時代をつないで 大阪の日本共産党物語

第55話 大阪三合同

最大の試練    

「大阪三合同」(衛都連・大教組・府職労)が主催した「地方財政危機打開、府民要求実現をめざす10・16大阪府民大決起集会」(75年10月16日、扇町公園)

 第2期革新府政の最大の試練は、財政問題でした。全国を襲った1975年夏の「ドルショック」「石油ショック」による不況のなかで、府税収入が激減し、1千億円の歳入欠陥見込みになります(75年度末で1480億円。当時の予算規模は約8千億円)。
 240億円の赤字になれば「赤字再建団体」に陥り、府の財政自主権は自治省に奪われてしまいます。黒田知事は「財政非常事態宣言」をだし、予算のうち230億円の「執行留保」措置をとります。しかし、そのなかでも「老人医療費公費負担事業」「民間社会福祉施設従事職員給与改善に関する経費」「市町村の公立病院助成」「私学助成に要する経費」などには手を付けないことも宣言します。
 歳入確保のため、黒田革新府政は大企業への「超過課税」に踏み切ります。地方税法がいう「財政上の特別の必要」のため、資本金1億円以上の企業に制限いっぱいまで税率を引き上げました。「府民の生活環境などを整備するために…人事業税の税率が引上げになりました」――75年11月30日付「読売」などに府の広報73号が広告として掲載されます。

たちあがった「三合同」       

翌17日には地方財政危機突破中央行動に参加した大阪代表団

 財政危機打開のうえで、労働組合としてたちあがったのが「大阪三者合同会議」(衛都連、大教組、府職労)でした。
 「地方財政危機打開」「革新府政擁護」「府民要求実現」という3つの課題をかかげ、かたや中央各省庁との交渉にはのべ1400人が加わり、かたや「地方財政危機打開と住民福祉向上」をかかげた「100万署名運動」を提起。11月には目標を超える102万に達しました。77年にも再度、100万署名を突破。このなかで同年11月24、25の両日、衆参両院において「大阪三合同」が提出した請願書が全会一致で採択されます。「減収補てん債を認めさせ、府の赤字再建団体転落を回避」「自治体の超過負担をしいられていた小・中学校、保育所の門、柵、塀などについても交付税の対象にさせた」「河川費の算定基礎を変更させた」「国の高校建設補助金を二倍にさせた」「私学助成では国が半分補助すべきなのに実際は5・4%しか出していない実態を四年間で是正させることを約束させた」――78年3月の「府民要求実現共同しんぶん」に、一連の成果が記されました。

民主的自治体労働者論の立場で    

 「三合同」のとりくみで特筆すべきは、労働組合みずからが「財源協力」にのりだし、大教組による教員特別手当の一部返上や府関係労働者全体による福利厚生施設財源の拠出などを含め二百五億円に及ぶとりくみを実現したことでした。
 元衛都連委員長の徳畑勇は「労働組合として行財政総点検活動で、不公正や無駄をなくし、住民本位の仕事をどうきずくかを議論し、職場からの政策提言をすすめた。これによって府内の自治体首長との共同も大いにすすんだ」。元府職労委員長の金治貞男は「民主的な自治体労働者論の立場で、当時も保健師が中心に乳幼児の死亡調査をやり、大阪の中小企業労働者の労働条件の悪さ、妊婦の健康状態などをつかみ、母子保健センターの政策化につなげた。この精神は、コロナ禍のとりくみでも府職労のなかに息づいている」と語ります。(次回は「偉大なる敗北」です)

(大阪民主新報、2021年8月22日号より)

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