進後、日本共産党を批判・中傷した週刊誌、月刊誌が4年間に5百数十件、のべ発行部数2億数千万部にも及ぶという大規模な反共宣伝のなかで、日本共産党は大阪で3区、6区、7区で及ばず、4議席に後退します。
 翌77年7月10日投票でたたかわれた参院選では、「自由社会を守れ」という反共キャンペーンのなか、大阪地方区ではくつぬぎタケ子の再選を果たしますが、全国区は改選7から3議席にとどまり、得票数・率も後退します。
 この参院選のさなか、豊中・庄内小学校で開かれた日本共産党演説会最中に、「体育館が燃えている」との「ニセ119番通報」があり、計8台59人の消防車・隊員が出動する事件がおこりました。発信記録から地域で有名な公明党運動員宅からのものだとわかりました。恐るべき反社会・反民主主義的行為であり、府委員会は公明党府本部にも態度を問いましたが、公党としての対応は何もありませんでした。
 国政選挙での連続後退は、1961年の綱領確定後は初めてでした。大阪府委員会は総会でこう決意を固めます。
 「あらゆる形の反共攻撃、策略は今後もわが党が前進する過程では避けて通ることはできません。…いつどのような攻撃があろうとも大衆と深くむすびつき、微動だにしない強固な党勢を築きあげ、これらの反共攻撃に打ちかつ旺盛な活動力を発揮する以外にない」(次回は「ロッキード事件」です)

(大阪民主新報、2021年7月25日号より)

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